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"スピリチュアル"にハマりきれない理由

「この世界はわたしがいる場所ではない」

という厨二発言をしていたので、弁明させてほしい。


あのね。

わたしは、発達障害だと思ってた。

思っていることを話しても、話が通じない。

学校で同世代同性に囲まれたわたしの人生は、ずっとそんな感じ。

論理的な話が通じる年上の男性に出会い始めてから、その感覚は少しずつましにはなってきた。

手塚治虫、天然石や隕石が好き、恋愛やお洒落には興味ない、そんな理屈っぽい小学生男子みたいなわたしは、同世代同性で浮きまくっていたのだ。

会社に入ってから、社交性がなんとなく磨かれて、情緒面もなんとなく発達して、なんとなく生きてこれた。


さて、本題のスピリチュアルの話。

こういう人をなんて呼ぶのか、わたしは知っている。

去年秋にスピリチュアルを知って、今年春までいろいろ調べてたからね。

発達障害、HSP、エンパス……わたしが足を踏み込める属性はたくさんあり、それを言い換える方法があることを、知っている。

でも、わたしは、その"設定"にハマりきれないのだ。


わたしにとって、宗教、哲学、スピリチュアルは並列の存在。

この世界の"設定"だ。

好きなものを選択すればいい。

わたしは、超感覚があるわけでもないし、なにか不思議なことを明確に体験したことはない。(ぼんやりとはあるけどね)

体験したならば、きっとそれを信じられる。

でも、わたしには無理だ。

だって、元来、理系で理屈っぽいもん。


"生きづらさ"をなんていう言葉に押し込めようか?

HSP?

発達障害?

はたまた、『スターシード』?

※『』つきはスピリチュアル用語で、別に調べなくて良いと思うよ。

本人が満足すれば、それでいいし、その言葉がポジティブな響きを持つのなら、それは尚良い。

人間はイメージ先行だから、"障害"より"宇宙由来の魂"と言った方が、よっぽど活き活きと人生を送れるだろう。


傷ついた心を癒すこと、人生の指針をもらうことは、大切。

でも、その後は、壮大な宇宙に思いを馳せすぎずに、リアルの生活に力を注いだほうが良いんじゃない?、って思ったりする。

人間として生まれたのは、そのためだし。

家庭で、地域で、仕事で、会社で、泥臭く生きるしかないのだ。

そして、泥臭く生きている人が、本当の『ライトワーカー』なのだと、わたしは思う。


だから、わたしは"スピリチュアル"にハマりきれない。

そして、ハマらなくていいと思う。

*

「わたしの居場所はどこなんだろう」

ずっと探し求めていたけれど、ついに見つからなかったし、これからもきっと見つからないだろう。

きっと、これがわたしの性で、自分の場所は自分で作ることにした。


はい、スピリチュアル用語を使う記事はこれで終わり。

カタカナのスピリチュアル用語を知らなくても、素晴らしく生きている人なんて、たくさんいるよ。

好きな"設定"を選べばいい。

わたしは、"設定"を参考に、自分なりの哲学を作ることにした。

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