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リーディング小説「生む女~茶々ってば~」第十七話 これからも私についてきて

これからも私についてきて

私は生まれたばかりの赤子を抱きしめた。お湯で洗われピカピカになった、ふわふわしたあたたかい塊。この子は私の愛で命だ。それをもう一度手に入れた喜びと安堵で、泣きそうになった。その日から私は秀吉に言われた通り、乳母ではなく自分の乳を口に含ませた。赤子は、顔を真っ赤にし無心にゴクゴクと乳を吸う。その様子が、愛おしくてたまらない。そばで乳母の大蔵卿局も目を細め、うれしそうに見ている。

「茶々様、お子様が生まれてしまえば、こちらのものです。
秀吉様は、お子様の顔を見られたらきっと情の強い方ですから、自分のお子様として認めますよ」と私の耳元でそっとささやいた。

秀吉とはあの冷たい手紙以来、何も音沙汰がない。
だが私は秀吉が、私達親子に屈服する自信があった。

「この子は、鶴丸の生まれ変わり」そう言って、秀吉にこの子を抱かせよう。秀吉はきっとそう思うに違いない。いや、本当は我が子だと思いたいのだ、彼も。自分が裏切られたと思いたくないし、私を切り捨てたくないからだ。

私には彼があこがれ強く求めた母上、そして主君信長の血が流れている。浅井と織田の血筋。
その血筋を受け継ぐ自分の子どもは、農民出身の彼が天下を平定しても決して手に入れられないものだ。その出自を秀吉が死ぬほど欲していることを、私は本能的に知っていた。

疑いがある場合は、強く言い切った方が勝つ。
私は鶴丸の時のように「この子は秀吉の子」と、心底自分に信じ込ませ、言い切る。寝ている息子の顔を見ながら、私は自分を奮い立たせる。
この子を守る為、自分の為、母となった私はさらに強くなる。

そしていよいよ、秀吉とこの子が対面する時が来た。
私はこの子を抱き、堂々と秀吉の前に出た。
「秀吉様、私達の鶴丸が再び私達の元に還ってきました」
そう言うと、赤子をそっと秀吉の手元に抱かせた。

秀吉はおずおずと受け取り、じっと黙って赤子の顔を見つめる。
その子の顔や重さ、ぬくもり、すべてを記憶するようにただ見つめた。重い沈黙と緊張が広間を包んだ。そばにいた家来達は息をするのも忘れたように、秀吉の姿を凝視する。寧々は能面のように冷ややかな視線で、秀吉を見つめる。誰も私を見ていないのに、私の手や背中から汗が流れた。

突然秀吉は、赤子を抱きしめたまま

「おお、おお、わしの元に還ってきたか。
よくぞ、還ってきてくれた。
よくぞ、無事に生まれてきてくれた」

そう言って、涙を流し始めた。

息をつめ様子を見ていた周りの者たちは、ほぉっと大きく息を吐き口々に
「太閤様、おめでとうございます!!」
とこぞって、ことほぐした。
周囲が喜びを爆発させた中、ただ一人複雑な顔をしていたのが現関白の秀次だった。私は秀次の表情を横目で見て、心の中でほくそ笑んだ。
私のもくろみは見事に当たった。
秀吉はみなの前で、この子を自分の子として受け入れた。
そして赤子を胸に抱いたまま、高らかに言い放った。
「この子の名は拾(ひろい)にする」

これはまた、棄に続き妙な名前にするものだ!と私はあっけにとられた。

「鶴丸の時は、棄てられた子は長生きする、と言われ棄という名にしたが、三歳になるやならずに死んでしまった。
この子は、そうなってはいかんから、棄の反対の拾うにする。
そして城の前に一旦捨てるんじゃ!」

「秀吉様、それはなんと!」

わたしは思わず叫び声を上げ、立ちあがった。私の大事な子供を城の前に捨てるだとどういう事?と頭が混乱した。秀吉はそんな私に向かい、首を縦にふりながら言った。

「大丈夫じゃ、茶々。
ちゃんと見張りの守役をつける。捨てたフリをして拾うのじゃ。
そうだ、見張りは大野治長にさせよ。
一度城の前に捨てて、治長に拾わせるのじゃ!
それでこの子はきっと無事に成長するはずじゃ」

秀吉の口から治長の名前が出てた時、一瞬ドキッとしたが
なんでもない顔で

「それなら、仕方ありませんわ。
拾いが無事成長するのでしたら、私も母として賛成いたします」

と秀吉に笑顔を向けた。だが内心、なんという皮肉だろう、と思わずにいられなかった。秀吉は治長にこの子を抱かせるチャンスを作った。これは偶然か?

