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2022.7.30 意見の対立がない国…想像できますか?

台風5号の大きな被害は受けませんでしたが、沖縄でも爆発的に新型コロナ感染者が急増しています。
しかし、私のいる場所は至って普通で、テレビでニュースを観るまで第7波が来ていることを知りませんでした。

沖縄にいるわけですが、癖で色々な人に話を聞いてしまいます。

限られた人数ですが、分かった事があります。

話を聞いた人の中には、米軍基地があること、時々事故が起こること、基地が沖縄に集中していることに恨み言を言う方もいました。

「まだ沖縄の戦争は終わっていない!」
と断言する方もいました。

一方で、
「米軍基地があるおかげで経済的に潤う」
「基地に反対しているのは、大阪辺りの本土から来た活動家だけ」
「沖縄メディアが騒いでいるから、反対派がメインだと思えるが、本当の反対派はごく少数」
と、全く正反対の意見も耳にしました。

印象として、
「真っ二つに割れているな」
という感じです。

こういう状態をマスコミは、
「社会が分断している」
とか言うのでしょう。

そして、『社会の分断』は“悪いこと”だと説明されます。

その良い例はアメリカでしょう。

アメリカは、
・バイデン派とトランプ派
・グローバリスト派とナショナリスト派
・貿易の自由派と保護派
・銃の規制派と支持派
・中絶の賛成派と反対派
・LGBTの賛成派と反対派
等々で、真っ二つに分かれています。

それをマスコミは、
「アメリカ社会の分断が深刻である現状が、ますます浮彫りになりました」
などとコメントしたりします。

もちろん、ネガティブに報じるかたちで。

しかし皆さん、よくよく考えてみて下さい。
私は思うのですが、色々な意見が存在するのは当たり前な事ではないでしょうか?

では試しに、“色々な意見が存在しない国”を考えてみましょう。

最も分かりやすいのは北朝鮮でしょう。
次に続くとすれば、ロシアと中国です。

これらの国には、“色々な意見”が存在しません。

例えば、最近のロシアで考えてみましょう。

ロシアは現在、ウクライナ侵略戦争で戦っています。

しかし、ロシア国内では、
「特別軍事作戦を行っている」
と説明されています。

戦争をしているのに、『戦争』という言葉を使うと逮捕されるのです。

こんな究極的に馬鹿馬鹿しいと思うのは、私だけでしょうか?

ロシアに住む人が、
<НЕТ ВОЙНЫ!(戦争反対!)>
と書かれたプラカードを掲げたり、公の場で発言したり、SNSに投稿すると逮捕されます。

1回目は罰金で、2回目は最長で禁固15年の実刑を喰らいます。

だから、反対意見は事実上、存在しません。

中国も北朝鮮も同じような状況です。

どうでしょう?

これが、
“いろいろな意見が存在しない”
“社会が分断していない国”
の実態です。

だから、色々な意見が存在して良いのです。

誰かが、
「安倍元総理の国葬に反対!」
と言えば、安倍さんのファンは腹が立つでしょう。

ですが、そこで、
「安倍元首相の国葬反対派の意見を封じ込めよう!」
みたいな流れになると、共産国家や独裁国家のような国へと向かうことになります。

だから、
「いろいろな意見があるのは当たり前」
と思えば良いわけです。

「社会な分断が深刻だ」
などと、出しゃばり過ぎるコメンテーターのように騒ぐ必要はないのです。

ドイツの哲学者フィヒテが用いた概念に、『正・反・合』というものがあります。

[正]既存の秩序がある。
[反]反対意見が現れる。
[合]正と反が調和して、新しい秩序が生まれる。

これが正常な成長過程の姿です。

ですから、日本やアメリカで起こっていることは、本来は正常なことなのです。

一方、北朝鮮や中国、ロシアで起こっていることは、
[正]既存の秩序(独裁体制)に[反]反対意見する ⇒ すぐに潰される
結果、[合]は生まれず、[正]が続き停滞します。

だから、色々な意見があることを取り上げて、
「社会の分断が深刻です」
などと、あまり大騒ぎしない方が良いです。

北朝鮮や中国、そしてロシアみたいに皆、意見が同じの方が余程気持ち悪いです。

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