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#エッセイ
誰がために鐘を鳴らすか
7〜8年前のこと、フリーター時代に、平日の誰も来ない展望台の売店で店番をしていて、あまりの暇さに頭がぼんやりとしてきたそのとき、ある小説のストーリーが思い浮かんだ。それを実際に書いてみると、自分の気持ちが溢れてきて、表現の巧拙はともかくとして、その訴えたい内容は、これから先の自分の書く文章の行く先を示す羅針盤のようなものだと気付いた。それから何回か手を入れた小説をnoteに投稿した。
私は、私の
ねがいごとをしないで
7月7日。今日ひとつ、願いごとが叶った。人を傷つける願いごとが叶った。
人を傷つけたくないという願いごとは、いつも叶うことがない。
自分のために祈るのをやめたとき、自分を愛する人を裏切り、自分のために祈るときもまた、同じ。
私が眠りにつくとき、世界に平和が訪れる。ずっと眠っていたい。
7月7日。ねがいごとなんかしてないで
ひこぼしになって、やってきて
さおりの「おり」は、おりひめの「おり
自由でいられますように
大阪の伯父が、入院先の病院の水道や電気などの設備がメタメタ(私の母の表現)になって転院を余儀なくされたとのこと。でも本人は元気そうで、無事、転院先でも透析を受けられていると聞いてホッとしました。
伯父の看病で大阪に行っている母も言っていましたが、関西方面の方々は、まだ余震などで不安を感じていらっしゃる方も多いかもしれません。何も出来ず、こういうときにどういう言動をすればいいのかも分からず大人になり
雪の女王の謁見に敬礼を
10年ほど前に、4年間、仕事の関係で札幌に住んでいた。
今は関東にある実家の近くで久しぶりの一人暮らしを満喫している。関東にも、積もるほどの雪が降った。
札幌に住んでいるときは、冬が来るのが怖かった。同時にとても惹かれていた。夜のすすきのの街でオレンジ色の街灯に照らされた雪の影がチラチラと、積雪のある道路に流れると、胸がドキドキした。寒さは、いつまでも慣れることはなく、一度経験すると、その恐怖