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kitchen,boil.

起きた瞬間から「何、食べようか。」と考えはじめるのが僕だ。

1人暮らしとパスタの関係はよもや語るまでもない。
語ろうとするならば、どうしたってそれはどこかナイーブな文章になってしまうだろう。

たっぷりのお湯に数%の塩、グツグツバコバコと沸騰する鍋の中にキチリと150グラム計ったスパゲッティを放り込む。
黙々とひたすらに、タイマーが鳴るまでの7分半の間、僕は祈るように茹でる。
誰の為に茹でるわけでもない、自分1人のための自分1人によるスパゲッティを茹でるという行為に孤独を感じずにはいられない。
沸騰を続ける鍋はスパゲッティの澱粉を溶かし泡立つ、僕さえも飲み込むように。
デュラムセモリナ、きっと、恰幅のよい陽気なイタリアのおじいさんが育てたに違いない。黄金色に色づいた小麦畑出身のスパゲティの行き着く先が、日本人の孤独の腹の底だと知っても小麦は笑って許してくれるだろうか。

なんて、そういうことを考えながら、2人で暮らしているパートナーと僕の朝ごはんに素麺を茹でている。
シラスと水菜を添えてフォー風煮麺にするのだ。
僕はパートナーに気づかれないように、
ナンプラーを垂らす。

今日は休みの日だから、自分の昼飯も、2人の晩ご飯も僕が料理するだろう。
昨日のうちから「トマトのパスタが食べたい」とリクエストをもらっている。
朝に素麺を茹でている時も、自分用の昼飯にインスタントラーメンを茹でている時も、晩ご飯のパスタのことを気にしている。
出合いたての頃、なんとなくいつもパートナーからのLINEを待っていたような気持ちを思い出した。

地元の仲の良い友達が1人で茹でて作って食ったアーリオオーリオをストーリーズに載せていたのも昨日のことだ。
1人暮らしの給料日直後は支払いで金がないことをよく嘆いた、だから僕もよくスパゲティー・アル・ブーロを作って食った。
ぎょうぎょうしい名前のこのパスタ、何の事は無い、具なしのバターのパスタである。
チーズさえないから仕方なくたくさんの黒胡椒と卵の黄身を落として食った。

僕はこれからも茹でるを続ける。
利他と孤独の隙間に位置する祈りにも似た個と向き合う時間。
やめることのできない食うこと、その一端を担う茹でるという行為。
数分先の食事と、その後の自分、手の届く半径2メートル以内をほんのりと幸せにする行為、時には前向きにもするかもしれないし、僕個人で見た時には内省の時間なのかもしれないし、ただ食うまでの最短ルートなのかもしれない。

これから僕はキッチンに立って、スパゲッティを茹でる。
仕事帰りのパートナーのお腹も満たすために、「トマトのパスタ」を料理する。

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