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片っぽだけ失くす

昨日、雪の混乱のなか、イヤリングを片方なくした。貰ったもので、とても大切にしていたから、あっけなく失くしたことに、かなりショックを受けている。

今年は、手袋も片方失くした。何度も何度も失くすので、しばらく手袋はつけないで何年か過ごしたが、今年は絶対に失くさないように、ちょっと高めの気に入ったものを買おう、とかなんとか言って、その通りにしたら、失くした。こちらはもう諦めきれず、片方の手袋だけ持ち歩いている。片っぽだけの手袋が、もう片っぽを呼んで、いつのまにか手元に戻っている、なんてことを期待している。

だいぶ前に、「ガラスの仮面」という少女漫画の最新刊を読んだ。なかなかストーリーが進まないので、イライラどころか、なんかもう諦めとかも通り越している。この気持ちは呆れている、というのかもしれない。作品としては素晴らしいのですが、終わらないと、なんとも言えない。まぁガラスの仮面の話はどうでもいい。ガラスの仮面では、少女漫画的な「運命の人」を「魂の片割れ」と表現している。元は一つの魂が、この世で二つに分かれている。その魂の片割れを人は求めている。そして、その魂の片割れ同士が、主人公のカップルなのだ。

トーマス・マンの小説でも、カフカでも、双子のような対でセットのキャラクターはよく出てくる。対の存在は、第一にバランスがいいから、使いやすい。見た目にも派手になる。平凡だったり、ありきたりなキャラクターも、二人になると、非凡になる。双子がクスクス笑っているだけで、秘密、不穏、エロス、いたずら、のようなキーワードが浮かぶ。ただ、この対の存在は、象徴であったり、キーワードではあるが、物語の主人公には、なかなかならない。バランスが良すぎて、そこで完結してしまう恐れがあるからだ。あるいは、二人が引き裂かれてから冒険が始まる。

調和があって、バランスが取れている状態がある。そこから、片っぽだけ失くす。不均衡になる。そこから物語が始まる。宇宙の成り立ちと同じだ。プラスとマイナスが同数なら、何も起こらない。ただし、破れが生じて、不均衡が生まれた時、旅が始まる。片っぽが、片っぽを求める。正義が悪を、悪が善を求めて戦う。片っぽだけ失くすのは、つまり何かの始まりなのかもしれない。

片っぽだけ手袋をはめて、片っぽだけのイヤリングを大事に鞄に入れて。

そうして、ブラブラ、いつもの街を歩く。


#エッセイ

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