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宮本浩次、大名曲『Do you remember』とソロ活動の理由

丁度一年前の今日、宮本浩次の1stアルバム『宮本、独歩』が発売された。そのアルバムの収録曲である『Do you remember?』はHi-STANDARD及びKen Yokoyamaの横山健とのコラボ曲である。

私はこの楽曲を初めて聴いた時、ぶっ飛んだ。こんなアグレッシブな曲を未だに宮本は作り続けられのか、と。然しそれは毎度のことながら感じている。ソロ活動開始直後からの『冬の花』『昇る太陽』というとんでもない名曲ラッシュ。正直に告白してしまうと私は宮本がソロをなぜやるのか、という疑問はあまり考えていない。宮本本人なりにソロとバンドは使い分けているそうで雑誌のインタビューなんぞでは「バンドではできない事をソロではやりたい。」と再三述べている。バンドではできない事、と宮本が述べる意味も私はわからなかったというのもまた事実である。別にエレファントカシマシで『昇る太陽』をやろうがストリングスチームを交えた『P.S I love you』をやろうがその他の曲をやろうが私は大歓迎である。或いはそっちの方がエレファントカシマシにさらなる奥行きが加えられて有益なのではと思った。然し私は『Do you remember?』以ってして宮本がソロ活動を初めた理由が明瞭に分かった。

今回の記事では楽曲『Do you remember?』を下敷きに宮本浩次ソロ活動の理由を探って行く。是非最後まで見ていってほしい。

宮本浩次を知らない方の為に

そもそも宮本浩次とは誰ぞや、という方の為に軽く説明を致す。

宮本浩次(1966~)日本のロックバンドであるエレファントカシマシ(1998~)のボーカル&ギター&総合司会である。小学生の頃にNHK児童合唱団に所属していた経歴があり10歳の頃『はじめての僕デス』でレコードデビューを果たした。

1988年、エピック・ソニーより発売された『デーデ』、『THE ELEPHANT KASHIMASHI』でメジャーデビューを果たす。以後、バンドで22枚のアルバム、1枚のミニアルバム、50枚のシングルを出す。代表曲は『悲しみの果て』『今宵の月の様に』『俺たちの明日』等々。

2019年にソロ活動を本格的に開始する。

と言った具合である。さらに詳しくは過去に書いた記事を併せて読んでいただければ幸いである。

宮本浩次、大暴走

宮本は破綻し成立した楽曲を追い求めた。兆候はあった。それはエレファントカシマシの頃からである。エレカシは或いは宮本は爆発を欲していたのである、今思うとそんな気がする。その初期段階は20thに収録されている『悪魔メフィスト』の重いドラムに轟音ボイス。21thでは『我が祈り』開幕からのファンにはお馴染みであり史上最高に長い約10秒の「デーーーー」。暫くの病気静養の後リリースした22thの表題曲『RAINBOW』本人も認める早口言葉の様に歌詞を乱打する歌い方からの転調して天使の歌声からの「デーー」。そしてエレファントカシマシとしての最新アルバム『Wake up』はまるで新進気鋭のバンドがリリースするが如きパンク・ロックな楽曲『Easy Go』を世に放った訳である。

活動はソロへとシフトする。本人曰くメタル的要素を入れて製作した『昇る太陽』この楽曲がリリースされる直前、短い予告編が流れた。私は嬉々として聴いた。果たして新たなる楽曲は如何程のものか心待ちにしていたのである。

遠い記憶の中じゃ そうさ俺は super hero いつか浮世の風にとここまでは良い。今回の曲はおとないい曲なのか、とさへ思った。問題はこの直後。吹きさらされちまって 立ちつくしてた 突如として予想を裏切るハードな歌声でびっくりした。こうくるとは全く予測できなかった。

そして『昇る太陽』の本編である。

是非ともサビを聴いてほしい。メロディアスかつパンク。これを体現できるのは宮本の声域が高くそれでいて野太いがためであろうかと思われる。普通の歌手でもしも『昇る太陽』と同じコードで曲を創ったとしたら確実にこの様なパンクアレンジはしないだろう。いや、できないだろう。宮本以外がこの曲をやったその瞬間楽曲本来が持つ爆発性は失われてしまう。

