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one year

立ち止まる為にはある程度大きい勇気が必要なのだ。

この1年を振り返るということが、
今後の僕のほとんどを決めてしまうことに僕自身が気付いてしまっている。
だからなかなか振り返って改まることに踏ん切りがつかなかった。

けど振り返ることにした。
今まで億劫でやれずにいたことをやるキッカケは、
案外小さな、月が綺麗だったとか、目玉焼きが上手に焼けたからくらいのもので充分だったりする。

東京へ来たのが2020年11月30日。
この日僕は池尻に住む世田谷区民となった。
職場は広尾のパン屋。

仰々しいにもほどがあるが、1年間そういう場所と場所とを行き来して、半分死んだ様に生きた。
本当は死んでいたんだと思う。
特に6月末までの僕は。
開けた目を伏してしまいたくなるような半年間。
2度と開けたくない中学の卒アル、
化石と化したmixiのアカウントを掘り返すような、
幼気で、うだつの上がらない、未熟という意味でもナイーブな時期だった。

仕事終わりは山手通りをまっすぐ歩いた。
外せない重い足枷を引きずるようにして、ストンと堕ちた心で金麦を片手に中目黒から池尻まで歩いた。
ほとんどそういう夜を1人で過ごした。重たい日々だった。

見ず知らずの人たち10人くらいとシェアハウスに住んでいたけれど、心通うような友だちは大して出来なかった。
だからInstagramに心の内を、
理解されない程度に、でもどこかオープンに
半分病んでるかのように暗い写真を撮って載せることで言葉少なに吐露した。懐かしさと思い出に依存するカタチで。

休みの日の朝に近所のTOLOパンに通う晴れやかな習慣も最初の一か月で消え失せた。休みでも体が覚えた4時半起きを徹底した。そうせざるを得なかった。
仕方なく掃除と洗濯をして、さんぽをしてコンビニでお酒を買って午前10時ともなればお酒も回った状態までノンストップ。
そうでないと不安で不満でいられなかった。
お酒が救ってくれた僕は多い。
生き方より死に方をよく考えた。
家から30秒、車がビュンビュン走る国道246号に身を投じたらきっと簡単なんだろうとよく思った。



夏が終わりかける頃慌てて生き直そうとした。

そっからの半年は早い。
傍目には圧倒的に幸せ者に見えるであろう半年。
実際、本当に噛み締めても噛み締めても甘美で頬が落ちるほど美味しい味が溢れて来る、そんな幸せな日々を僕は今過ごしている。

それもこれもかつてただの近所だった今の僕のパートナーのおかげなのであるが。

小さな頃から人前に立つことの多かった“特別”そうな彼女の普遍性は、彼女がこれまでの数年間、もしかしたらずっと昔から、多くの人との間で生じた葛藤を乗り越えた先のものかもしれないが、僕はそんな彼女の言ってしまえば、まともさが好きだ、愛を愛として伝えることの出来る彼女のしなやかな強さが強烈に。

中目黒まで歩いて5分くらいのところにあるちょっとした公園で会うのがかつての僕たちのお決まりだった。

知り合った夏から、
2人で最後にその公園に行った日までの2人の時間のほとんどを東山公園で、コンビニで買ったビールと共に過ごした。僕たちはサッポロ黒ラベルが1番好きだという共通点があった。
何が似ているか言葉にすることは未だに出来ずにいるが、
僕たちは僕たちが似ていることを知っている。
知っているからいつも僕たちは「僕たちは似ていない」という話をする。少しひねくれているのだ。

夜の公園で話したことは、
くだらない話しも、お互いの仕事の話しも、
僕たち2人のことも、家族のことも、友人のことも、
語り尽くしたように思う。
でも飽きることなくそれを今でも2人で思い出して繰り返している。僕たちは僕たち2人が好きなのだと思う。

2人で池尻を後にして、商店街や飲み屋街が
ちょうどいいサイズ感の街に引っ越してきた。
元住吉という街は、「2人で暮らしていく」そういうことが似合う街だと思った。
休みの日にさんぽするのがもうすっかり大好きになっている。

