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悟りを開いてる母の強さと娘のイラつき。

アンニョン〜。
ayです。


前回は、フェミニズムに関連したことを思うままに書きました。今回は、同じく女性に関する話として、私にとって一番身近な女性である母の話とともに現代の娘目線で感じていることを綴ってみます。

わたしの母は、現役の看護師です。中学卒業とともに地元を単身離れ、遥か彼方の県の高校の夜間コースに通いながら昼間は看護の勉強をし、看護師になりました。

母は、私を含めて4人の子を生みましたが、男が3人、女が1人という構成で、6人家族の中で女子が2人だけなので、これまでいろいろなことについて話し、教えてくれました。

母は、県選手に選ばれるほど陸上に打ち込んだり、親友を高校時代に事故で亡くしたり、もともと持病があった親を20代という早さで亡くしたり、経済的にも精神的にもタフにならざるを得ない人生だったようです。

一言でいえば、信じられないくらい達観し、器の大きい人間です。


母は、自分の気に障ることや腹を立てたくなることがあっても、決して人のせいにしないのです。

「その人にはその人の事情がある」
「自分の腹立たしさを相手のせいにするのは貧しい」
「自分のものさしで見るのはよくない」

そんな母の下で育ったので、基本的には私もそんな感じなのです。
すごくありがたいことだと感じます。

でもまだ22歳、3倍近く長く生きている母のようにすべてのことに対して悟りは開けません。

故に、反抗心むき出しで反論するときもあります。
母が私が理想とする人の在り方を大方体現しているからこそ、そんな母の姿に腹が立つのです。

これを書きながらもどれだけ自分は幼いのかと自己嫌悪に見舞われますが・・・。


私の両親は共働きです。
母も父も雇用されて労働をしているのですが、家で家事をするのは99.9%母です。

私が母に
「なぜ同じように働いているのに、お母さんばかりが家事をするのか」
と尋ねると決まって

「お父さんは外でいろんなところに気を遣って頑張っているから、家ではゆっくりしてればいい」
と言うのです。

「しかし、お母さんも同じように労働しているではないか」
私がどう反論しても、「それでいい」の一言なのです。

私には理解ができないのです。

さらに反論すれば、母は
「昔は怒った、私も同じように働いているのに」
と文句を言っていたが、もうそれもやめたというのです。

怒ることも疲れるし、やってほしければその時だけ頼めばいい、60年近く生きてきた人間を今更変えることなどできない。

そう言うのです。

母は、自分が家事の大部分を担っていること、そばでそれを見ながら手伝うどころか文句を言いさえする父に対し、文句を言うことさえ自分の未熟さだと感じているのです。

なんだか悲しくなってきませんか?

父も母も昭和育ちで、平成っ子の私とは考え方が異なるのは承知の上です。
しかし、母のもはや諦めたという苦しさ、私がいくら意見しても聞こえないふりをし続ける父。

小さいころからずっとむしゃくしゃしていたものが、様々なことを学ぶにつれて大きくなっていき、私もそんな両親の姿を見るのが辛くて、苛立ってたまらないのです。


だから私はある日母に言いました。

「私は、今の年になって突然お父さんに腹が立って仕方がないの。私はまだ幼いからお父さんを受け入れることができなくなった。私も自分が間違っていることは分かっているけど、今は自分の意志に従うしかないの。だから許してほしい。」

すると母は私をとがめることはせず

「分かった。お父さんにはそれとなく反抗期だとでも言うよ。」

私を許してくれたのです。

私まで母に苦労を掛けているのかという自己嫌悪とそれでもどうにもできない自分の感情や考えがぐるぐる巡って、最近はすごく苦しいのです。

ま、そんな生活もあと2週間で終わるのだと励ましつつ、自分の寛容さを引き出して態度を改善しようと試みています。


最近は、私の中で男性とは何か、女性とは何か、男女平等とは何か、日本はどんな国か、そんな果てしない問題がごろごろしています。

お母さんは本当にこのままでいいのかな。
お父さんはお母さんの姿を見て何も思わないのかな。

日本は変わっていくのかな。


では。




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