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その方はまだ一心が足らない

備前岡山の士族の子供らが寄り合って、ともに遊んでいた時、その子供のうちの一人が竹光の刀を持っているのを他の子供らが知り、「お前は竹光の刀を持っている。それが何になるのか」とあざけった。

すると、その子供は「ばかを言え。そんなら、ともに勝負をしよう。しかし、だれ一人も命を失ってはならないから、あの岩を切って、ともに勝負をしよう」と約束をし、ほかの子供らは、みな有名な刀でその岩に切りつけたが、いずれも刀の刃が折れてしまった。

そこで、竹光の刀を持った子供は「お前らはどうしたのか。これを見てくれ」と、竹光の刀でその岩に切りつけた。すると岩はまさに二つに分かれたので、ほかの子供らはみな感心したという。

まことに一心というものはえらいものであるが、その方はまだ一心が足らない。寅の年(仁科松太郎)も二月八日には、昼の丑か夜の丑かに、まことに一命が危ない。一心が足らないと、後で悔やむぞ。

 金光教教典
 350頁
 仁科志加
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おはようございます。

志加先生が始めてお参りしておかげを頂いてから5年ほど経った慶応2年12月24日夜、夫の仁科松太郎がにわかにさしこみ(激しい腹部の痛みが起こり)、その夜は一時治ったのですが、その後、病床に打ち伏すこととなりました。

志加先生は翌年正月2日から日々お参りしました。上はそのある日の御教えです。

何日の御教えかは書かれていませんが、ひと月後には夫の命が危ないと言われたことになります。

このあと、志加先生はそれこそ必死に「一心」のあり方を求めていくことになりました。と言うか、求めずにはおれないことになっていきました。

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天地書附に「一心に願」とあり、日々、唱えています。唱えない日はありません。

その一心とはどういうことか。
教祖様のこのあとの御教えと志加先生のご信心から学ばせていただくことがたくさんあります。

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