久保田真司

エッセイを書く26歳です。パン屋にいます。https://www.instagram.…

久保田真司

エッセイを書く26歳です。パン屋にいます。https://www.instagram.com/____kubota_ma

マガジン

  • たまには、恥ずかしくなること言いたい。

    楽しいとか、幸せとか、生き方について、ぼくのやわい哲学です。

  • ぼくの、へ理屈・妄想。

    こういう見方もあるのでは?あの手この手で、へ理屈を。

  • ぼくの食のエッセイ・トリアツカイ所

    テーマが、『食べ物』系エッセイを取り扱っています。

  • 日々のほんの片隅

    なんでもない日の、なんてことない哲学。

  • 僕っぽさみが深いやつ。

    ごたごたしてるからこそ、なんかいい。 そんな風に楽しんでもらえるエッセイかなあって。

最近の記事

  • 固定された記事

好きを持った

「好き」と思うことは自由で、 「好き」と口にすることは不自由を意味するのだ。 言ったら最後、突き進むか打ち破れるかのどちらかなのだ、その不可逆性を僕たちは恋と呼んでいるに過ぎない、 なんて言う真面目くさった話がしたいのではない。 とても久々に好きな人が出来た。 好きな人と話した、 好きな人に「好き」と伝えてしまった、 後戻りなど出来なくて、友達でいいはずなどなくて、 やるしかなくて、 返事は意外と「YES」だったりして、 僕はもうほとんど幸せの真っ只中なのだ。 もうほとんど

    • 月と麦、紡ぐ衣食住

      もはや、僕は空の箱なんかではないだろう。 でも、かつての僕は、退屈で無用な、ただの空き箱だった。 今朝、娘が産まれた。 パン屋の僕が起きたり、働き始めるほとんど夜と言って差し支えない早い朝、2590gの我が娘が、 産声を上げた。 お産に立ち会った僕は、 分娩台に横になっている妻の頭側に立った。 鉄棒の逆上がりを鉄棒無しでやる様にして、 いきむ妻の頭や首、背中を支えた。 「ゆっくり息しよう、頑張れ。」 そのくらいしか言ってやれることがなかった。 陣痛から出産に至るまで

      • as green as grass,

        高校2年生が先輩風を吹かすようにして、 12月が到来した。 寒さのせいか少し肩が緊張する日が続くように思われる。 ただ、こういう季節の夜空を見上げるそれは、 一息つける気がして、 気持ちが良くって好きだった。 最近は夜に出歩く機会も減った。 かつての僕は月とまるで地元の友達の様だった。 ほんの数年、数十ヶ月前までの僕は、 早い朝の時間も、夜も、1人で歩いた。 月だけを頼りに歩いていた。 俯いて立ち止まりそうになるのを 見上げて口遊んで追いかけるようにして歩いた。 うす

        • もしも暇で退屈なら、粉と水をいじってみてよ。

          1人で過ごす休日の15時40分というのは、強烈な退屈の真っ只中にある(とする)。 暇を持て余した退屈の中にいると自覚したのならば、 潔く、意を決して、家にある1番大きなボウルを用意する。 用意したボウルへ、適当な量の小麦粉をドサッと入れる。 適当な量の水も少しずつ入れて混ぜてみると良いかもしれない。 僕は、粉(450g)とか、水(120g〜)は、必ず量るけれど。 今から、かんすいを用いないので中華麺とはいえないものの家で腹を満たすには十分美味しく食べれるチュルチュルの麺

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        好きを持った

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        • 僕っぽさみが深いやつ。
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        • 好きなものの話。
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        記事