パートナーとの生活は、2021年11月30日から始まった。
僕にとって11月30日というのは、
この2年間そういう節目の日なのだ。

まだ何もない家に、段ボールを運び込み、
次第に届く実家からの家財を一式広げて、
キッチンを調味料やスパイスで埋め尽くして、
Bluetoothスピーカーでいつもの音楽を流して仕舞えば
ほとんど引越しは済んだような気分だった。
引越しに際して出た大量の段ボールと大判のブランケットになかなか届かないカーテンの代役を務めてもらって
1週間過ごした。

パートナーの仕事終わりに開始した引越し。
新居での最初の食事は、パートナーのお父さんが買っておいてくれた成城石井のお寿司だった。
夜中の1時頃、2人で広げて、僕の母が送ってくれた食器を使ってちゃんとビールも用意して食べた。
忘れないと思う。
両方の家族に手厚く送り出してもらっていることを
同棲が始まってからもしばらくの間、僕たち2人は確認し合って喜んで過ごした。

職場の都合もあって、休みの日を合わせられていない。
僕が至らないからなのだけど、パートナーは文句を言わず、すれ違いそうな生活を僕に合わせてくれていると思う。
僕の朝は早く、パートナーの夜は遅い。
一緒にいられる時間はほとんどひっつき虫で過ごしている。なんでも美味しそうに食べてくれるパートナーを思うと、一刻も早く退勤して、夕飯とお風呂の支度を完全に行なって待っていたいと思うようになった。

東急東横線の吊り革の広告の

「早く帰りたい」は、
「早く会いたい」です。

を見た時、自分の心の内側のふんわりと温かく
でも明らかにシビアな機微の輪郭を捉えた気がした。
僕はパートナーが本当に好きで、
2人でいればそれで満足で、その為になら多くのことをある程度ちゃんと頑張れて、この毎晩のルーティンや、
朝の軽いキスを一生繰り返していたいんだ。

この1年を振り返るということ。

僕のうだつの上がらない半年と、
その半年を埋め合わせるもう半年。
1人で池尻で過ごした半年と、
2人で暮らすに至るまでの半年。
死に方を考えた半年と、
生活のあれこれを楽しみたいと願う半年。

なんでもいつでも投げ出そうとしていた僕を引越しのついでにクローゼットの奥にしまってしまったけれど、
きめきらない覚悟も同時に自覚している。
臆病な自分、キャパの小ささも、不器用さも、
自分のダメなところはよくわかるようになってきた。
言葉だけでそれを律することの難しさも知った。
流れに抗えないことがあることも知った、
それでも少し、強くなりたいと思うようになった。
守りたい人を守れる、
好きな人に好きと思った時に好きだと伝えられる人に、
美味しいものを食べた時に美味しいと、
心に少しの引っかかりも無く伝えれたら、
そう願う。

この1年を振り返ると、
僕が望む僕の生活、
どういう奴でいたいかが、よく分かるようになる。
それは怖いことなのだ。
自分が望む自分は、ある程度自分で正しく努力して手に入れるものなのだ。
ここまでパートナーに連れてきてもらった。
巨大な感謝を抱えている。
これからもきっとそうだろうし、
僕も早くお返ししたい。

ここまで来た。

欲しいと願ったものを手に入れた。

前の職場の先輩に「長く使ってるものある?」と聞かれて答えられなかった3年前の僕を未だにどこかコンプレックスに感じている。
投げ出してしまう僕を把握している。
諦めてしまう僕を知っている。

この途方もない日々の中においても、今この手元にある幸せを手放したくない。

この1年を振り返って、
戻りたいところなどどこにも無いことをよく理解した。
目の前にある幸せをこれからとずっと続けていく為に、
しばらく後ろを振り返る暇などないのだろう。

パートナーは寝息を立てて僕の隣で眠る。

今日、エッセイを書き起こしたのは、
珍しくパートナーが僕より先に眠ったからで、
特別大きなキッカケなどない。
けど、僕はそういう小さいことを必ず大切にしたいと思うのだ。

まだ終わらない今年を今しばらく生きてゆく。

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