samf、古川 享

古川 享こと俗称「サム」は、アスキーに8年、Microsoftに20年、慶應義塾大学大…

samf、古川 享

古川 享こと俗称「サム」は、アスキーに8年、Microsoftに20年、慶應義塾大学大学院に14年間勤めて、2020/3で定年を迎える65歳。残り35年は、「明るい大人の悪巧み団」の結成を考えています!

記事一覧

マイクロソフトの採用面接、古川ブログ再投稿_002

マイクロソフトの採用試験は現在電子化されて広く応募要項はインターネットで 公開されており、20数人の新入社員合格者に対して応募倍率は2千数百分の1だ と聞いたことがあ…

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Samの英語、古川ブログ再投稿_001

2005年10月 告白すれば、私は英語がヘタです。それは、私の英語を耳にしたり、私の書いた 英語のメールを見たりした人には、全てバレバレのことで「おサルの尻は赤い」 と…

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私の知っているビルゲイツ、その18

1986年5月1日、いまから34年前のこと、マイクロソフトは8年間に及ぶ㈱アスキーとの代理店契約を解消して、日本法人マイクロソフト株式会社を設立しました。会社登記は、19…

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私の知っているビルゲイツ、その17

飛び跳ねるって変なこと? スヌーピーの世界をご存知の方なら、スヌーピーやそこに登場するキャラクターたちがジャンプしている姿をよくご存知のことと思います。横方向に…

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私の知っているビルゲイツ、その15

会社の金、個人の金…そのケジメについて... マイクロソフトに入社した当時から会社のDNAとして感じていたことは、会社として個人として無駄な時間やお金は一切使わない、…

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テクノロ爺の、ネタばらし、その2

2000年、私がマイクロソフト株式会社の会長職を辞めてシアトル本社に転属した理由: Twitterの履歴で発見!若干の表現を修正した上で、再投稿。 マイクロソフト株式会社社…

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テクノロ爺のネタバラし!

マイクロソフトに勤めていた頃、一流企業の役員さんに面談の機会を頂きたいとアプローチをした時の秘伝を伝授いたしましょう。 4月の第4水曜日(今年は4/22)は、昔は「秘書…

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私の知っているビルゲイツ、その14

ビルゲイツは人と話をするのがとても好きです。そのスタイルもビルゲイツが一方的に喋るようなスタイルではなく、相手の話を引き出し自分の意見を述べ、一緒に考え相手が見…

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私の知っているビルゲイツ、その13

マイクロソフト株式会社の社長を引き受けたのは1986年5月のこと、7月の誕生日前だったので当時の私は31歳、もちろん髪の毛は真っ黒でありました。社長の仕事として1年に一…

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私の知っているビルゲイツ、その12

ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ 1970年代の後半から1980年代の初頭においては、㈱アスキーがマイクロソフトの代理店として活動していた時代…

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40年前に書いた、私のビジョン・ステートメント

コンビュータが超大型と超小型の二極分化をとげ,マイクロコンピュータはパーソナルコンピュータあるいは機器組み込み型といった形で加速度的な進展を見せた. 量産技術・シ…

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ビルゲイツ、田丸美寿々さんと対決するの巻

今から15年ほど前のことだったでしょうか、TBSの田丸美寿々さん(「報道特集」キャスター)がビルゲイツにインタビューすることになって短期間の日本滞在の間をぬって赤坂…

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私の知っているビルゲイツ、その11

ビルゲイツ君、セキュリティ・ガードの人に叱られるの巻 (再投稿) 昔NHKのドキュメンタリーや番組制作に、TVディレクターの魂を感じることが出来た次代に「電子立国」と…

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私の知っているビルゲイツ、その10

ビルゲイツくん、顔だけは許して!! ビルゲイツの来日中は分刻みのスケジュールをこなす中で十分な時間を食事にとることが出来ないことも多々ありました。移動中のマイクロ…

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私の知っているビルゲイツ、その9

ビルゲイツの記憶力 ビルゲイツは彼が小学校に通う11歳で聖書のマタイ伝福音書「山上の垂訓」を暗誦して、先生からご褒美にスペースニードル(シアトルにあるタワー展望台…

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私の知っているビルゲイツ、その7

ある年、ビルゲイツが日本に訪問した時のこと、黒塗りのハイヤーではなくマイクロバスで移動しながら社内の人間と移動中にユックリ話をしたり、時には食事をしたりするのが…