          食、秋、

          秋、食欲の秋。 それは、ただの「食欲」の秋ではない。 「果つる底なき無限の食欲」、そんな秋なのだ。 夏の間中、伸ばしっぽうけにしていた髪を切りに 近所の美容院へ行ったのは、 今年の秋が初めてこちらへ顔を向けた様な日だった。 長袖のノーカラーシャツ1枚で出かけた。 ここ数ヶ月の間、美容院をころころ変えている僕は、今回もはじめての美容院へ行く。 言ってしまえば馴染みの無い美容師と、 初来店の何とも知れない客の私。 その他愛もない会話。 何故か聞かれる好きな食べ物。 「僕

          ケサランパサラン

          小松菜を1束、適当に刻んだ。 お昼ご飯にインスタント塩ラーメンを食う。 刻んだ小松菜とネギだけ入ったままごとの様なラーメンを食い終わる頃、 僕は1人の休日に飽き始めていた。 だから、さんぽへ出かけることにした。 「この世界を震撼させるような劇的な言葉や鮮烈な景色を探したい。」なんて言ってさんぽに出る人は珍しい人だ。 普段使いの商店街を、普段着のまま、いつもの音楽を聴きながらただ漂よう様に歩いた。 商店街へ行くまでの道中、ネコを見つけた。 いつもの野良ネコだ。 人に慣れす

          ケサランパサラン

          boiled, ate.

          葛藤の食い物スパゲッティ。 婚約記念に買って飲んで残した3口分の赤ワインが、冷蔵庫に鎮座しているのを見て見ぬ振りで過ごしたこの2週間。 トマト缶と新玉葱を煮込むが先か、ワインを使い果たすが先か、半分半分の気持ちでトマトのソースを作ることとした。 2人暮らしのパートナーの「トマトのパスタ食べたい。」リクエストに応えるために。 冬服をクローゼットに押し込むだけの衣替えがようやく済んだ頃、長引く高騰のまま新玉葱はスーパーに並ぶ。 ひと玉150円もする玉葱など、いまだかつて買った

          kitchen,boil.

          起きた瞬間から「何、食べようか。」と考えはじめるのが僕だ。 1人暮らしとパスタの関係はよもや語るまでもない。 語ろうとするならば、どうしたってそれはどこかナイーブな文章になってしまうだろう。 たっぷりのお湯に数%の塩、グツグツバコバコと沸騰する鍋の中にキチリと150グラム計ったスパゲッティを放り込む。 黙々とひたすらに、タイマーが鳴るまでの7分半の間、僕は祈るように茹でる。 誰の為に茹でるわけでもない、自分1人のための自分1人によるスパゲッティを茹でるという行為に孤独を感

          そこで、僕たちは誰と生きようか。

          少し考えごとをした。 人やモノを撮ることで記憶を形として保存し、思い出とすることも出来る、手を洗うより身近な写真を撮るという行為。 今年に入ってすぐだったと思う、僕はスマホに撮りためた写真のほとんどを削除した。4、5年分の写真、枚数にして1000と数百。 直近1年間の写真だけ手元に残っている。 それを淋しいことだとは思わないし、「これで良いんだよ。」と声に出してみたりもした。 自然と、目の前にいる恋人または、この自分の生活を愛したいと願うようになった。 けれども矛盾はどう

          そこで、僕たちは誰と生きようか。

          SHIPS

          この、時に軋むベッドさえ僕たちの舟だとした。 僕たちの生活の半分はこのベッドで、他のもう半分はキッチンのテーブル。 何でも起こり得るこの世界の水面を凪ように生活する僕たちは、「今日は職場で…」、「次の休みいつだっけ、」と話しながら、ビールを注ぎ、パスタを茹で、枝豆とお豆腐を口へ運ぶ。 慣れてきた2人暮らしとままならない各々の仕事と、 分かり合えなさと、解りたい欲求とを全て言葉の外側で、個人でやり過ごして生活している。 勘づかれないようにしていることに勘づいているけど、 勘

