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わたしの話

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自叙伝っぽいやつ。本マガジンの記事は、特に、気分次第で消したり出したりするかもしれません。
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2022年11月の記事一覧

みんな なんでSNS使ってるの?

人に何かを教えるわけでもない 人を楽しませるわけでもない 人に影響を与えるわけでもない フォロワーやスキを集めたいわけでもない マネタイズを目指すわけでもない いま ここにいるわたしが 感じていること 考えていること を発揮したいだけなんだけど SNSというものの使い方が なんだか腑に落ちていないんだ だったら ひとりで日記を書いてても良いわけだよね 不特定多数の雑多な人と交流したいわけでもない (リアルでも付き合う人は選ぶよね) でも なんだか 

「好きなようにやる」が難しい

アダルトチルドレン。 なんてひとことで表すのは、味気ないけれど。 「好きなようにやる」が難しいわたしは、その気があるんだろうなー、と思っている。 「相手が何を求めているのか」察する能力がわたしにあるのかは分からないけれど、古い記憶によると、幼稚園の時から「察しようとしていた」。 「好きなようにやる」を全くしてこなかったわけではないが、日常の意志が希薄な部分は、"思い込み"に支配されている。 ご飯を食べる。 お風呂に入る。 掃除をする。 お出かけをする。 仕事

外の評価がどうでもよくなってきた

わたしの声で、6分程度お喋りしてます。

適応障害で会社に失望した

適応障害により、人事や産業医とのあれこれがあって、会社というものに失望した。 自分の意志で入社、転職、部署移動するのなら、それは望ましい。 わたしは、吸収合併みたいなやつで、自分の意志と関係なく組織は解散させられて、仕事をお土産に持たされ部署移動をした。 お土産は半ば強制的に見えた。 まあ、わたしが責任感があって丁寧で真面目だったから、お土産は重かった。 平社員なのになー。 ま、吸収合併ってそんなもんらしい。 真面目にお土産をこなした。 お腹が痛くっても、から

世界を恨んでいたけど、「ありがとう」に変わった日

整体。ヨガ。 これらの先生との出会いがなければ、今、わたしはこうやっていない、と断言できる。 からだに諸々の不調があって、運動どころではなかったけど、整体でヨガに通うエネルギーを得た。 ヨガをはじめてからは、 「これが必要だったのだ」 「今まで暗い霧の中にいたけれど、人生の方向がようやくわかってきた気がする」 と、興奮して熱心に通った。 スムーズにその方向に行けばよかったのだけれど……。 長年からだに降り積もった不調和は、そう簡単には離れてくれないし、そんなに

喘息をヨガで軽快させた話

正直、息苦しかった。 そんな感覚が半年続いていて、整体で施術はしてもらっていたものの、根本解決にならない。 ヒステリー球、っていうのかな? 原因は、仕事の人間関係だと薄々感付いていたけれど、そういうのってどうしようもならないよね。 仕事中、交感神経が優位になって、目が乾いて、心臓がドクドクして、息苦しいのだけれど、わたしにはどうすることもできなかった。 ↓5年前の整体に行くまでの話 4年前の秋、喉が砂漠のようだった。 ザラザラがパカッと開いて、傷があって、とても

呼吸に命をすくわれた瞬間

「わたし、人生まちがってた!」 を人生で何回か繰り返しているのだけれど、最初の大きな「まちがってた!」が、整体に通い始める直前に起きた。 5年前のGW、わたしはからだを起こせなかった。 心身を酷使し、メンタルの不調和が極まった結果だ。 西洋医学の病院では、自律神経の乱れが根本的にどうにもならないことを悟っていた。 西洋医学の病院的には、わたしは健康だ。 「どうにもならないのなら」と、最後の手に出た。 ゴリゴリの理系、理屈っぽいわたしは、実証できないものを嫌ってい

女に生まれていなければ

歯車が狂い始めたのは、きっと母の言葉から。 「あなたが悪い」 ひとりぼっち、周りに馴染めずに困っていたわたしに、母はこう言った。 そもそも、生まれつき?まあ神経質なタイプで、「居場所がない」と幼稚園の頃から感じていた。(HSP?) また、中学生になると、周りの情緒の発達にまったくついていけなくなった。(発達障害?) 女子校で生きづらさMAXだったわたしが勇気を振り絞って相談した結果は、"自己責任"だった。 元々、大人しいタイプで、小学生の頃も仲が良い子としか話せな

「わたしを救う」ために 文字を書く

ぶっちゃけ、noteにいて、こんな感覚を持つことがある。 「いいことを書こう」 「いい風に見られたい」 「立派な人だと思われたい」 「スキがほしい」 「人に何かを教えなきゃ」 「人の得になることをしなきゃ」 「文字でお金を稼いでいる人がうらやましい」 結局、わたしは「わたしを救えていない」のだ。 * 「人の役に立とう」として生きてきて、心身の調子を崩した。 なのに、ここでさえ、同じことをしようとしてる。 仮面を被って、自分を偽り、いい部分だけを抽出して

"スピリチュアル"にハマりきれない理由

「この世界はわたしがいる場所ではない」 という厨二発言をしていたので、弁明させてほしい。 あのね。 わたしは、発達障害だと思ってた。 思っていることを話しても、話が通じない。 学校で同世代同性に囲まれたわたしの人生は、ずっとそんな感じ。 論理的な話が通じる年上の男性に出会い始めてから、その感覚は少しずつましにはなってきた。 手塚治虫、天然石や隕石が好き、恋愛やお洒落には興味ない、そんな理屈っぽい小学生男子みたいなわたしは、同世代同性で浮きまくっていたのだ。 会

いま わたしは このからだにいる

「自分の体を傷つけない」 これがわたしの課題だ。 お腹がすいたら おやつを食べて トイレに行きたくなったら トイレに行って 寒くなったら 着込む こういうことが、何故かうまくできない。 わたしの思考は、いつもふわふわと彷徨い、ぐるぐると回っていて、からだに意識が向かない。 小さなころからずっとそうだから、生まれつきなのかも。 だから、色々なところで表現活動をしていたりする。 「いま このからだのなかに わたしがいる」 わたしは何かを考えて、形にしたい。

悪口を言って みんなで落ちるの?

感情を発散したいなら ひとりで 叫べばいいのに どうして みんなで擦り付け合うの? みんなで落ちるところまで落ちよう ってこと? 引用:わたしのインスタ わたしは、悪口を言うことができない。 適応障害になった原因の人にだって、「その人についての所感」を上司に伝えて、「当人には言わないでくれ」と念を押した。 だって、当人がわたしの訴えを聞いて理解できる人なら、わたしはそもそも体調を崩していないし、当人はそれを聞いて傷つき悩むだけだろう。 いい子ぶってる? 違