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こころある繋がりを求めて

わたしは、人の輪っかの中に、入れたことがない。

「入りたい」と思っていても、うまく入れない。

周りの人は、よく分からないルールで動いていて、どうやってもうまくいかない。

わたしは輪っかに入ることを諦めた。


長い間、人間の観察を続けて、周りの人のルールが分かるようになってきた。(すごいよね)

その"真似"をすることは、できなくもないけれど……

とても苦痛だから、本当に必要な時以外は、やっぱり輪っかの外にいることにした。


人間の輪っかの観察を続けて、分かったことがある。

彼らは、こころない言葉で、こころない繋がりを作っていることがある。

相手のためではなく、自分の利益を享受するために。


相手のために、表現を変えることは、愛だと思う。

自分のために、表現を変えることは、野性的だ。非難はしない。


上っ面の"繋がり"。

"絆"という、使い古された言葉。

捻くれたわたしは、冷笑なんかしちゃって、輪っかの外で、ひとり歩んだ。


ひとりは丁度いい。

「自分を見つめることが人生だ」と、信じて疑わないわたしは、満足していた。

でも、この世の中はひとりでは成立しない。

わたしの世界をひとりで磨き上げることは難しいことも、

実のところ、人間の世界の素晴らしい一面も、知っていた。

だから。


少しだけ、用心深く、手を伸ばしてみることにした。

手をつないでくれる人が、かわるがわる、ひとりずつ、現れた。

ひとりずつ、わたしは握手している。

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