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【76球目】私を変えたきっかけ

このnoteでも書いたことがあります。
いわゆる覚醒ポイント
その中でも最も大きかったリーマンショックについて、今日は書いていきます。

リーマンショック発生

2008年の9月に発生したリーマンショック。
私は入社3年目を迎えて、10月から始まる川崎重工内での請負現場2ヶ所の準備に追われていました。

当初は日本経済への影響は限定的であるといった報道もあり、このショックが人生において私を変える最大のきっかけになるとは夢にも思いませんでした。

三陽工業として1つの幸運もありました。
この10月から開始の請負職場に当時、川崎重工への派遣で働いていた人を集約していたのです。
結果的に、派遣契約は翌年の3月で全てが終了、請負職場へ集約を進めていたことが、当社にとってはプラスになりました。

いま振り返ると運が良かったとしか言いようがありません。
そんな中、日本経済、グローバル経済はどん底へ落ちていきます。
結果、集約していない派遣現場に残っている人は全て2009年3月で契約が終了となりました。

自分を変えた出来事

この当時、三陽工業の売上高に占める川崎重工の比率は約90%です。残りの10%も川崎重工の子会社、関連会社に対しての売上であり、川崎重工への依存度は限りなく100%に近い状態でした。

仕事の幅が無かったこと。
そしてリーマンショックのトンネルがいつ抜けるか分からなかったこと。
1年で40%の売上減で結果的には済みましたが、感覚としては、もっと落ち込む感覚でした。

2009年3月から始まった三陽工業の第30期
この10数年では最も売上の低い年です。
718百万
。一生忘れない数字です。
そして、その前年において、会社都合での退職の申し入れをしています。

仕事がない、先が見えない。
自分でできることは自分からそれを伝えることだけ。
当時の部長と共に話をさせて頂いたり、時には1人で話をしたり。
苦言や罵声を浴びることもありましたが、こちらからは申し訳ないとしか言えませんでした。

この時の感情が自分を変えました。

なんて弱い存在なんだろう。
もっと強くて優しければ、こんな想いをしてもらうこともなかったのに。

もっと強くなりたい。
この経験を通じて、そんな想いが強くなってきました。

第30期

先ほども書きましたが、718百万の売上です。
ドルじゃないですよ。単位はです。

強烈に覚えています。
リーマンショックのトンネルがいつ抜けるか分からない。
1年を通じてプラスの話がない。
入社してすぐにもっと違う動きをしていれば、この状況も変わったのではないかという反省と、このままではどうしようもない、何かを変える必要があるという強烈な想いで、日々を過ごしていました。

とはいえ、何かが具体的にすぐ出てくる訳でもない。

毎日がしんどかった。
当時、1つだけ忙しい場所がありました。
ただ、そこで働いている人数は10名です。
全体をカバーできる訳でもない
そこに行った時は精神的に少し楽になったのは事実ですが、明石に帰ってくると現実を突きつけられます。

この時に、私と同世代の同じ環境の人間が最も親が悲しむ行動を取りました。葬儀にも参列しましたが、その状況を見るのが辛った。
その3日前に言葉を交わしていました。
「なぜ?」という想いと、「気持ちは理解できるけど…」というのが、その時の正直な気持ちです。

そして変わることができた

そんな経験を経て、自身が変わってきました。

数日前に書きましたが、動くことのリスク<動かないことのリスクが腹落ちしてきた(⇩こちらの記事参照)。

その為に、アンテナが常に高く張ってありました。
そして、最初に一緒にやり始めたのが、前職の会社で雇われ社長をしていた人物です。

結果、彼は独立するために当社を離れていきましたが、まずは一歩目を踏み出しました。その時にできた会社がアイコムという会社です。
その時に入社をしてきてくれたのが岩田さん林さんです。この2人はいまでも当社の中心メンバーです。

リーマンショックが私を変えてくれました。
リーマンショックで起きた様々な出来事が、私を変えてくれました。

リーマンショック後数年間の経営計画発表会新人研修では、常にその話をしていました。
いつしか、その話をしなくなりました

もはや戦後ではないという言葉がありますが、もはやリーマンショック後ではないと、経営計画発表会の資料に書いた記憶があります。
しかしながら、今の私の原点は間違いなくあの時です。

仕事がないことに恐怖を感じ、人に辞めてもらうことに弱さと申し訳なさを感じ、行動を起こせていなかった自分を責めていました。

そこから思考を変え、行動を変え、現在に至ります。

それに比べれば、仕事があることに対してのストレスは軽いものです。前へ進もうとしている時のストレス軽いものです。

そして、「いつでもあの状況になっても大丈夫」という腹の括りも出来ています。この12年間での私自身の貴重な財産です。

これからも、きっと多くの困難があることでしょう。
たまには、あの時の恐怖や不安を思い出しながら、前へ進んでいきます。

本日もありがとうございました。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!