そして宮本が追い求めていた破綻と矛盾が同居する楽曲を遂に生み出したのである。それこそが『Do you remember?』である。

上記までに挙げた楽曲をプレイリスト化したので載せておく。


渾身の一撃 『Do you remember?』

まずは曲を聴いてほしい。

圧倒的な曲である。大名曲。演奏も歌詞も歌声も全てが素晴らしいのである。やや主観が混じっているが仕方がない。なんせメンバーがメンバーである。ダメな曲ができるはずがない。日本の90sシーンを代表するパンクロックバンドKen Bandより横山健、Jun Gray、ソウル・フラワー・ユニオンからJun Grayそして宮本浩次である。まさにドリームマッチ、スーパーバンドである。これ以上にないほど豪華メンバーだ。とんでも無い疾走感と力強さ溢れる伴奏に打ち抜かれる様な歌声と涙を誘う歌詞。まさか私はパンクロックで泣かされるとは思わなかった。

こんなにすばらしい曲であるがファンにとってはどうやら戸惑いがあったらしい。以前コメントを読んでいた時、「曲はすごい良いけどエレカシでやってほしかった」、「ソロじゃなくても良いじゃん」等々そういったコメントが散見された。私もその様に思わないこともなかったがこれをエレファントカシマシでやろうと思ってもできないのである。エレカシから一時独立しソロの現在であるからこそ生まれた曲なのである。この楽曲『Do  you remember?』はエレファントカシマシと共に歩んできた宮本浩次の人生を総括する内容だ。なおさらやれよ、という声が聞こえそうだがまあ待って欲しい。

以下、歌詞全文を掲載する。

Do you remember?
詞・曲 宮本浩次 プロデュース 横山健・宮本浩次

ご覧、ガードレールにうずくまる ひとりの男あり
逆光のシルエット 悲しそう 涙さえ浮かべてるのに

道ゆく人 素知らぬ顔で眺め 過ぎ去ってゆくぜ
ビルの向こうには ギラつく太陽 ヤケに不気味に街を覆う

吹き曝(さら)しの血の風を浴びて
俺の夢だけが消えてゆく

えぐられし心のその果てには
豊かな何かが溢れてるのに

うわぁぁぁ

Do you remember? 風通うまち
光射す あの公園で きみに語った夢の夢
Do you remember? きみが好きな歌を 
まちを 空を そして明日を
いま、俺が全て引き受けよう

さようなら
こんにちは

夢に夢見て夢から夢を抱きしめて 空を見た
宝探しはもう終わりさ 置いて来た赤裸(あかはだか)の心で

俺はきみを愛してるの? それとも愛に憧れているの?
もはやどうでもいいや 俺の全てでこの世を愛してゆこう

流れ流れて体ひとつ ただの男が立ち上がる
ありのまま 目にうつるこの世には
豊かな全てが広がってるのさ

でええええぃ

Do you remember? 愛しき人よ
光射す まちの路地で きみに語った夢の夢
Do you remember? 今が永遠
春の木漏れ日みたいな きみの優しさに包まれたい

さようなら 昨日よ
こんにちは 今日よ

Do you! Do you! Do you remember?
Do you! Do you! Do you remember?

以上歌詞全文を載せた。

散々言われている様にこの曲の歌詞は過去のオマージュとみられる歌詞が多数存在する。そして其々のレコード会社で特徴的であったサウンドエッセンスも散りばめられている。

風景描写から始めるのも近年の作品では稀であるがEPIC期には頻繁に用いられた。愛する誰かとの思い出というのはポニーキャニオン期に主題としてた事柄であった。東芝EMI期はある種成熟しながらも鬱屈した日々を乗り越えるようなサウンドが特徴的であったがそれも見事にこの曲に載っている。そして現在在籍しているユニバーサルはいうまでもなく「俺はお前に負けないが お前も俺に負けるなよ」=「さあ、がんばろうぜ」である。

それぞれの時期のエレカシの楽曲が絶妙に配合された曲が『Do you remember?』なのである。

従来の楽曲とのサウンド及び歌詞類似性に関して私が詳らかに論じる必要はない。百聞は一見にしかず、私の解説を聞くよりも実際に曲を聴いたら自ずと解は導き出されのだから。そうではなくて私が述べなくてはいけないのはこの記事の主題、つまり「『Do you remember?』をエレカシでやらなかった或いは出来なかった理由」である。

私は先ほど

『Do  you remember?』自体がエレファントカシマシと共に歩んできた宮本浩次の人生を総括する内容であるからだ。

と言った。これはつまり一旦エレファントカシマシというバンドを捨ててを己の道を進む事を決意しているのだ。「私は私の道を行く」である。バンド活動にピリオドを打つ形で自らが歩んできたエレファントカシマシという30余年の人生を一度絶対化しているのである。

