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不幸にも、幸せは保存できない(2/2)【血迷いがちな幸せ論(2)】

1はこちら。

幸せは「探すもの」へ

で。
かつて幸せを感じた行為などに慣れて、なかなか幸せを感じられなくなったひとがどうなるかというと。
自分が欲しいものがなにか解らなくなります。

そうなると、まずは概ねふたつのルートに分岐するでしょう。

ひとつは「インスタントな刺激に走る」。
もうひとつは「自分が本当に欲しいものを探す」。

前者はまあ、例えば解りやすい消費活動です。エンタメ動画とかソシャゲとか。「彼氏欲しい」とか「贅沢したい」とか言うのもこれに紐付く欲求でしょう。強い依存性があるもので言うとギャンブル、セックス、ドラッグも当てはまるんじゃないでしょうか。

後者は「自分がなにに対して幸福を感じやすいのか」を、本質的なレベルまで考え抜くということです。これは結構しんどい行為だと思います。
まず「考える」という行為自体、脳にとって大分負担になります。
苦労して考えたところでなかなか見つからなかったりもするでしょうし、見つかったとして、手に入れるのは困難かもしれません。

例えば「そうかわたしは承認欲求モンスターなんだ! ユーチューバーになってチャンネル登録1千万を目指そう!」とかいう道を見つけても、挫折確率は99%以上かと。

いや仮に、チャンネル登録1千万のユーチューバーになって幸せを得たとしてもですよ?
流れとしてはこうなります。

1, 幸せは保存できない。

2, 人間は慣れるので、前に得たもので幸せを感じなくなる。

3, なにが欲しいのか解らなくなる。

4, 自分が本当に欲しいものを探す。
「そうだ、Youtubeやろう」

5, 見つけて、手に入れて幸せを感じる。
「承認欲求満たされまくりぃぃい!」

1に戻る。

やっぱりどう足掻こうが「幸せは保存できない」ので。
なにを得ようと確実に、振り出しへ戻ります。

しかも昔のゲームみたいに(?)二周目以降は前よりハードモードです。幸せを感じるための難易度はどんどん上がっていきます。

そうなるといずれ、3とか4とか5の時点で壁にぶつかって、結局「インスタントな刺激に走る」ということになりかねません。
まあ、もちろんインスタントな刺激にもそのうち慣れますから、さらに強い刺激を求めて……と繰り返すと、大抵人生が破綻しかねません。

偏見入りですが、一度は成功したはずの芸能人やプロスポーツ選手が大麻所持で捕まったりするニュースを見ると「そういうことかな?」と思います。
あ、ちなみに世界から浮気や不倫がなくならない理由のひとつもこれでしょうね。

「じゃ……じゃあ人生には結局『インスタントな刺激に走る』か、『自分が本当に欲しいものをループしながら一生繰り返し探し続ける』というルートしかないの……? でもどっちも行き着く先は壁にぶつかるんだよね?」

と悲愴な顔つきでおののくあなた。
とりあえずひとつ違う道として、ぱっと思い浮かぶ方法があります。
それは、

「欲する人生から降りる」

ってやつです。つまり出家。

「俗世から離れ、欲を捨てて解脱しましょう!
 座禅を組んで煩悩を退散させるのです!」

あ、引かないでください。冗談です。
でもわりとマジで、だから仏教ってやつはこんなに長い歴史を持ってて、こんなに広まったんじゃないの? と思います。
人間の欲にはきりがないのだ、的な。

でも個人的にわたしは、「欲する人生から降りる」という選択が好きじゃありません。むしろ欲望にまみれた人間てぇやつが、大好きです。
「インスタントな刺激に走る」のではなく、苦しみながらも「自分が本当に欲しいものを探す」ひとを見ると嬉しくなりますし、後者が望ましいと解っていながら前者に偏ってしまいがちな弱さも含め、大好物です(悪趣味?)。

まあ、欲をある程度コントロールすることは大事だと思いますけど、あるものを「ない」と言うのは無茶だなあと。


というわけで、この話題は以上です……ってなると全然救いがないですね。

「幸せは保存できないし、しかも慣れるものだからいつか壁にぶつかります。だから出家しましょう! あるいはもがき苦しんで生きていきましょう!」

というのが結論だったら、わたしはとっくに頭を丸めて滝行に身を投じてます。
まだ一応(?)俗世にまみれており、死ぬまでまみれ尽くす気満々です。

そもそもなんでこんな話を始めたかというと、サブタイトルどおり、

「幸せについて、ひとは『血迷いがち』なもの」

だと思うからです。

わたしのごく狭い範囲の交友関係の中でもこれまで、幸せになりたいはずなのに、逆行するような行動に走るひとをたくさん見てきました。

それがなんでなのか。
わたし自身はどうすべきか。
そういうことをわりと考え続けてます。

もちろんわたしも人間ですから、「インスタントな刺激」もそこそこ求めちゃうほうです。けど考え続けたおかげか、過度に偏らず、長年幸せを生み出し続けるための方法……というかメカニズムをある程度確立できています。
そして多分このメカニズムは、これからも大きく変わらないだろうと思うのです。

「血迷いがちな幸せ論」では、その内容について書いていこうと思います。
そのメカニズムが、わたしの文書きとしてのスタンスを決定付けていると言っても過言ではなく、実はnoteを始めた理由にも繋がります。


と、いうわけで今回は以上です。

お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!

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