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2022.8.18 【全文無料(投げ銭記事)】国をも動かす…『物語』に秘められた力

人間は「思い込み」によって、何をしでかすか分からない


安倍元首相の暗殺は世界を震撼させました。

山上徹也容疑者は、
「母親が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に入信し、多額の寄付をして生活が困窮した」
として、安倍氏が昨年9月、家庭連合の友好団体のイベントにメッセージを寄せたことから、
「(家庭連合と安倍氏が)繋がりがあると考えた」
ことが、動機と推測されています。

メッセージを送った程度で「繋がりがある」として、自分の将来を台無しにしてまで暗殺にまで及ぶというのは、常人には理解し難い“思い込み”ですが、実は人間には“思い込み”によっては、何をしでかすか分からないという性質があります。

そうした“思い込み”による史上最大の悲劇が中国の文化大革命でしょう。

大躍進政策で失敗した毛沢東が、失地回復を狙って青少年たちを焚きつけて『紅衛兵』とし、政敵を倒すために、
「毛沢東思想の偉大な赤旗を高く掲げ、反革命修正主義分子を一掃し、社会主義革命を最後までやり抜こう」
という運動を始めさせたのです。

暴動は中国全土を覆い、多くの教師、役人、党幹部が吊し上げに遭い、遂には紅衛兵同士の内戦にまで発展して、数千万人の命が失われたと言われています。

これほどの規模になると、一部の人間の“狂気”というより、人間の本性にこういう事をしでかす性行があると考えざるを得ません。


想像力の獲得によって、人類は大きな共同体で力を合わせることができるようになった

“思い込み”とは、現実とは離れた思考の中で、別のシナリオを想像する能力で、『想像力』と言っても良いでしょう。

実は、人類は進化の途上で想像力を得たことによって、飛躍的な発展を成し遂げました。

イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの大ベストセラー『サピエンス全史』では、7万年前~3万年前にかけて、人類が
<見たことも、触れたことも、匂いを嗅いだこともない、ありとあらゆる種類の存在について話す能力>
を得たことを『認知革命』と呼び、それによって人間は地球の隅々までを支配する能力を得たと述べています。

例えば、サルは、
「気をつけろ! ライオンだ!」
と、伝える叫び声は出せますが、
「ライオンはわが部族の守護神だ」
と語れるのは、現在の人類だけが持っている特殊な能力です。

このような『神話』を共有することによって、人類は部族やそれ以上に大きな共同体で柔軟に協力することができるようになりました。

チンパンジーは、20頭から50頭程度の集団しか作ることができません。

お互いに親しく知っている範囲でしか、力を合わせることができないのです。

それ以上の大きな集団は不安定となり、結局分裂してしまいます。

しかし、人間は互いをよく知らなくとも、自分たちは同じく、
「ライオンを守護神とする仲間だ」
と考えることで、柔軟に協力できるようになったのです。

実は10万年前には、現世人類は身体も脳もより大きなネアンデルタール人にはかなわなかったのですが、想像力を得て、より大きな集団で戦えるようになったので、ネアンデルタール人を地球上から一掃できたのです。

教会も国家も共通の神話から生み出された

想像力を得た人類は、部族から更に大きな集団を構成できるようになりました。

ハラリはこう指摘します。

<近代国家にせよ、中世の教会組織にせよ、古代の都市にせよ、太古の部族にせよ、人間の大規模な協力体制は何であれ、人々の集合的想像の中にのみ存在する共通の神話に根差している。
教会組織は共通の宗教的神話に根差している。
たとえばカトリック教徒が、互いに面識がなくてもいっしょに信仰復興運動に乗り出したり、共同で出資して病院を建設したりできるのは、神の独り子が肉体を持った人間として生まれ、私たちの罪を贖うために、あえて十字架に架けられたと、みな信じているからだ。>

キリスト教の『神話』が事実かどうかには関係なく、それを“真実”だと信ずる人々が力を合わせて、巨大な教会を建て、病人や孤児を救い、異教徒に十字軍の戦争を仕掛けたのです。

国家も同様です。

<国家は、共通の国民神話に根差している。
たとえばセルビア人が、互いに面識がなくても命を懸けてまで助け合うのは、セルビアという国民やセルビアという祖国、セルビアの国旗が象徴するものの存在を、みな信じているからだ。>

