不幸にも、幸せは保存できない(1/2)【血迷いがちな幸せ論(1)】
「幸せになりたいひとー?」
って訊いたら、たぶんほとんどのひとが
「はぁぁぁあいっ!」
って手を挙げると思うんですよね。
※ただしリアクションには個人差があります。
突然なに言ってんだこいつ? って感じかもしれませんが。
わたし、人生の最終目的って、どんなひとでも「幸せになること」だと思うんですよ。
そして「幸せになること」ってそんなに難しくないと思うんですけど。
これが「ずっと幸せであり続けること」になったら、途端に難しくなると思ってるんですよね。
というわけでこんにちは、さらばです。
「血迷いがちな幸せ論」などという文字どおり血迷ったサブタイトルを付けてみましたが……最初のテーマは「不幸にも、幸せは保存できない」です。
幸せになるのはわりと簡単
「なに言ってんだ全然簡単じゃねえよッ!」
と憤られた方、どうどうです。
すいません、とりあえず落ち着いてください。
いやそもそも「幸せ」ってどういうことかっていうと、幸福感を得る脳内物質が出てる状態だと思うんですよ。
ドーパミンとかセロトニンとかオキシトシン? とか、まあ色々あるみたいなんですが、細かいことは置いといて、要はそれらが出たら「幸せになること」は達成です。
んで、例えばそれっておいしいもの食べたりすると出るみたいなんで。
ね? 簡単でしょ?
「全っ然簡単じゃねえよバカにしてんのかァッ!?」
と憤って立ち上がられた方、ハウスです。
申し訳ござらんですがもうちょいだけ座っといてください。
いやあの、ほら、少なくとも子どもって結構簡単に幸せになるでしょう? お菓子食べさせたり、抱き締めたり、走り回って遊ばせたり、あとちょっと冗談言うだけで幸せそうにキャッキャウフフするじゃないですか。
だから少なくとも人生で一度だけでも「幸せになること」は、そこまでのハードルじゃないと思うわけです。
けど思春期あたりから段々「承認欲求モンスター」とか「モテたい子ちゃん」とか「目指せ年収一千マン」とか「ワークライフバランサァァ」とか、まあまあ色んな形で「もっと幸せになりたい」欲を持ったひとたちが爆誕します。
なんでか?
幸せは保存できないからです。
幸せは保存できないし、しかも慣れる
上で言ったとおり、脳内物質が出てる状態が「幸せ」だとして。
好きなときに出せたらいいんですけど、そうもいきません。
脳内物質は出っぱなしにならないですし、出なくなったら幸せは消えます。
んで、一度感じた幸せをまた感じたくなるのが人間てやつです。
例えばこんな感じですね。
しかし、さらなる悲劇が我々を襲います。
そのうちこうなります。ええ、必ず。
なぜならひとは慣れる生き物だから。こりゃもうね、しゃあない。痛みにだって悲しみにだって慣れるんです。適応能力の一環ですから、メリットだってたくさんある。
でも幸せについて言うと悲劇。悲劇以外の何者でもない。
これが「同じお菓子を食べてると慣れて飽きる」くらいの話だけならまだいいですよ?
けど多分、ほとんどなんにでも慣れるんです。
友だちと仲良くなっても、就職に成功しても、仕事で評価されても、年収が上がっても、恋人ができても、結婚しても、子どもができても、なんらかの夢を叶えても……幸せは保存できないし、しかも慣れます。
前に得たもので段々幸せを感じられなくなると、自分が一体どうすれば幸せになれるのかが解らなくなっていきます。
つまり幸せを感じるメカニズムが複雑化するんです。
あぁ怖ッ……これ、怖くないですか?
と、いうわけで次回へ続きます。
果たしてこの話の先に救いはあるのか?
お読みいただきありがとうございます。
さらばでした!
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