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鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑫

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

⑥ 全遺体発見まで(「山と渓谷」210号 昭和31年12月より)

 まかり沢は暗い感じの谷であり、全般に日照に恵まれないがS字状屈曲点付近のみは南斜面なので、1日に15~30センチの順調な融雪があった。 発掘とかカーボン徹布で融雪促進をはかってもみたが、それくらいの努力を気易く受け付けてくれる自然ではなかった。 昭和電工事務所を拠点に定期的パトロールを継続し、発見するのを最良の方法として採用した。 第6次より9次と7月中4回の部員、OBのパトロールが入り、遺留品を着々と手に入れていった。 流れ止めも雪渓の末端に架設して遺留品の流出阻止をはかったが、土砂流出が激しいためすぐ埋められてしまった。

8月6日、第10次捜索隊は鈴木迪明、鈴木弘二両君の遺体を発見、連絡により待機していた部員22名が、土田新一OBの指揮のもと、現場で荼毘作業を執り行った。 残る清水善之君は8月20日までパトロールを行い発見しえない場合発掘、発破作業を採用しようとし、新雪を見る前にぜひとも発見しようと固い決意を決めていた。

8月12日、ついに清水君の遺体を発見、舟橋明賢OB以下25名の手と地元関係者により手厚く荼毘に付された。8カ月と云う長きにわたった一切の努力を傾けて取り組んだ鹿島における捜索はここに終わりを告げた。
(昭和31年12月 山と渓谷210号より)

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