国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体

ハラリのこの一節は、米国の政治学者ベネディクト・アンダーソンが著書『想像の共同体-ナショナリズムの起源と流行』で述べた『国民』の定義と通じています。

<国民とはイメージとして心に描かれた想像の政治共同体である。>

私たちは自分自身を『日本国民』の一員として考えていますが、その『日本国民』とは目にも見えない、触ることもできない想像上の存在です。

日本国民の一部として、太郎君とか花子さんは実在し、話しかけることもできますが、二人は国民の一部ではあっても『日本国民』そのものではありません。

また、私たちの既に亡くなったご先祖様も日本国民の一部です。

これから生まれてくる私たちの子孫も日本国民となるでしょう。

私たちがそう感じ、信じています。

こういう現存しない世代も含めて、日本国民とは私たちの“心の中に描かれた想像の政治共同体”なのです。

しかし、『想像の共同体』だからと言って、現実的な力を及ぼさない抽象概念に過ぎないということではありません。

日本国民の一部が、北朝鮮に拉致されたと聞いて、私たちはその人々を直接的に知らなくとも憤りを覚えます。

地震や津波の被災者には、心を痛め、ボランティアに駆けつけたり、募金に応じたりします。

国家が共同体として成り立っているのは、こうした国民どうしの同胞感があるからであり、その同胞感は私たちが“心の中に描かれた想像の共同体”によって結ばれている所から生じるのです。

我々に行動を起こさせる『物語』の力

私たちの心の中の“想像の共同体”に対する思いは、時としてマグマのようにエネルギーを発散させます。

それが、悪い方向にも良い方向にも働くのですが、どちらに向かうかを決めるのが『物語』です。

近年、『物語』が人間に行動を起こさせる力に注目して、“ストーリーブランド戦略”が実業の世界で用いられています。

例えば、あるアメリカの靴メーカーは、
「靴が一足売れたら、世界の貧しい子供に靴を一足送る」
という『One for One(1足買ったら1足寄付)』プロジェクトを始め、創業10年未満で7億ドル(900億円)を上回る売り上げを達成しました。

物語が力を持っているのは、人間が本来持っている欲求を満たすためのシナリオを提示し、それに向けて行動を起こさせるからです。

この例では、消費者は、そのメーカーの靴を買うことで、世界に貢献したいという意欲を満足させることができます。

アメリカの心理学者エイブラハム・マズローが唱えた『欲求5段階説』では、人間は以下のような欲求の段階を持っており、前段階の欲求が満たされると、次の段階を求めます。

(1)生理的欲求:空気、食料、水、空気、性など、人間が生き延びていくために必要な欲求。

(2)安全の欲求:病気、事故、暴力、失業などからの保護

(3)所属の欲求:家族や地域、職場などの共同体に所属し受け入れられる。

(4)承認の欲求:共同体の中で価値ある一員として一目置かれる

(5)自己実現の欲求:自分自身の能力や適性を最大限に発揮して、本来の自分を実現する

“貧しい子供たちに靴をプレゼントしたい”というのは、“思いやりの深い人間”になりたいという自己実現の欲求です。

その欲求を“この靴を買えば実現できる”というのは、購入から欲求充足までの『物語(ストーリー)』なのです。

その『物語』を知って消費者が商品購入の行動を起こす、これが“ストーリーブランド戦略”です。

この『物語』の力を理解すると、私たちは、より健康になろうとスポーツジムに通ったり、より能力を高めようと本を買ったり、被災地でのボランティア活動を行ったりするエネルギーが、どこから来るのか理解できます。

共産革命の物語

『物語』には善いものも悪いものもあります。

人類史上、最大の災厄をもたらした『物語』が、マルクス主義でしょう。

「階級闘争によって資本家階級を滅ぼせば、搾取されている労働者階級が平等で、幸福な社会を作れる。万国の労働者よ、団結せよ!」
という『共産革命の物語』に、無数の青年たちが魅了されました。

