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月と麦、紡ぐ衣食住

もはや、僕は空の箱なんかではないだろう。
でも、かつての僕は、退屈で無用な、ただの空き箱だった。


今朝、娘が産まれた。

パン屋の僕が起きたり、働き始めるほとんど夜と言って差し支えない早い朝、2590gの我が娘が、
産声を上げた。

お産に立ち会った僕は、
分娩台に横になっている妻の頭側に立った。

鉄棒の逆上がりを鉄棒無しでやる様にして、
いきむ妻の頭や首、背中を支えた。
「ゆっくり息しよう、頑張れ。」
そのくらいしか言ってやれることがなかった。

陣痛から出産に至るまでの7時間半の間、
僕は僕の無力さと友達になることで、
その場にいることが出来た。


3年前の冬、山梨から東京へ出てきた。

1日に100万円近く売り上げるド級のマンモスパン屋でヘタレていた頃も、自分の無力さをよくよく噛み締めていた。
その無力さをアテにして、
コンビニで買った缶ビールを片手に、
中目黒から池尻大橋へ続く山手通りを彷徨っていた。

パンを満足に作ることの出来ないパン屋は、
どう社会と繋がっていればいいのか、
誰のために何のために
わざわざ東京へ出てきて、
何をしているのか、本当に分からなかった。
必死ではあったけれど、諦めも常に同時にあった。
実際、憧れを持って入社したその職場は、
道半ばにしてドロップアウトすることになる。


「分娩に立ち会う旦那は何の役にも立たない」という通例を知っている人からも、知らない人からも聞いていた。

だから、立ち会わない。という選択もあったが、
立ち会うことにした。
妻の希望もあったし、何より自分が、
よく言われる「無力さ」にフタをしたくなかった。

克服も、有効化も成されなくていい。
無力が、無力なまま居るだけでもいいから、
出来ることが分からないなりに、「夫」の務めを探した。

こんなこと言ってはいけないのかも知れないけれど、
通常、それが語られることはないのかも知れないけれど、僕は根がヘタレだから、あえて言う。
僕は僕で大変な1日だった。

そして妻はそれを分かってくれて、
分娩が終わってすぐに、
「出産の恨みは何もないよ。100点満点だったよ。」と、言ってくれた。
人生で初めて人から与えてもらった100点満点だと思う。とても、救われた様な気がした。
何より、産まれたてホヤホヤの娘を抱く妻の笑顔が嬉しかった。


パンの修行中だからなのか、
サカナクションの山口一郎が、
どこか何かで言っていたからなのかはどちらでも良いのだけど、
僕は、「分からない事、難しい事をつまらない事だとしたくはない」と思っている。

妻を襲う本当の痛みが分からなくても、
妻がさすってほしい背中の場所が最後までイマイチ分からなくても、喉が渇いているかどうかさえ、
分からなくても、
この「分からなさ」と、僕の「無力さ」を持ってして、今に集中しようと思った。

破水から出産に至るまでの8時間以上、
その僕と妻の時間を僕は誇りに思う。
助産師さんや、支度を手伝ってくれた僕たちの両親の顔を思い浮かべつつ、
紛れもなく2人で乗り切ったと思う。

「自分ができることを精一杯やる。」
それを平等であると、小学4年生の頃、
担任の先生に教わった。

だから、僕たち夫婦は、平等であったと思う。
背中や腰、お腹、子宮口の開きに伴う痛みを僕は代わってはあげられない。
だからそこは相方に頑張って乗り切ってもらうしかない。
ストレスのかかる中、娘も本当によく頑張った。
ただ、寄り添う。
僕に出来ることはそれだけで、
でもそれをやるのが僕にしか出来ないことだから、
それを頑張った。


分娩が始まる前、妻の弟がたくさんの飲み物とおにぎり、僕用にコーラとカフェオレ、カップ麺を買ってきてくれた。

分娩も終わり、僕だけ一時帰宅した今、
義弟にもらったカフェオレ、
無糖のコーヒーしか飲まない僕が、
普段買うことのないミルクも入って甘いカフェオレを飲んでいる。
苦くて、甘い、普段の僕があまり知り得ない味覚が口を満たしている。


「難しい事、分かりにくい事はつまらない事ではなくて、では何なのか。」と言われたら、
何とも言えないのだけれど、
わざわざ言葉にする必要もないのかも知れない。
分からないと思うこと、
難しいと感じる過程が、良いのではないか。
「整う」に至らないサウナも良い。
ブッダは悟ることを目的にはしていない。
それに至るまでの道、その道をどう歩くか。

「僕」という無用の箱、その箱の中に
ぼんやりとではあるけれど、
でも確かに輪郭めいたものを今感じる。
愛おしくて、それを思う時、
どこかに必ず辛さや大変さも含んでいて、
言ってしまえば甘くて苦い、
飲み慣れないカフェオレの様な感覚が、
充満している。

エモーション。
見た景色を心にとどめる行為。

僕1人では決して到達し得ない景色が、
身の内側に広がっているのを感じる。

僕はまだ歩いていたいと思う。

もはや、1人きり、缶ビールを片手に
月と自分を重ね合わせて彷徨う、社会の輪の中から外れかけた、おぼろな僕ではない。

妻と2人、ここまで歩いてきた。
それは確かに1つの頂と言っても過言ではない。
そこで手に入れたこの箱の中を満たす、
ぼんやりと、愛おしい、あたたかな感覚をいつまでも大切にしていたい。
それと同時に、
まだ産まれて数時間も経たない様な僅かな時間で、
僕にここまで何かを与えてくれた娘。
その娘もまた全くもって無垢な箱。
何にも晒されていないいたいけで脆い箱。

かつて何種類もの貝殻をお菓子の空き箱にとっておいた。
海で拾った貝殻ではなくて、誰かから貰った貝殻ではあったけれど、大切に仕舞ってとっておいた記憶がある。

娘のそんな姿を見ていたい。
どんなモノやコトでも大切に仕舞っていく娘を見ていたい。
娘が紡ぐ生活、行ける所まで伴走したい。

僕は、3人で見ることの出来る景色を新しく心待ちにしている。

かつて1人で見た月。
中目黒の広告の明るさに埋もれてしまう満月と自分を重ね歩いた。

妻がまだ彼女だった頃、2人で見た月。
高層マンションの白色と橙色の生活の灯、その明かりの先にある満月に僕たちは憧れた。

そして今朝、3人家族になった僕が、1人病院からの帰り道に見た満月は、懐かしい満月で、
でも新しい満月だった。

僕はまだ歩いていたい。
これからは3人で、知っていることも知らないことも。


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