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マイクロソフトの採用面接、古川ブログ再投稿_002

マイクロソフトの採用試験は現在電子化されて広く応募要項はインターネットで 公開されており、20数人の新入社員合格者に対して応募倍率は2千数百分の1だ と聞いたことがあります。 いつも社内で話をしているのは、最終学歴が高卒の 私(Sam)ではきっと一次試験で落ちてしまって、今のマイクロソフトには採用して貰え ないだろうな、と思う私なのですが...過去、マイクロソフトの社員の採用にあた り、私自身で2

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Samの英語、古川ブログ再投稿_001

2005年10月

告白すれば、私は英語がヘタです。それは、私の英語を耳にしたり、私の書いた 英語のメールを見たりした人には、全てバレバレのことで「おサルの尻は赤い」 というくらい自明の理なのです。
前にも書いたことがあるけれど、中学以来の英語の成績はいつもクラスでビリか ら1位か2位を争う状態でした。大学入試の時、英語の偏差値が45とかで、とに かく英語の成績が悪くてどの大学も受験に失敗した経験

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私の知っているビルゲイツ、その18

私の知っているビルゲイツ、その18

1986年5月1日、いまから34年前のこと、マイクロソフトは8年間に及ぶ㈱アスキーとの代理店契約を解消して、日本法人マイクロソフト株式会社を設立しました。会社登記は、1986年の2月26日なのだけれど、実際のオフィス開設、会社としてのオペレーションを開始したのは5月1日で、私が初代の代表取締役社長に就任しました。(カルトQ的には、2月26日から4月31日までは、シアトル本社に勤務するロナルド(Ro

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私の知っているビルゲイツ、その17

私の知っているビルゲイツ、その17

飛び跳ねるって変なこと?

スヌーピーの世界をご存知の方なら、スヌーピーやそこに登場するキャラクターたちがジャンプしている姿をよくご存知のことと思います。横方向に走り抜ける時に、ジャンプやスキップをする姿以外に、何かとても嬉しいことがあるとその場で飛び上がって喜びを表現する姿..(時には、今日の晩御飯はラザニアだバンザイって飛び上がっているのだけど)こんな表現をすることは3歳の子供ならともかく、そ

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私の知っているビルゲイツ、その15

私の知っているビルゲイツ、その15

会社の金、個人の金…そのケジメについて...

マイクロソフトに入社した当時から会社のDNAとして感じていたことは、会社として個人として無駄な時間やお金は一切使わない、そしてそのルール適用に当たっては会社の職位や本社・子会社に関係無く、全てに対して厳しく管理徹底されていました。飛行機のフライトは米国では全員エコノミークラスで役職が付けば自動的にファーストクラスなんてルールはマイクロソフトにはありま

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テクノロ爺の、ネタばらし、その2

テクノロ爺の、ネタばらし、その2

2000年、私がマイクロソフト株式会社の会長職を辞めてシアトル本社に転属した理由: Twitterの履歴で発見!若干の表現を修正した上で、再投稿。

マイクロソフト株式会社社内の不誠実を正すために(今となっては、ゴーンの事件の方がスケール小さく思える)、本社帰属の法務部門と極東マネジメント担当本社副社長(東京勤務)に報告したら、彼らとしては社内の不祥事がバレたら自分が首になると考えたMBA出身のマ

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テクノロ爺のネタバラし!

テクノロ爺のネタバラし!

マイクロソフトに勤めていた頃、一流企業の役員さんに面談の機会を頂きたいとアプローチをした時の秘伝を伝授いたしましょう。

4月の第4水曜日(今年は4/22)は、昔は「秘書の日」現在はAdministrative Professionals Day と呼ばれています。ボスが自分を日頃から支えてくれてありがとうとアシスタントに花やケーキを送ったり、時にはディナーに誘ったりという日なのですが..., 日

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私の知っているビルゲイツ、その14

私の知っているビルゲイツ、その14

ビルゲイツは人と話をするのがとても好きです。そのスタイルもビルゲイツが一方的に喋るようなスタイルではなく、相手の話を引き出し自分の意見を述べ、一緒に考え相手が見つけた解に何か自分が協力できることはないかと提案するそんなスタイルで誰とでも会話をします。
マイクロソフトの日本法人ができた1986年から数年の間は年間に2回から3回ほどビルゲイツは日本を訪問していました。パソコンを生産されている企業訪問や

