さくほ集落の話の聴き手

さくほ集落の話の聴き手

マガジン

  • 佐久穂の古い写真を訪ね歩く

    町内の皆さんのお宅などに眠っている、古い写真。写真を紙で残さなくなった現代にとっては、非常に貴重な存在となっています。まだカメラを向けるのもめずらしかった戦前から、戦後の高度成長期で生活が変化する前までのお写真をご紹介いただく企画です。 温故知新、いろんな風景に出会えますように!

  • 方言を楽しもう

    独特のイントネーション、音のもつ雰囲気。佐久穂で育った人にしか出せないものがある。 失われつつある方言を残したい、未来につなげたい。そのような想いで活動しています。

  • 今では減ってしまった行事のものづくりを再現しよう

    昔、1月には暮らしに根付いたたくさんの行事があった。小正月や二十日正月など、今では知っている人も減ってきた行事を掘り起こして、そのとき使われていたものの具体的な作り方を再現し、残していく。

  • 2023年度_さくほの集落 聴きめぐり

    2022年度の活動は、「佐久穂町の集落聴きめぐり」という冊子にまとめさせていただきましたが、今年度は公式noteへの記事投稿を基本活動にしていく予定です。

  • 集落の聴き手だより

    毎月発行している聴き手だよりをnoteでもお楽しみいただけます。 紙面には載せきれなかったエピソードもご紹介いたします。

最近の記事

土蔵のあるまち並みに人々の暮らしが息づく 八郡(集落の話の聴き手だより7月号)

こんにちは! 「集落の話の聴き手」です  町に出ると、「だより」読んでるよ、とお声掛けされることも多く、その度にうれしい集落の話の聴き手一同です。3年目になるこの事業では、これまで同様、月に1度の「集落の話の聴き手だより」を発行します。地域での思い出や暮らしぶりについて、公民館でお聴きして回る予定です。  昨年度も発行していた、「集落の話の聴き手だより」。今まで知らなかった集落のことを知れてうれしい!など多くの反響、ありがとうございます。今年度はさらに紙面を大きくし、よ

    • 柳町と人の暮らし(集落の話の聴き手だより7月号)

      柳町と人の暮らし  国道141号を旧八千穂村から走り、下畑区の境まで来ると、左斜めに入る細い道がある。旧佐久甲州街道である。高野町と書かれた表示板を過ぎた所から柳町集落が始まる。  伴野勝治さんは、20歳の頃から薬草を扱う仕事をしていた。父親は戦死、すぐ下の弟が薬草を扱う仕事を始め、その手伝いをした。「ゲンノショウコ、オオバコ、キハダ等の薬草は南北佐久地域の小・中学校を回って集めた。夏休みに小学生・中学生が集めたゲンノショウコやオオバコを買い取った。そのお金で、図書や運動

      • 水車小屋があった大日向4区で、13人家族で過ごした日々|小須田秀行さんのお話し

        語り手 小須田 秀行さん 聴き手 大波多 志保 3世代13人が住んだ家  国道299号の前田橋を曲がり、本郷橋を渡った抜井川沿いに建つお宅。大日向4区にお住まいの小須田秀行さんを尋ねた。お庭には、よく手入れされた木々や花々が咲き、おとなしい川上犬の“じょりちゃん”が迎える。秀行さんは、昭和8年11月11日生まれ、御年90歳だ。広い畑は、かつて満蒙開拓で土地を離れる人から譲り受けたという。  秀行さんは7人兄弟の次男坊。子どもの頃は、ひいおじいやん、ひいおばあやん、おじい

        • 柳町こぼれ話

          写真で見る小海線と蒸気機関車 JR小海線は、大正4年(1915)に佐久鉄道として小諸・中込間が開通。その後、大正8年に小諸・小海間まで延長された。昭和10年に国鉄小海線になり、小諸・小淵沢間78.9kmが1本のレールで結ばれた。この全線開通を機にC56系蒸気機関車が導入された。  松澤透さんが所有する蒸気機関車の写真を見ながら、小海線に走っていたC56系蒸気機関車の機関助手(かま焚き)をしていた7年間の思い出を語ってもらった。  「この写真は、小海線に走っていた4両のC5

        土蔵のあるまち並みに人々の暮らしが息づく 八郡(集落の話の聴き手だより7月号)

