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as green as grass,

高校2年生が先輩風を吹かすようにして、
12月が到来した。

寒さのせいか少し肩が緊張する日が続くように思われる。
ただ、こういう季節の夜空を見上げるそれは、
一息つける気がして、
気持ちが良くって好きだった。

最近は夜に出歩く機会も減った。

かつての僕は月とまるで地元の友達の様だった。
ほんの数年、数十ヶ月前までの僕は、
早い朝の時間も、夜も、1人で歩いた。
月だけを頼りに歩いていた。
俯いて立ち止まりそうになるのを
見上げて口遊んで追いかけるようにして歩いた。

うすら寂しい僕の心のままではあったが、
僕の通勤路の山手通りの朝と夜は、
僕と月が、何かに隠れて仲良くするにはちょうど良かった。

今となってはそんな月と僕との関係も無くなってしまった。それに寂しさを感じることはない。
それはただ、その時の僕、
上京したての仕事もままならないどん底の僕を端的に表す事実と、その平凡な風景のひとつにすぎない。


相方に手を引っ張り上げてもらって、
僕はどん底から顔を出し、引越し、今の生活を手に入れた。
職場から家まではほんの数分歩くだけでいい。
朝は早いけれど、夜になりきるより前に家に帰って、
夜まで家で相方の帰りを待つ。

月を頼りにしていた頃の僕、
あの頃の僕、半分腐った心で歩いた僕、
半分は腐っていてもう半分は憧れで出来た街を1人で歩くことは無くなった。
そして今や安心の家をも手に入れ、
愛する相方の手をいつでも握ることもできるし、
穏やかと言っても差し支えない職場とも巡りあえた。

生活の中で、僕は月をすっかり忘れてしまった。
もはや月も僕に手を差し伸べたりはしない。

思い出そうとしたら思い出せる、ただ懐かしいだけの月。忘れてしまった月。
新しい月。
本当は何も変わってはいない月。

僕が1人歩いた山手通りも、
いつしか相方と2人で歩く道へと変わっていった。

同様にして、少なくない日々を重ね歩いてきた。
生活と仕事の輪郭を僕たち2人が歩くことで縁取られ、形を伴っていく。
それを僕は、僕たちのスタイル、生活、幸せだとしよう。ネコにはネコのやり方があることを僕は知っている。それと同じだ。

これからは、徐々に、生活と仕事も曖昧に溶けあっていくだろう。
その上を僕たちが歩いて、歩いた軌跡で縁取っていく。それを繰り返す。それをまた新しい僕たちの生活だとしよう。

またいつか、月を思い出す時があれば、
それはもう僕と月との関係ではなくて、
相方と見た月、
高層マンションの白とオレンジの生活の灯にまぎれる月に他ならない。

月に僕を重ねたりもした。
今はもう、月に僕の気配は無い。
僕はもう月に頼らなくても良い。
だから歩いて行く。
迷いもなく歩いて行ける。
見上げなくとも。

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