私はこの時のことを後々考えた。

神、という存在はいるのだろうか?
もしいるとしたら、神は空の上から細い蜘蛛の糸を張り巡らせ、運命を操っているかもしれない。
そして神は、治長に決して抱けない我が子を抱ける最高のチャンスを与えた。彼は私の災厄だけでなく、我が子の災厄も祓う役目を担った。
私は拾いを身ごもった時点で、治長の存在をかき消した。だからこの役目を引き寄せたのは、治長だったのだろう。

やがてその儀式が実施される日が来た。
自分が提案したのに、秀吉は朝からソワソワしていた。
すでに拾いは、彼の宝物になっていた。
毎日顔を見に来ては、とろけるような顔で拾いを抱きしめるのが習慣になっていた。その日も秀吉は私から拾いを受け取り、腕に抱っこしていた。そこに治長がやってきた。彼は膝まづき、両手で拾いを慎重に受け取った。秀吉は緩んでいた顔を引き締め「頼んだぞ、治長」と言った。

治長はしっかり拾いを胸に抱きしめ「ははぁ、確かに賜りました」と言うと立ち上がり、家来達と一緒に部屋を出て行った。

治長が部屋を出ると、秀吉は心細そうな声で
「のう、のう、茶々よ  拾いは大丈夫じゃろうか?」と私に尋ねた。

私はつん、として「あら、秀吉様が言い出したことですわよ」と冷たく突き放した。秀吉は泣きそうな顔になった。薬が効きすぎた、と思った私は慌てて「大丈夫です。あの子は強い子ですから」と笑顔で言った。そして心の中で「本当の父親が見張っているのだもの。大丈夫に決まっている」とつぶやいた。

けれど、秀吉はまだ不安そうに顔を曇らせ「そうか、でもわしは心配でたまらん」という。

「なら、秀吉様もそばで見ておられたらどうですか?」

「いや、それはだめじゃ!
拾いは、治長が城の前で拾ってわしの元に届け、受け取ることで、この子も災厄を捨てることになるんじゃ!」

「そうですか。
なら、治長に任せておけば大丈夫ですわ」

と言い切り、秀吉の背中を撫でた。治長に任せておけば、大丈夫。それは間違いない。

それは時間にすれば三十分にも満たないものだったが、まるで三時間も待たされたように私と秀吉は首を長くし、治長が戻るのを待った。その間、私達はほとんど口も聞かず、黙っていた。部屋はお茶をすする音だけが響いた。

沈黙が終わったのは「只今、戻りました」という治長の声が聞こえてからだ。秀吉は弾かれたように立ち上がった。私も後に続き、立ち上がった。「入れ」と命じた秀吉の声に合わせ、襖が開かれた。治長が拾いを抱き、頭を下げていた。無事、その儀式は終わったようだ。
秀吉は治長から拾いを奪うように取り上げた。そして眠っている拾いに「おお、よくがんばった。拾いはわしに似て強い子じゃ!えらい子じゃ!」と顔中をくしゃくしゃにして言った。

私は、座ったまま控えている治長にそっけなく「ご苦労」と言って、背中を向けた。

後で、他の者に聞いた。
「治長は拾い様を抱いて、城の門の前に行きました。
そこは誰も通らぬよう、前日から厳しく申しつけられておりました。
拾い様が置かれる場所には、目印として赤い毛せんが敷かれていました。
治長は拾い様を、こわれもののようにそうっと毛せんに置きました。赤い毛せんの上の拾い様は、泣きもせず大人しくしておられました。治長は少し離れた場所で、注意深く拾い様から目を離さず見ておりました。そしてしばらくし、拾いを抱きあげにまいりました。
拾い様は治長にひろわれ、ぐずりもせず機嫌よく抱かれておりました。
治長はとてもやさしい目をしておりました。治長の手つきがそれはもう慣れておったので、見ていた周りの者達はみな、治長は家でもそうやって子供を大切にしているんだろう、と言っておりました」

その話を聞いた時、胸がしめつけられたように痛くなった。
私は胸に抱いた拾いの顔を見ながら「治長、お前は拾いを抱けることができて、本当にうれしかったのだな」「拾い、お前は本能的に本当の父親を知っていたのか?」と問いかけた。答えが返るはずもない問いに答えるよう、庭で鶯の声がした。私はハッ、とした。何をのんきなことを思っている?今ようやくスタートラインに立っただけだ。これからまだまだ越える山がいくつもある。私はうつむいていた顔を上げて前を見た。

だから治長、これからも私についてきて。
前は私が歩き、切り開く。
後ろから離れず、ついてきて。

これから続く豊臣継承への道のり。またゼロに戻ったその道を私はようやく歩き始めたばかりだった。


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