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年末年始、実家に帰り感じた寂しさと希望

年末年始。いつもと違う空気感で、なんとなくソワソワする。

今年の年始も、夫の実家と自分の実家に帰った。

自分の実家に帰る際は、妹やその旦那さんも来るので、年末年始やお盆は広い家の祖母の家に集まる。父や母も。

昨年までは、耳は遠いけど頭はしっかりし、少々細かくて口うるさい祖父と、そんな祖父を「うるさい男じゃねぇー」とスルーする楽観的で世話焼きな祖母がいた。

たくさんのご馳走が並ぶ食卓では、よく祖父と祖母はコントみたいに軽口をたたいていた。性格が真逆だな、よく結婚したよなぁ……とおそらくその場にいる皆が思いながら、そんな様子を微笑ましく見ていた。

家族が集まる場では必ず登場していたのが、なます。祖母の作るなますは美味しかった。きゅうりやタコも入って、食べ応えがある。味付けも絶妙だ。

とても美味しいので「どうやって作るのだろう?」と祖母にレシピを聞いたけど、なぜかいつも忘れてしまう。

もしかすると、心のどこかで「またいつでも聞けるからいいや」と思っているからかもしれない。「また今度」があるから、と。

ありふれた、当たり前の光景。なんてことのない年始の光景だった。

楽しくて話が弾むこともあると同時に、ちょっぴり面倒や煩わしさもあって……親族の集まりなんてそんなものだ。

ずっと、これが続くのだろう。無意識に思っていた。

だけど、今年は祖母1人。昨年までいつも祖父が座っていた場所には、亡くなった祖父の仏壇がそこにあった。

わたしの出産2週間前に、祖父は亡くなった。

里帰りしていたあの日、あのとき。病院からの一本の電話。料理中だった母は動揺したのか、めったに包丁で指を切ったりしないのに指を切り、絆創膏を貼っていた様子は多分一生忘れない。

認知症が進み、さらに昨年事故で手も骨折した祖母は、今はなますが作れない。現在は専門のヘルパーさんがいる施設で過ごしている。

父と母は、祖母の介護で休日はバタバタしているみたいだ。母は、少し疲れた顔をしてこっそりわたしに愚痴を漏らし……けど最終的には「大丈夫だから」と笑っていた。

わたしの名前は、祖母から終始違う名前で呼ばれていた。わたしと顔が似た親族がいるらしい。笑顔で楽しそうに「わたしではなく、似た親族の名前」を呼ぶ声をなんとも言えない気持ちで聞いていた。曖昧に笑って返す。

「名前を間違われるって、少し寂しいのだな」と、ふわっとここではない所にいる感じがするもう1人の自分が客観的に感じながら、実体のわたしはぼんやりしていた。

こういう感覚のときは、決まってなんとなくショックをやわらげるとき場面のときだ。もう1人の自分がスッと客観視する。他人事であるかのように。

広くて立派な祖母の家は、最近は荷物を取りに帰る父が出入りする程度で、ガランとしているらしい。

あぁ、一年で私たち家族は変わってしまったのだな。

当たり前だけど、確実に時は進んでいく。「ずっとこのまま」なんて本当は幻想なのだ。当たり前なことを体感した。

外に出て、風に当たる。

祖母の家のすぐ近所にある、小学生の頃に妹と通っていた習字教室だった家はなくなり、立派な新築の家に建て替わっていた。多分、違う人が住んでいるのだろう。

それが何を指しているのか、思考がわかろうとする前に、あの頃を思い出していた。

習字教室にいた、祖母と年齢が近い高齢の先生の顔。

生徒である、小学生や高校生の後ろ姿。

教室の縁側から見える緑がいっぱいの庭と、外を眺めてぼんやり佇む先生。ポカポカする日曜日の日差し。

いつまでも、器用な妹には勝てなかった習字の階級。

小筆で書く文字がぼやけてうまく書けずに、いつも半紙の左下に不自然に大きくなるわたしの名前。

習字が終わった後に他校の小学生の友達と話すのが楽しみで、早く終わらせたかったこと。

普段は人の名前や顔を忘れて覚えられないことも多いのに、不思議と脳内に思い出せる、あの頃の習字教室での光景。

あの頃に戻れそうで絶対に戻れない。時は進行している。けど、脳内には確かに「そこに」ある。

年末年始って、そんなの中の記憶と現実との違いや矛盾をふと感じる瞬間が多い。

少し寂しくも、ときにはホッとしつつも……前に進むしかないことを改めて自覚する。

だからなのか、過去の思い出を共有できる人がいると、それだけで心が癒されるのかもしれない。思い出話に花が咲いて楽しそうな大人の心理が、少し理解できた気がする。

温かい記憶はもちろん、つらくて少し寂しい記憶でも。

習字教室の家から目を離して、目の前を見た。そこには、「習字教室に通っていた小学生のわたし」が出会うことも想定していなかった主人と息子が歩いている。

生きていると、何かを失うこともあるけれど、新たに得たものも同じくらいあるのだな、と思う。ただ、それをくり返すだけだ。

どんなことがあったとしても、人は前に進むしかない。ときにはペースダウンしたり、後ろをふり返ったりしながら。

冷たい1月のひんやりした空気と曇り空に、少し太陽が差して柔らかく私たちを包み込んだ。

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