世界にはいろんな人がいるんだよという話

小学5年生のパソコンの授業。僕は友達がたまたま開いたウェブサイトで肌の黒い人を見た。そう、黒人である。僕の頭で何が起きたか、友達がはたまた何か言ったからその質問に至ったか、それは今や定かではないけれど、「黒人の人は歴史的に差別されてきたんですよね?」と先生に問うた。僕としては、全く差別的な意図はなく、ただ歴史的に、そして自己顕示的にその「事実」を聞きたかったのだ。

先生は言った。「そんな事実はない」

懐疑的にもう一度問うた。しかし、先生はその一点張りであった。小5の僕は幼心にして、それを少し鵜呑みにしてしまった。今思うとおかしな話である。でも、先生の気持ちも分からなくわない。これ以上の差別を生まないために、「知らせない」という選択肢を取ったわけだ。僕の「知った上で繰り返さない」という気持ちとは裏腹ではあったが、十人十色の世の中なので別にそれを責めるつもりは毛頭ない。

さて、本題に入ろう。

このように、差別や偏見が渦巻く世の中で「どのように」共存していくのか。

その例が北欧デンマークにあった。

〜Superkilen〜

60ほどの人種・宗教の異なる人々が集まる地域、ノアブロ地区。そこにあるのがこれSuperkilen。

紛争や軋轢が跋扈していた同地区において、それを解決する手段として考えられたのがこの公園。

60もの異なる民族や宗教の人々に調査を行い「その地域を代表するもの」を遊具として配置。

例えば日本の代表はこの黒いタコ滑り台、地元民からの人気もピカイチだそう。

エリアは「レッドスクエア」「ブラックゾーン」「グリーンゾーン」の3つに分かれており、設計上眺めが一望できるように設計されており、死角を減らすことで争いを起こしにくくする機能的な面もあるようです。

手前がモロッコ代表。視覚的に見やすい構造。

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私たちの未来

日本は幸か不幸か、移民や難民がほとんどいません。というより、未だほとんど受け入れていません。しかし、少子高齢化により労働者不足で外国人労働者を受け入れるべきという世論があることも事実です。政府がこんな発表をしたようです。「2020年から移民を受け入れる方針である」と。それについて是非を問うのはまた別の話として、事実としてこのような方針を日本はとるでしょう。その中で大切になってくるのが「関わり方」です。政府が決めたからと人ごとにするのではなく、自分たちで考えることも大切です。なぜなら、利益や不利益を被るのは国民である私たちだから。日本人は政治に対して感心が比較的薄い民族な気がします(比べる対象にもよりますが)。

しかし、自分の国の方向性を決めるのは天皇でも、総理大臣でもなく、世論です。

つまり、私たちなのだから。

言いたいのはもっと話題に上っても良いのではないか、議論する価値はあるのではないか。明日のご飯何食べる?的なタイミングで(ノリはそれだと困るけれど)、意見を交わせるような人々が増えることも大切だと思います。ぼくに言えるのはこのくらいのこと。話し合いは大切ですよねというそれだけのこと。



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