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ハードワークは悪か?(2/2)【創作のための仕事論(3)】

1はこちら。

切実なハードワーカー

前々から何度か書いていますが、わたしが企業に勤める最大の理由は、

  1. 死ぬまで創作を続けるために、

  2. 精神的安定が必要だから、

  3. 定収を得る。

てな塩梅です。
そして「やりたいことしかできない」わたしが長く勤めるためには、「自己裁量権を得る」のが唯一の方法だと考えました。

だけどもちろん、

「わたしはやりたいことしかできない性質なので、好きにやらせてください!」

と主張して「いいよ」と言ってくれる職場なんて普通ありません(あったらいいなあ)。起業やフリーランスなら叶うのかもしれませんが、そうなるとそもそも「精神的安定が必要だから、定収を得る」という前提を満たしにくくなります。

じゃ、どうしたら自己裁量権が手に入るのか?
シンプルに言うと、

「成果を出す」

しかありません。
仕事ができるようになって周囲や上司に一目置かれれば、徐々にでも

「あいつのやりたいようにやらせてもいい」

ということになっていくと考えています。

「いやそんな簡単に言うなよ、成果なんてそうそう出ないよ」

と思った方、とても正しいです。
ビジネスの天才ならともかく、わたしのような凡人(以下かも……)がまともにやって成果なんて出ません。

だから、結果としてハードワークになるのです。
とりあえずやってみて、たくさん間違えて、考えて道筋を整えて、やるべきことを身体に覚えさせながら、まずは小さくでも成果を上げていく。
そのためにはどうしたって絶対的な時間が要ります。しかし悠長にやっていると、誰かが事細かに口出ししてくるリスクが上がる。

才能のない分を時間で誤魔化すので、必然的に長時間労働になりがち……というわけです。

なんでも楽しむ精神が自分を救う

「ちょっと待って。やりたいことしかできないのにハードワークはできるの? じゃあ、ハードワークはやりたくないわけじゃないの?」

という疑問を抱かれた方、ありがとうございます。それが次の話です。
わたしの場合は退屈や我慢が最も耐えがたいので、半ば自動的に、

「やるからには、せっかくだからなんでも楽しむ」

という精神で生きています。これは仕事に限らず。

いつの間にかそうなってた感じですが、要するにこれは「退屈や我慢が嫌い」というのと表裏一体です。好奇心が強くて楽しいことがいっぱいあるからこそ退屈や我慢が嫌いだし、退屈や我慢が嫌いだからこそ楽しいことを探すのにはある程度長けている。

ただしこの「なんでも楽しむ」にどうしても入らないのが、誰かの言いなりになることです。

「自由のない環境で、言われるがままやるのも時にはいいよね!」

とは、思えたことがありません。控えめに言って大っ嫌いです。

逆に自己裁量権さえあれば、ある程度のことは楽しめるんですよね。
自分の思うようにできて、楽しめて、前に進んでる感があって、小さくても成果が出れば……結果ハードワークになってること自体は、耐えられないほど苦痛ではありません。というか、自身の意識としてはハードワークになりません。

だって、わたしにとっては物語をつくることほど(客観的事実として)ハードワークになってることはないですから。
気分さえ乗っていれば朝から晩まで書いても苦になりませんし、というかむしろ最高の時間です。日中から書いて気付いたら深夜どころか朝方になってたときでも、清々しさを覚えます。
仕事でそこまでの状態になることはありませんが、物語を書くという行為に比べれば、いくら仕事をやっても「大してやってない」という感覚です。

で、結局ハードワークは悪か?

さてそろそろまとめに入ります。
この話題の最初に、

「あなたはハードワーク肯定派ですか? 否定派ですか?」

と書きましたが、ここまでお読みいただいた方なら、わたしの考えはお解りいただけると思います。

「どっちでもないです」

あ、石投げないでください。二択じゃないのかよ、と言いたくなるのはごもっともです。
でも、何事もそうですけど、文脈抜きで良し悪しを語るっておかしくないですか? 長時間労働をひとまとめに「良い」と言うのも「悪い」と言うのも危険です。

だってわたし、ハードワーク一切禁止って言われたら、かなーり困りますよ?

  1. ハードワークできないと、

  2. 才能のなさを時間で埋められないから、

  3. ただでさえ出ない成果がもっと出ず、

  4. 他者に介入されて自己裁量権を失い、

  5. 耐えられずさらに仕事のパフォーマンスが落ち、

  6. 精神が不安定になり、

  7. 創作活動どころではなくなる。

てな感じになるのが目に見えてます。
というか、わたしもそこそこ社会人生活が長くなってきたので……「そういう時期もあった」と言うほうが正しいです。

創作を続けるために働いてるはずなのに、それで精神の安定を失って書けなくなるなんて、本末転倒もいいところです。

でも、これが普通だなんて全然思いません。わたしも基本的には「できれば働きたくない」「毎日定時で帰りたい」と思ってるわけですから、長時間労働なんてしないにこしたことはないです。実際長く働けば働くほど、時間当たりの効率はどうしたって落ちますし。
特に「他人に強制される長時間労働」なんて、くそおぶくそです。無理矢理1時間やらされるくらいなら、自らの意思で3時間やるほうが遥かにましです。

極端だと思われるかもしれませんが、これはわたしが戦略や企画を扱う仕事をしているからかもしれません。
つまり「正解が解りにくい仕事」であり、物語をつくるのと性質としては似ています。「誰かの言いなりで創作活動をさせられる」って考えたら、やばくないですか?

まあそんなわけで。
ハードワークの良し悪しはそのひとそれぞれの置かれている環境や性格性質によるので、一概に悪とは言えないというのがわたしの考えです。その企業の成熟段階とか、そのひとの職場での立場や職歴にもよると思いますし。

ただ、どんなケースだろうと他人に強制されるハードワークはこの世から跡形もなく消滅することを切に願います。だって意味あるそれ?

あ、ちなみに自主的にハードワークする場合も健康面には十分留意する必要があると思います。身体を壊したらやっぱり創作どころじゃなくなりますからね。それも含めてストレスをコントロールし、心身の健康を保つためにやるのが良いハードワークの最低条件かと!


と、いうわけで今回は以上です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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