          うちにも居たい、旅にも出たい気配

          どうやら天気が悪い日の3回に1回くらいは頭が痛くなる。 そのことに気が付いたのは、 発した言葉は必ずどこかで誰かを傷つけていることに気がついたその季節と同じだった、かもしれない。 一緒に暮らしているパートナーとの生活では当然あまねく全ての恋人同士同様にケンカをするし、仲直りもする。 心のうちにとどめておいた言葉を発する時、 僕たちは傷つけ合い、同時にその傷を癒やし合う。 営みの実体に触れるのは、案外その前後なので諦めて言葉を用いて会話することを続けるつもりだ。 それを生活だ

          うちにも居たい、旅にも出たい気配

          必ず誰かといるということ、するということ。

          これは、皆んなが日々の中で寡黙にやってることを 一々言語として自分に言い聞かせるまでの話。 他人の感情はおろか、自分1人分の感情さえ心に留めておくことが難しくなったと感じるのだ。 さて、ぬいぐるみに話しかけたことがあるだろうか。 僕が25歳になって1、2週間が経つ頃だった。 2人暮らしをしているパートナーが使い古した大きなくまのプーさんのぬいぐるみに、僕が「プー、そろそろ寝るだよ。」と話しかけたのが最初だったと思う。 父親に、もしくは母親に言われた記憶がある言葉を僕はプ

          必ず誰かといるということ、するということ。

          one year

          立ち止まる為にはある程度大きい勇気が必要なのだ。 この1年を振り返るということが、 今後の僕のほとんどを決めてしまうことに僕自身が気付いてしまっている。 だからなかなか振り返って改まることに踏ん切りがつかなかった。 けど振り返ることにした。 今まで億劫でやれずにいたことをやるキッカケは、 案外小さな、月が綺麗だったとか、目玉焼きが上手に焼けたからくらいのもので充分だったりする。 東京へ来たのが2020年11月30日。 この日僕は池尻に住む世田谷区民となった。 職場は広尾

          オレンジ色のパッケージ

          「恋をすると人間になっちゃう」らしいということを僕は最近知った。不思議と「そうかもな」と思ったのだ。 皆んなは、今日の月を見たかな。 ちょうどヤッホーブリューイングのヨナヨナエールのパッケージのような月で、「あぁ黄色いな」と思ったから、隣を歩く相方にも「黄色いよね」って話した。 「オレンジだよっ」って、「僕は色弱だから黄色に見えている」らしい。 僕が色弱なのは赤と白系なんだけどって思ったけど、言葉にしなかった。 コンビニのビール売り場に秋香るらしい、秋味らしい オレンジの

          オレンジ色のパッケージ

          何かを始めることに、もう浮き足立てないのではないか。

          身近なところにいる人の殻が、これからバリバリと剥がれていくのだろうと分かってしまうことがあって、 喜ぶべきことなのだけど、やっぱり、それは自分にとって少し怖いことのように思えた。 始まったら終わるということを僕たちは夏に教わってきたし、また今回もそのことをちゃんと教わっている真っ只中だ。 ちょっと離れたところの同じ国の人たちの安全をほんの少しだけ祈って、雨が上がるのを長らく待ってるうちに、 もうそろそろ長袖が必要かもなぁなんて思う、 それこそ、季節が流れてしまう時に吹く気

          何かを始めることに、もう浮き足立てないのではないか。

          僕は一度それについてエッセイを書いたことがある。

          僕は今日のこのエッセイを「自分のもろさを知っている人」「それでも自分の世界でやっていきたい人」に読んで欲しい。 普段何かを書く時、誰に読んで欲しいかなんて考えたりはしないし、ゴール設定もしないけれど今日は普段と違う作り方をするんだ。結果、何も変わらなかったとしても。 僕は大学2年から3年にかけて毎日エッセイを書いていた。 当時付き合っていたカノジョがテーマを1つ設定してくれて、それがどんなに僕の生活に縁遠いもの、興味も関心もないこと、なんだそれと言いたくなるものでも無理やり

          僕は一度それについてエッセイを書いたことがある。