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え、それ、「作品」だったの!?

ただただ色鉛筆を殴り書きしたような絵を、毎日毎日持って帰ってきていたのは、娘が年少の半ばくらいからだったか。

初め、失敗したからぐちゃぐちゃにしたのかと思ったが、毎日毎日、後生大事にリュックに入れて持って帰ってくる。
作ること描くことが大好きで、家でもたくさん絵を描いてきた。意味のある絵も描ける。知っている。

それなのに、保育園から毎日持って帰ってくる、この落書きみたいなのは、いったいなんなんだろう。

戸惑いながらも娘には、「いろんな色を使ってるねー!きれいだね」などと話して、たまってきたら折を見てこっそりサヨナラしていた。

ある日、娘はまた、グシャグシャグルグルを持って帰ってきて、誇らしげに言った。
「保育園の色鉛筆は、少ししかない(12色)だから、いろんな色が出せるか試してるんだよ」
そういえば、前に娘は、
「本物みたいな絵が描きたい」と、写実的な絵の絵本を好んで見ていたっけ。

なるほどこの落書きは、壮大な実験だったのか。
陰影、色の混ざり、明るさ。
そう言われてから見ると、拙かった1歳の頃の殴り書きとは、全く違う趣に見える。

同時に、私が、勝手に大人にとって分かりやすいものが価値のあるものみたいに考えていたいたことを思い知らされる。何を描いたか分かりやすい=完成形ではない。小さなこの子の心の中に、どんなものが浮かび、表現となって出てきたのだろう。
キレイな色、汚い色と区別つけず、複雑な色、立体感を12色で出そうとした4歳年少の作品が愛おしい。

単純に絵を描くことよりも、もしかしたら、高度なことを考えていたかもしれないのに。
隣の子と違いがあまりない、立派な季節の「製作」よりも、数年後見たときに、娘らしさが出てると思うのは、その「らくがき」のほうかもしれない。

持って帰って来る「作品」に、大人が勝手に優劣なんてつけられないな。
年中になった4月、その色鉛筆の混色は、いつの間にかしなくなってしまった。けれど、きっとこれから先、色鉛筆も塗り重ねて複雑な色を出せると知っている彼女は、つよい。

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