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私の知っているビルゲイツ、その13

私の知っているビルゲイツ、その13

マイクロソフト株式会社の社長を引き受けたのは1986年5月のこと、7月の誕生日前だったので当時の私は31歳、もちろん髪の毛は真っ黒でありました。社長の仕事として1年に一度とても厳しい立場に立たされるのが年度予算会議の席でありました。予算会議の中では1年間の事業報告と市場の動向、製品計画、マーケティング・プラン、売上・利益予測、採用計画、などなどあらゆる分野の資料を準備し事業計画をビルゲイツ、スティ

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私の知っているビルゲイツ、その12

私の知っているビルゲイツ、その12

ビルゲイツ、自分の限界を知りプログラムを書かなくなったわけ

1970年代の後半から1980年代の初頭においては、㈱アスキーがマイクロソフトの代理店として活動していた時代がありました。その頃は西和彦さんが次々と日本の会社へのアプローチを実現し、多くの日本人プログラマが日本だけではなく、アメリカに長期滞在して日本向けのBASIC言語その他の移植作業をしていました。1982年前後はIBMPCの出荷に併

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40年前に書いた、私のビジョン・ステートメント

40年前に書いた、私のビジョン・ステートメント

コンビュータが超大型と超小型の二極分化をとげ,マイクロコンピュータはパーソナルコンピュータあるいは機器組み込み型といった形で加速度的な進展を見せた.
量産技術・システム技術と共に低廉化が進み産業形態,社会生活にまで少なからぬ影響を与えている.



マイクロコンピュータ開発当初は,コンピュー夕メーカー内部からも鼻つまみ者扱いされたと聞く.当然な帰結として大型機の集中化とは対照 的な実用化推進が成さ

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ビルゲイツ、田丸美寿々さんと対決するの巻

ビルゲイツ、田丸美寿々さんと対決するの巻

今から15年ほど前のことだったでしょうか、TBSの田丸美寿々さん(「報道特集」キャスター)がビルゲイツにインタビューすることになって短期間の日本滞在の間をぬって赤坂のTBS本社へ伺いました。ちょうど、その直前に米国のニュース・キャスター、コニー・チャンさんの取材途中でビル君はある質問にいたくご立腹、胸に付けたマイクロフォンをむしり取ってインタビュー室を後にするなんて行動に出てしまいました。その経緯

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私の知っているビルゲイツ、その11

私の知っているビルゲイツ、その11

ビルゲイツ君、セキュリティ・ガードの人に叱られるの巻 (再投稿)

昔NHKのドキュメンタリーや番組制作に、TVディレクターの魂を感じることが出来た次代に「電子立国」と「新・電子立国」という番組があったのを覚えていますか? その昔、相田 洋さんという数々の賞を受賞している敏腕プロデューサーと 大墻敦さんという、当時はまだ若い(現在は、シルクロードなども手がけているけれど)プロデューサーのペアで、マ

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私の知っているビルゲイツ、その10

私の知っているビルゲイツ、その10

ビルゲイツくん、顔だけは許して!!

ビルゲイツの来日中は分刻みのスケジュールをこなす中で十分な時間を食事にとることが出来ないことも多々ありました。移動中のマイクロバスの中で寿司やハンバーガーを食べたりなんてことは普通のことでした。そのような時、ビルゲイツは食事の中身にはだいたい無頓着なので、食事中にも何か資料を読んでいたり相手の眼を見ながら話に夢中で、口の廻りや手はベチャベチャ、いつもその手をそ

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私の知っているビルゲイツ、その9

私の知っているビルゲイツ、その9

ビルゲイツの記憶力

ビルゲイツは彼が小学校に通う11歳で聖書のマタイ伝福音書「山上の垂訓」を暗誦して、先生からご褒美にスペースニードル(シアトルにあるタワー展望台)の回転レストランで、先生にお食事をご馳走になったそうです。 

私自身も彼の記憶力に度肝を抜いたことが何度かあります。2007年の6月に私の卒業式(退職記念のパーティ)を主催してくれたときのこと、オープニング・スピーチの前に控え室で1

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私の知っているビルゲイツ、その7

私の知っているビルゲイツ、その7

ある年、ビルゲイツが日本に訪問した時のこと、黒塗りのハイヤーではなくマイクロバスで移動しながら社内の人間と移動中にユックリ話をしたり、時には食事をしたりするのがビルゲイツ流です。ある日、とある会議に出席するために品川のプリンスホテル・タワーに車は進入していきました。 今回は、スタッフの移動を含めて2台のマイクロバスを使っていたのだけど、ホテルの駐車場に入った瞬間に何百人もの女性たちに取り囲まれてし

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