父が亡くなり、久高島へ
父の命日は8月3日だ。
酷暑の盛りの8月に、父は亡くなった。私が30代のときだ。
毎年この時期になると父を思い出す。
ある年は、朝ランニングに行く玄関先で、父をふと思い出した。8月2日だった。
翌日が命日だったことを思い出し、数日後墓参りに行った。
父の命日が近づくと、父に呼ばれるように父のことを思い出す。
本当に不思議だけれど、毎年命日が近くなると、父のことをふと思うのだ。
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父は癌だった。
前立腺の癌と医師に診断され、余命3ヶ月と告げられた。
そして本当に3ヶ月後に亡くなった。
本人は、何の病気か分かっていたのだと思う。
それでも、病院嫌いで気が小さい父は、はっきりと病名を宣告されるのが怖かったのだろう。
にっちもさっちも行かなくなってから、父は私に連絡した。
社会人になり一人暮らしをしていた私は、平日の午前中に年休を取り、父の病院に付き添った。
それからは、セカンドオピニオンを聞きに他の病院に行ったり、ホスピスを探したり、転院の手続きや、病院の付き添い、介護と怒涛の日々だった。
毎日1時間以上かけて、勤務後、職場から実家近くの病院に通った。
我ながら、働きながらよくやったと思うが、当時の私は必死だった。
一番しんどかったのは、自分の気持ちがついていかなかったことだ。
日に日に弱っていく父を、その姿を、現状を、私は受け止められずにいた。
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父が亡くなり、葬儀の手配をし、喪主として葬儀に参列した。
気の利いたことは何も出来なかったし、葬儀を最後までやり遂げるだけで精一杯だった。
父亡き後も仕事を続けていたけれど、仕事帰りの車の中で、私はよく泣いた。
一人ぼっちになってしまった。
甘えられる人はおらず、甘えて帰れる場所はないのだと痛感した。
自分で自分を食べさせていく決心を、この時にしたのだと思う。車の中で。
今の仕事を辞めずにふんばろう。働き続けよう、と。
数ヶ月後の秋休みの時期だったと思う。
ふと、沖縄の久高島へ行こうと思った。
以前、20代〜30代向けの女性ファッション誌で、「思い出の旅」のような特集があった。
そこに小さな記事で久高島のことが書かれていた。
神の島と呼ばれる小さな島で、パワースポットであるとのこと。
父亡き後の整理など、少し区切りがついたところで、久高島へ1人向かった。
久高島には、沖縄本島からフェリーで向かった。
本当に小さな島だった(周囲約8キロほど)。
島に降りると、大地から自然のもつエネルギーが溢れているようだった。
小さな島を、自転車を借りて、ゆっくりゆっくり回った。
自然しかないその島のもつ力に、私は圧倒された。
左右の緑豊かな茂みの中を、海へと続く白い一本道が続いている。
ただただ、自然の中を1人自転車で走り続けた。
気がついたら涙が自然とこぼれ、心の中の黒い膿のようなものが溶け出していくようだった。
もっと早く病院に連れて行けば、もしあの時…。
数えたらキリがないほどの「もし」があった。
私は傷つき、悔やんでいたんだ。
沖縄の豊かな自然が、私を許してくれたように感じた。
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旅から帰ってきて、日常に戻った。
久高島の旅は、あの時、あの状況だったからこそ、見えた景色や心の動きがあったのだと思う。
父の他界は、私の人生で最も苦しいことだった。
けれど、数ヶ月後に訪れた久高島への旅は、私の人生で最も印象深い旅となった。
明日から、沖縄の石垣島へ旅に行く。
今日は8月1日。
父の命日は2日後だ。
また父に呼ばれた気がする。
「大丈夫だよ。ちゃんと覚えているよ、お父さんの命日。」と、私は父に応える。
旅から帰ったら、お墓参りに行こう。子ども達も連れて。
暑い中でのお墓参りに、子ども達は文句を言うだろう。
それでも一緒に行こう。
家族とともに、私は元気でやっている、と父に伝えるために。
※久高島はとても小さい島のため、現地のことをよく調べてから行かれることをお勧めします。
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