例えば、第二次大戦の開戦前には、アメリカでも日本でも、『共産革命の物語』を信奉して、共産主義者の“祖国”ソ連を守るために日米を戦わせようとする人々がいました。

ルーズベルト政権内にも200人以上の人々が、ソ連スパイとして暗躍していたと言われています。

その代表的人物が、財務次官ハリー・デクスター・ホワイトです。

実質的な対日最後通牒であるハル・ノートを書いて、日米開戦の引き金を引きました。

彼は財務次官という超エリートでしたから、自己の利益だけを考えていたら、危険なスパイ行為までして、地位も収入も棒に振るようなことをするはずがありません。

折りしも世界大不況が続いており、彼らは失業に苦しむ民衆の姿を目の当たりにしていました。

そして、一方では世界最初の社会主義国ソ連が、資本家階級を打倒して経済を国営化し、着々と国民を豊かにしているというプロパガンダに騙されていたのです。

彼らは、ソ連を自らの“祖国”とする“想像の共同体”を作り、世界中をソ連のようにして人々を救おうという革命運動に走ったのです。

戦後、ホワイトはソ連スパイの嫌疑で議会の喚問を受けた3日後に、突然の死を遂げます。

自殺だったと言われていますが、日米を開戦に追い込んで、“世界共産革命の物語”に“重大な貢献”をした事で、本懐を遂げたという思いだったのではないでしょうか。

大御宝の物語

もう一つ、大きな世界史的影響を与えたのが、日本の『大御宝の物語』です。

幕末の日本は西洋列強によるアジアの植民地化、アヘン戦争での清国侵略などを見て、いかに国の独立を維持するかという国家的課題に直面していました。

この時に、『物語』として国民のエネルギーを引き出したのが、五カ条のご誓文です。

その際に、明治天皇から国民に出されたお手紙である御宸翰ごしんかんでは、
<天下億兆、一人も其処を得ざる時は、皆朕が罪なれば>
(国内の全ての人々が、たった一人でも、その人に相応しくない場所に置かれているようであれば、それは皆私の罪です)
という一節がありました。

これは国民一人ひとりが、それぞれの置かれた境遇の中で、それぞれの能力を最大限に発揮する。

そうした努力が積み重なって、国の独立を護り、豊かで平和な国を作るという『物語』を語ったものでした。

福澤諭吉の『学問のすすめ』や中村正直訳の『西洋立志編』が大ベストセラーとなって、この『物語』を国民の隅々まで吹き込みました。

日本が、日清・日露戦役と第一次大戦に勝利し、僅か70年足らずで、国際連盟理事国にまで大発展を遂げることができたのは、この『物語』が国民一人ひとりのエネルギーを引き出したからです。

共産革命の失敗、明治日本の成功

さて、同じく“想像の共同体”を築き守ろうとする『物語』でありながら、一方は世界人類史上最悪の災厄をもたらし、他方は日本のみならず、植民地とされていた多くの国々を独立に向けて勇気付けるという正反対の結果をもたらしました。

両者の違いは何なのでしょうか?

まず“共産革命の物語”とは、大英図書館の机の上でカール・マルクスが思いついた空想の産物です。

マルクスは、それを“科学的”と強弁しましたが、実態は成功の実績も確証もない、未来への“空想”でした。

方や『其処を得』という物語は、神武天皇が人民を『大御宝』と呼んで、その安寧を目指した建国のみことのり、「和をもって貴しとし」と謳われた聖徳太子の17条憲法など、日本の長い歴史を通じて深められ、平和な国を築いてきた国民的成功体験に裏打ちされたものでした。

また、“想像の共同体”にしても、ソ連はロシアという歴史的共同体を否定し、多くの異民族を抱え込んで、実感も共感も伴わない“空想の共同体”に過ぎませんでした。

それに対して、『日本』は神武天皇以来の国民的体験を通じて、代々の国民の心の中に広く深く根ざした共同体です。

こうして見ると、同じく“想像の共同体”と言っても、“空想の共同体”と、歴代の“国民の心の中に根ざした共同体”との違いがあります。

このように、ロシア革命は“空想の共同体”を築こうとする“空想の物語”で、史上最大の悲劇をもたらしました。

一方の明治日本は広く、“国民の心の中に根ざした共同体”の独立維持を、“歴史的な成功に裏打ちされた物語”を通じて実現したのです。

今回も最後までお読み頂きまして有り難うございました。
また、投げ銭をして頂いた皆様のお心遣いは、本を買えない子供達への資金とさせて頂きます。

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