少し脇道に逸れらるかもしれないが大正期、昭和期の文豪というのは自殺という積極的破滅行動をとって自己自身を絶対化した。太宰治、三島由紀夫が代表的なように自らが生み出した作品に自らも隷属するために自殺という選択肢を取ったのである。死という経験を通しての自己絶対化という行為は明治期以前の文豪も行っていた。しかしそれは大正期、昭和期の文豪とは異なり武士道の死である。二十世紀前半に活躍した哲学者、九鬼周造は武士道の死生観について以下のように述べている。

正義、勇気、名誉、仁愛、これが武士道の主要な徳である。武士道は意思の肯定であり、否定の否定であり、ある意味で涅槃の廃棄である。それは自己の固有の完成のみを気にかけるような意思である。(中略)武士道にとっては、絶対的な価値をもつのは善意思そのものである。満たされない意思、実現されない理想、不幸と悲しみの生、「渇望と苦悩の憂世」(le morne empire de la soif et de la douleur)、要するに永遠に繰り返す「失われた時」(le temps perdu)、それらはどれもたいした問題ではない。恐れることなく、雄々しく輪廻に立ち向かおう。 ー九鬼周造『時間の観念と東洋における時間の反復』ー

これはエレファントカシマシの『昔の侍』の歌詞と通ずる。

昔の侍は自ら命を絶つことで自らを生かす道を自ら知ってたという       ーエレファントカシマシ『昔の侍』ー

いかなる肩書きもかなぐり捨て自らの身一つで死にに行った明治の文豪、森鴎外林太郎にも通じている。

余は石見人森林太郎として死せんと欲す                   ー森鴎外『遺言』ー

そして言うまでもなくこの鴎外の思想及び明治の未だ武士道の名残を持つ思想を受け継いだエレカシの『歴史』にもその思想が顕現してる。

歴史・・・男の生涯にとって、死に様こそが生き様だ。            ーエレファントカシマシ『歴史』

宮本浩次自身が近代自我的破滅的思考を持っているのかそれとも武士道に代表される主意主義的内在的解脱的思想を持っているのかそれは本論から逸れてしまうため論じないが、いずれにせよエレカシというバンド活動にソロ活動という形を以って一旦の区切りをすることによって自己の活動を透視化することができるのである。

我々は実時間をバイオグラフィーとして経験することはできない。自己の内部に様々な思想が渦巻き他者との関係によって状況というものが容易く流動的に変容していく。しかし凡ゆる文化人は自らの身を切り売りしている訳であるから我々それを受容するものはバイオグラフィーとして見ることができる。しかしながらその当人というのは我々同様人間であるため冷静に自己活動を客観視することは困難を極める。いわんや、集団で活動しているバンドにおいてをや。特に宮本のようにRAINBOW(エレカシの楽曲)的人生を送っている人間は自己を取り巻く環境を客観視するよりは自らの作品を少しでも良くする方を選択するだろう。

ソロという形で以ってバンド活動及び自分の人生の透視化に成功した宮本浩次は自分の来し方を今まで以上にバイオグラフィー的に或いは鳥瞰的に見ることが可能になった。それによってこれまで以上に冷静沈着に己の道を振り返れるようになった宮本は自らのバンドで作った曲のエッセンスを散りばめたバンド曲の集大成でもある『Do you remember?』の創造に成功したのである。

結論

宮本浩次は長い音楽人生の中でソロ活動によって初めてエレカシという固定されたイメージを脱し何でもすることができるようになった。それだけではなく過去の自分が歩んできた道筋を冷静に振り返ることが可能になった。そしてそれが自分の原点でもある女性曲をカバーしたアルバム『ROMANCE』に通じる訳である。宮本は「バンドはできなかった事をしたい」と言っているがソロ活動という過去の透視化に成功した今、エレファントカシマシという強大なパワーを持って音楽活動に励むことが可能になったのである。そしてそれが意味するところは、宮本の創る楽曲全てがエレファントカシマシを踏まえたエレファントカシマシでは出来なかった楽曲な訳である。

宮本はいずれ己の引き出しにある音楽を全て出し切ったらもう一度バンドに戻るだろう。そこには石森敏行、高緑成治、冨永義之という比類なきバンドマンであり最高の友人がいるのだから。

エレファントカシマシはまだまだ進化します。

(了)

2021年3月4日 武蔵 山水


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