見出し画像

鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑦

学習院大学山岳部 昭和34年卒 右川清夫

1月1日(半晴れ)
 朝、雲かガスが流れ、明るさを増し強風雪は落ち着きを見せたため小谷は意を決して午前8時消息を求めて下山にかかる。 深雪のラッセルで難行途中、おりしも第2クロワールに到達した熊本RCC会員にルートの指示を受け、事無く第2岩峯下に至る。

 九州福岡山の会隊、専修大隊に会い、学習院の4人に会っていないことを確認。 小谷はデポに向かったが5~6メートルに及ぶ大雪により尾根の地形が登ってきたときと全く変わってしまっており、デポは発見できず、森林限界では数張りの天幕に滞在する人たちから温かい飲み物や慰めを受けあとはこれらの人たちに依り、つけられた立派なラッセルコースの林間を転がるようにはせ下る。 19時二股小屋BHに下った。

 そこでやはり大雪で撤退してきた小峰顕一る東尾根隊に逢い、4名が下山していないことを確認したうえで、天狗尾根隊の状況を知らせた。 付近の昭和電工事務所より東京へ急報。 救援の依頼と詳細打ち合わせのため、ただちに大町へ下山。 大井正一氏の所属するアルムクラブの記録によると30日は大町では雪がなかった。 しかし源汲部落の手前の橋で大雪のためバスが転覆するほどの降雪があった。 アルムクラブ大井正一氏は前述のごとく9時5分の天気図を取る。 気温マイナス3度。寒冷前線通過時と思ったが、実際は遅れたらしい。

 358天気図に依る前線通過は29日午前9時となっているが、大井正一氏は、実際は5時間くらい遅れたのではないかと記述している。 30日午前9時362天気図によると地上等圧線の走向は北西で本州付近の等圧線の間隔はせまい(つまり風が強い)。 このとき鹿島槍は1000mくらいまで濃い暗雲の中にあるが、大町方面は晴れて日が当たっており、太陽はぼんやり高層雲状に見え雪がちらついていた。 11時ころ、鹿島の狩野さん宅でアルムクラブ一行が昼食したころ、まれにみる大雪となった。 おそらくこの時が寒冷前線の通過で、天気図による推定より5時間くらい遅れたのではなかろうか。 ここでスキーをはきベースキャンプ丸山小屋に入る。2日前にここまでハイヤーで来ることができたアルムクラブの先発隊のことを考えると、積雪の早さは驚くほどである。

 30日の天気図(362,363)を見ると冬型の気圧は続いていて日本海付近の等圧線の間隔はせまく、やはり西風をまともに受ける天狗の鼻は猛吹雪となっていた。 これは強い旋風が北海道に発達して、冬型が続く29年12月の茂倉、西穂の遭難と同様のパターンだ。(大井氏による)

 29日に撮影した、小谷氏の映画で見ても、いくら除雪してもテントを埋めてしまうほどの猛吹雪と、専大隊の胸までの雪泳ぎ遭難前の姿をよくとらえている。 この2日間に不安定に積もった雪が雪崩となったことは、想像に難くない。 30日9時(362天気図)には寒冷前線がすでに通過しているが、大井氏が同行しているアルムクラブは鹿島部落で異常な大雪に出会った。

 これが寒冷前線の影響でそれ以後急に猛吹雪になった。 そのために、学習院大学山岳部パーティーは雪崩に踏み込まれ、遭難したのではないか。 (大井正一氏の見解)

 その後大井氏は1961年の“山の気象(1)”に4名は天狗の鼻より雪庇に接近して、乾燥新雪雪崩を起こし、第1クロアールに落下した、と記述している。 さらに輪島の垂直断面図による解析結果として

①上層風が西よりの間は山では吹雪が続いた。この間地上等圧線は北西より南東に走っている。
②学習院大学と専修大学の遭難は季節風の最強の時におこっている。

この急激な気温の低下がこの一帯に多量の降雪をもたらした。 (大井正一氏)

 捜索をお願いしたガイド星野さんはこういう見方をしている。 多量の降雪が、雪庇形成につながり、登ってきた天狗尾根ルートを下らずに、風成雪の盛り上がっている、まかり沢方向に下ってしまい、大雪崩を自ら引き起こしてしまったと推測されると。

「鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑥」から

「鹿島槍天狗尾根遭難の報告書から学び取ったこと(原文)⑧」へ

#学習院大学 #学習院大学山岳部 #学習院山岳部 #学習院山桜会 #山桜会 #大学山岳部 #高校山岳部 #登山 #アウトドアでたのしむ #アウトドア #山であそぶ #山岳部 #山 #鹿島槍ヶ岳 #鹿島槍ヶ岳天狗尾根 #遭難 #事故 #追悼


この記事が参加している募集

#山であそぶ

1,868件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?