boiled, ate.
葛藤の食い物スパゲッティ。
婚約記念に買って飲んで残した3口分の赤ワインが、冷蔵庫に鎮座しているのを見て見ぬ振りで過ごしたこの2週間。
トマト缶と新玉葱を煮込むが先か、ワインを使い果たすが先か、半分半分の気持ちでトマトのソースを作ることとした。
2人暮らしのパートナーの「トマトのパスタ食べたい。」リクエストに応えるために。
冬服をクローゼットに押し込むだけの衣替えがようやく済んだ頃、長引く高騰のまま新玉葱はスーパーに並ぶ。
ひと玉150円もする玉葱など、いまだかつて買ったことはなかったが仕方がない。街行く人の装いと同様に薄着の玉葱を剥いていく。
大きな新玉葱、どうせ最後はジャムのようにドロドロの赤いペーストになることは明白ではあるが、少しの工夫というか、手の込んだようなことがしたい僕は、半分は薄く千切りにして、もう半分は荒いみじん切りにする。
何年も使っている赤い手鍋の底をサラダ油とオリーブ油を半々ずつ覆う。
潰して刻んだフレッシュなニンニクは、15年くらい前にうっかり開けてしまった飲み会帰りの父親が眠る日曜日の寝室の匂いがした、と思うと同時に、手鍋に放り込んだ。鷹の爪と、ローリエも一緒に。
手鍋を火にかける。
熱され始めたオイルがニンニクや鷹の爪を弾く。
とろっとしていたオイルがサラサラする頃、千切りの新玉葱をこぼさないようまな板から滑らせ、すかさず黒胡椒を振るう。
こだわりのような、ある意味ルール化された僕から玉葱への礼儀のようなもので、玉葱を炒める時は必ず黒胡椒と炒め、次いで玉葱の色が変わろうとする頃、塩をふたつまみ振るう。
あまり木ベラでかき回さず水気が出たところで、みじん切りにした玉葱を再び慎重にまな板から滑らせる。
トマトソース作りの8割が済んだようなものだ。
ご機嫌なPOPミュージックを流しながら、たまに木ベラでかき回して、トマト缶とワインを注ぐタイミングを見計らう僕は、ほとんどDJといっても過言ではない。
そう盲信して1人の夜を過ごす。
トマトソースには「ちょっと多いかな」くらいの砂糖を入れるようにしている。
トマトを入れる直前にパプリカパウダーで色付けしておいた。
パートナーは少し辛いトマトソースが好みだから、カイエンペッパーもまとまった量入れる。
服に跳ねない程度に、それでも勢いよくトマト缶を手鍋に移す、塩、砂糖も同時に振るう。
水気が飛んで、鍋底を木ベラでなぞるとペーストが道を開けるようになったら赤ワインを注いだ。何かが少しだけ不安だから水も少しだけ足した。
アルコールが飛んで、味見をして、そうしたら早くナスとベーコンと一緒にトマトスパゲッティにしてあげたくなった。
パートナーの帰りを待つ料理の夜が僕は好きだ。
1人で手を動かして、頭ではパートナーが食べるところを想像しながら、音楽と換気扇のノイズに包まれる夜が好きなのだ。
風呂に入り、枝豆とビールを流行っているアニメを2人で観る。
僕たちは昨日からずっと、トマトのパスタを待っている。
手をかけてトマトソースを仕込んだ。
普段使わないベーコンを買って、5本で200円しないナスに感謝しながら、ずっとトマトのパスタを待っている。
パスタ作りの8割は茹で加減で決まってしまうから、タイマーに頼らないで、こまめに一本鍋からすくって茹で加減を確認した。
前歯で噛んで、スコっと抜ける感じ、アル・デンテに茹でたスパゲティ。
シンクがボコんとするのに構っている暇はない、大急ぎで、でもどこかクールというか、シャープに、ザルにスパゲッティをあける。
立ち込める湯気で視界が白む。
ベーコンとバター、オリーブ油の旨みをナスに移し終え、塩と黒胡椒でスマートに整えられたフライパンに熱々のスパゲティを放り込む。
シャコシャコかき回して、トマトのソースもお玉ですくって和えていく。
ほとんど丸1日待ちわびた瞬間だった。
伊丹十三なら、盛り付け皿はオーブンか何かで温めておくんだろうな、と思いながら、トングでスパゲティを巻き取って盛り付ける。
2人分盛り付けて、一目散にテーブルのパートナーの元へ、熱とパスタの魔法が解けてしまわないうちに。
「んンまっ」
器用にフォークでスパゲティを巻き取って一口食ってパートナーは呼吸のような感想を漏らした、多分きっと、僕の一番の幸せはこれだろう。
スパゲティとは葛藤の食い物である。
あれこれ考えて料理したのだから、時間をかけて舌で味わい尽くせば、もっと深いところまで僕たちを運んでくれるに違いない。
そうに違いないのだけど、巻き取ったナスもスパゲティも、トマトソースもベーコも口に入れたらもう止まられないのである。
舌先を突き抜けるほとんど刺激にも似た旨みを、
体の内側から打ち破って溢れるその多幸感を、僕たちは本能と空腹に任せて貪るしかないのだ。
時間かけなくても作れるスパゲティを、時間かけて、1日そのことが頭の片隅にあって、ようやく手に入れたそのトマトのパスタを気がついた時にはもう食べ切ってしまう寸前なのだ。
一口目のインパクトのまま食べ進めたトマトのパスタは、
残すところあと一巻きか二巻き分。
スパゲティとはそういう食べ物なんだ。
残ったトマトソースを明日の朝、オムライスにする計画を思いつく頃には、パスタ皿などはもうすっかりソースの赤くて黄金色のオイルが残るだけとなっている
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