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鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑨

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

④ 捜索活動

 その後捜索再開に関する討議が毎週木曜日になされ、現地関係者との綿密な情報を取り、底雪崩のおわりを告げる5~6月に本格的発掘作業にかかる線を打ち出した。 問題の遭難現場について、地形、積雪、気象などの情報資料を緊密に得る仕事がはじめられた。 現地では今冬の降雪は数十年ぶりの大雪だとのことで3月下旬状況視察を兼ねた、パトロールを派遣。 とりわけ登攀対象として価値の薄かった未知のまかり沢を囲む地形の資料の採集に努めたのは、参加23名の第2次捜索であった。 続く第3次捜索は4月下旬に行われ、まかり内部の偵察、デポ発見を目的としたが、依然10mに余る積雪で皆目見当はつかなかった。

 融雪進行に伴い遺留品流出を考えて、まだ疑問の残る荒沢、まかり沢に流れ止めを架設する旨、現地鹿島に協力の方々と打ち合わせした。 又大捜索になるため、天狗尾根の登り道を開発する必要があるので、予定コースの選定をして、帰京。参加8名。

 5月ともなると大捜索はいつやるか、莫大な労力と費用を投ずるものであり慎重に討議が進められた。 一方部員自体もかかる悪場での捜索に耐えられる技術を要求されるので加藤泰安OB指導のもと5月18日から29名で訓練を兼ねた天狗尾根での第4次捜索山行が行われた。 以上が準備段階の経過である。

開発作業から遺体発見まで
 6月12日、個人山行で鹿島槍頂上から天狗尾根を下った設楽美徳部員が、デポが手を付けられないまま自然露出しているのを発見。 さらに森林限界付近でピッケル1本{のちに1月捜索時に紛失せるものと判明}を見つけるなど有力な手掛かりを得て捜索本部は活発になり、発見の最初の糸口となった。

 一つの仮定としてデポには達していないが、尾根から荒沢側に転落し生存していたものが、助けを求めて尾根筋に這い上がったものではないか。 との想定がなされ、6月20日、天狗尾根荒沢側斜面の徹底捜索を40名で行った。

 この隊の活動で梅雨の中、大川澤の架橋工事から天狗尾根登攀路の道付け工事一切ができた。 しかし最大の課題の遺体発見、には何らの手掛かりを見ないまま最終日を迎えた。

 6月25日道付けの開発はさらに進み、まかり沢へ下る急斜面の林間を横切り、まかり本谷に到達した。 澤内の偵察を行った結果、本谷の大屈曲点(日影沢出会い上部約200m)の残雪上に露出した遺体1体を発見。 ヤッケに身を包んだ藤原荘一君の静かに横臥した姿だった。 やはりまかり沢だったのだ。

 遺体の発見された場所は、天狗の鼻直下より約800m下方で狭隘なまかり本谷がにごり尾根の支尾根にぶつかり大きく屈曲している個所で、われわれはS字状屈曲点と呼んだ。 天狗の鼻直下に発生した新雪表層雪崩により押し流されたものに間違いなく、藤原君の遺体が比較的積雪の上部にあったのは、雪崩が最初に突き当たる支尾根に乗り上げたためと思われ残る3君の埋没もほぼ同地点と推定された。

星野貢氏による発見現場図(その1)


星野貢氏による発見現場図(その2)

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