友だち100人できるかな、って、そういう意味だったのか。
「友だちになったの」
と、言って紹介してくれた子が、去年から同じクラスの子だったので、ひっくり返りそうになった。
4歳児クラスになって4月の現在。
娘は、3歳児から保育園に入った。0歳児クラスからある保育園なので、途中入園、というかたちになる。
だから、保育園2年目ということだ。
入った初日からお気に入りの子を見つけ、ずっと手を繋いでいたという、母からみても関係作りのうまい娘。
しばらくすると仲良しは代わり、その後も男の子だったり女の子だったり、一年間いろんな子の話をきき、彼らの得意なことを教えてくれ、「身軽なのは○○ちゃん、恐竜の天才は△△くん」と、ひとりひとり良くみている様子が伝わってくる。
そんな娘、
「□□ちゃんはまだお友だちじゃない」
と、バッサリ切り捨てた。かと思いきや、
「今日、遊んだからお友だちになったよ」
とか言い出す。
公園の見知らぬ子じゃないんだし。
25人もいないクラスの子達は、『お友だち』なのかと思っていた。 さすがに1年以上同じ空間でごはん食べたり、一緒に鬼ごっこしたり劇の練習したりしたのだから、お友だちと呼んでも構わないだろうと、思っていた、が。
それは大人のかってにきめたカテゴリーのなかでの話だったようだ。
遊んだ(しかも自主的に)相手がお友だち。
まぁ、確かに、自分も学校の授業でペアをくんだくらいで、お友だちとは思ってなかったもんな。
一方登校初日から握手を交わし、その瞬間から『お友だち』になり、いまだに何年も友達の子もいるもんな。
友達100人できるかなって、きっといっぺんにはできない。きっと、永い年月をかけて、物理的にも精神的にも近づいたりはなれたりしながら、ゆっくり増えていくもののような気がする。
今、離れていても、ひどい別れをしない限り、再会したら「ともだち」は、きっと、今もともだちなきがする。
人によると思うけど、何年かかったら100人になるんだろうな。
だから、何年もかけてできた100人のともだちと富士山の上でおにぎり食べたら、
きっと、
おいしい。
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