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御教え

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金光大神(こんこうだいじん、金光教の教祖)の御教えを,毎日頂きます。
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2021年2月の記事一覧

月役は人間のできるもと

月役は人間のできるもと

女の月役(つきやく)を汚れ不浄と申しておるが、これは大間違い。この金神は、月役を汚れ不浄とは申さんぞ。

月役は人間のできるもとであろうがな。これが汚れ不浄なれば、女も男もみな、いつまでも汚れであるぞ。

ここをよく承り、合点しなされよ。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

月末を迎えさせていただきました。ありがとうございます。
北海道は3月の声を聞くとほっとす

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日柄方角、汚れ不浄ということをお廃し

日柄方角、汚れ不浄ということをお廃し

汚れ不浄ということも昔はあれど、ただいまにてはお廃しとなりました。

西の方から江戸まで行っても、関所ということもなし、また総門(外回りの門)ということもなし。

日本国はあけ放しとなり、お上よりご規則が変わりたから、金神様もご規則お変えなされ、日柄方角、汚れ不浄ということをお廃しとなりました。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

国の規則が変わったから、日柄方

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商売なら繁栄を願え

商売なら繁栄を願え

商売なら繁栄を願え。百姓なれば満作を願え。繁栄すれば金銀に不自由なし。それ、かかり物(公共負担金)じゃの、それ税金じゃのと申しても、さしつかえなく出せば戸長さんに叱られることなし。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

体の丈夫、商売の繁栄、百姓の満作。
当たり前のことを願う。そして、そのおかげを頂く。生きることの根本だと思います。恋愛は成就したいし、試験には合格

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好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい

好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい

好きなれば、牛肉なりと、かしわなりと食べい。下戸に酒を持って行っても飲まぬ。好きで食べれば、血肉になりて身が丈夫になる。丈夫になれば、神様に、痛いから治してくだされと言うことなし。

 金光教教典
 353頁
 鳩谷古市
 1

おはようございます。

鳩谷古市(はとや・こいち)という方は、今の岡山市の人。明治7年か8年の頃、教祖様のお広前にはじめて参拝しました。

この時、鳩谷古市さんは、自分は

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今日からは、双方ともに神である(続き)

今日からは、双方ともに神である(続き)

今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

「双方ともに神である」とは、人がそのまま神であるということです。今日は、このことについて求めていきます。

最初に申し上げておきますが、これは、わたしがこのように頂くということ

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今日からは、双方ともに神である

今日からは、双方ともに神である

今日までは、夫と言い妻と言っていたが、今日からは寅の年に金子大明神、卯の年には金子明神というご神号をさし許してやる。今日からは、双方ともに神であるぞ。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

仁科志加先生が裸参りをしていくと、教祖様は「神に一心が届いた」とおっしゃいました。そのお言葉に続けておっしゃったのが、この御教えです。

神になるとは、夫であり妻である、それは

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神に一心が届いた

神に一心が届いた

今日は神に一心が届いた。寅の年の病気も、さっそく全快をさしてつかわす。その方は、まことに一心の定まる女である。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

自分の腹から練りだした信心をせよ、そうでないと夫の病気のことにつき取り返しのつかないことになると教祖様に言われて、志加先生はその帰り道、裸参りをしようと思い立ちました。

帰ってそのことを母親に話すと、母親は反対をし

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自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない

自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない

人に教えられてするような信心ではおかげにならない。自分の腹から練り出した信心でなければおかげにならない。

 金光教教典
 351頁
 仁科志加
 3

おはようございます。

一心が足りないとあとで悔やむことになると、教祖様から御教えを頂かれ、志加先生は、いっそう信心に励まれました。

それでも、「まだ信心が足らない。二月八日が来るぞ」とのご理解があり、ある日、「一生懸命に信心しないと、取り返

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その方はまだ一心が足らない

その方はまだ一心が足らない

備前岡山の士族の子供らが寄り合って、ともに遊んでいた時、その子供のうちの一人が竹光の刀を持っているのを他の子供らが知り、「お前は竹光の刀を持っている。それが何になるのか」とあざけった。

すると、その子供は「ばかを言え。そんなら、ともに勝負をしよう。しかし、だれ一人も命を失ってはならないから、あの岩を切って、ともに勝負をしよう」と約束をし、ほかの子供らは、みな有名な刀でその岩に切りつけたが、いずれ

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神は一粒万倍にしてやる

神は一粒万倍にしてやる

うちにも今日は、みな取られてしまった。みな取られてしまっても、惜しいとは思うな。

みな取られたら、壁を目当てに拝め。神は一粒万倍にしてやる。

今信心をやめると、神は取りぎりにするぞ

 金光教教典
 348頁
 仁科志加
 1

おはようございます。

志加先生が、お取次の御用をしていると、村内の者に御神前のものを取り片付けられるという問題が起こりました。どうしたらいいですかと教祖様にお尋ね

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この神を祈って人を助けてやるがよい

この神を祈って人を助けてやるがよい

その方は、これからは、この神を祈って人を助けてやるがよい。

 金光教教典
 348頁
 仁科志加
 1

おはようございます。

志加さんのおかあさんは、その後、全快しました。これはその時のお言葉です。
「これからは」というのは、他の神様を拝むのではなくという意味です。

志加さんは、「わたしにはそういうことはできません」とか言わずに、このお言葉をそのままにお受けになったと思われます。そのことは

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神徳を授けてやる

神徳を授けてやる

今言ったとおり神徳を授けてやる。

 金光教教典
 348頁
 仁科志加
 1

おはようございます。

教祖様が志加さんの家のことを絵図面を見るように描写し、志加さんは、そのとおりであることに恐れ入ってしまいました。

そして、この御教えの通りでした。
帰ってみると病人は、ちょうど、志加はもう大谷へ行き着いて参詣しておろうという時分から苦りが落ち着いて、ご飯を食べて、休んでいたということでした

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神が今言ったことは違うか、どうであるか

神が今言ったことは違うか、どうであるか

今、神が言ったことが違うか。違っていたら、再び来るな。よく合っていたら、信仰してこい。

子の年は、志加は、もう大谷へ参り着いているであろうかという時分から、苦り(にがり)が落ち着いている。帰ってたずねてみよ。

氏子、神が今言ったことは違うか、どうであるか。

 金光教教典
 347頁
 仁科志加
 1

おはようございます。

教祖様は、絵図面を見るように志加さんの宅地の様子を表現されました

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一心の心をもって

一心の心をもって

かれやこれやと心を迷わさず、一心の心をもって三か年祈願せば、病根を断つべし

 金光教教典
 347頁
 難波幸
 1

おはようございます。

今年で命が終わるという話を聞いて難波幸先生は、「私には当時、西も東も知らぬ幼少の娘あり、今にして死なば、一家の浮沈にも関することゆえ、なにとぞ一命お救いくださ」いと、お願いされたのでした。

そのお願いに対して、上のお言葉がありました。

*

難波

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