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        • 佐久穂の古い写真を訪ね歩く
          23本
        • 方言を楽しもう
          11本
        • 今では減ってしまった行事のものづくりを再現しよう
          8本
        • 2023年度_さくほの集落 聴きめぐり
          20本
        • 集落の聴き手だより
          18本
        • 南佐久の山と里で、馬と共に生きた時代を振り返る
          9本

        記事

          展覧会「佐久穂100年の記憶〜古い写真を訪ね歩く〜」開催報告・御礼

          令和5年度 集落の話の聴き手事業の最後の催しとなりました、展覧会「佐久穂100年の記憶〜古い写真を訪ね歩く〜」2月23日〜3月5日を無事に開催、終了することができました。 写真提供者の皆様のご協力あっての展覧会でした。また、開催中に雪が何度も降り、足元の悪い中ではありましたが、たくさんの方にご来場いただきましたこと心より感謝申し上げます。 ご記入いただきました芳名帳には、佐久市、小諸市、小海町と、町外のご記入もありました。遠くから足を運んでくださり、とてもうれしく思います。

          展覧会「佐久穂100年の記憶〜古い写真を訪ね歩く〜」開催報告・御礼

          「好きな方言アンケート」結果発表

          佐久穂町茂来館の集落の話の聴き手事業展覧会「佐久穂100年の記億~古い写真を訪ね歩く~」の展示会場の方言コーナーで「好きな方言アンケート」を行いました。 子どもの頃から慣れ親しんだ方言を、盛んに来場者の方々が書き込んで下さり、投票してくださいました。 1位  よくだに(よくされますね) 2位  ずくだせ (やる気出せ) 3位  ~ずら (だろ) 4位  ももっけー(くすぐったい)     おやげねえ(かわいそう) 5位  しんの(つかれた)       おめえとう(あなた)

          「好きな方言アンケート」結果発表

          集落再発見天神町③  上村(かみむら)家の歴史

          天神町には、2軒の上村家がある。この地域では、珍しい姓ですね、とお尋ねすると、上村高光13代目さんは、「上村の家系図を見ると、初代の上村矩政は1599年生まれで、元々は崎田にいたんじゃないかな。この天神町が、崎田新町村と呼ばれた1622年に住んでいた記録があります。ここは河岸段丘だったから崎田周辺が集落として栄えたと思います。その後に、下りてきたようです。」 「それと、1757年(江戸時代・宝暦7年)に現在の天神町で酒造業を始めたと記録があります。」同じ天神町にある黒澤酒造の

          集落再発見天神町③  上村(かみむら)家の歴史

          馬越区 御嶽講の春祭り

          佐久穂町には、「講」という同じ神仏をまつったり、本社に参詣したりすることを目的として結成された団体があります(『八千穂村誌』より)。 今回は、馬越区で現在も行われている「御嶽講」におじゃまさせていただきました。 今年度の当番のみなさん、ご参加のみなさんにお話を伺いました。 現在御嶽講の講中(参加する家)は、8軒。講の結成当初は、15軒あったそうです。 毎年、当番が3名で行っていましたが、今回から、4名当番で行うことに。 当番の家に回ってくる御嶽講の資料によると、明治6年(1

          馬越区 御嶽講の春祭り

          集落再発見 天神町② 出浦医院

          八千穂駅から南に80メートルほど進むと、道が二股に分かれる。その分かれる道の右側に平屋木造家屋(一部二階建て)がある。出浦医院である。玄関を入るとそこは畳敷きの待合室。寒くなるとそこに掘りごたつが置かれる。待合室の右側にレントゲン室、左側に受付と薬局、その隣が診察室、手術室と続く。 出浦公正(たかまさ)医師は、軍医として満州に渡る。終戦後、穂積村(現在は佐久穂町)に戻り、昭和21年に医院を開く。昭和51年には八千穂村村長に当選し、医師と村長職を兼務する多忙な日々を送る。

          集落再発見 天神町② 出浦医院

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石⑤~水と共にあった暮らし~

          川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。 最初の記事はこちら――― お話を伺ったのは… <大石在住> 菊池 常雄さん(87) 篠原 春之助さん(83) 島崎 暁子さん(82) 菊池 千賀子さん(81) 菊池 光夫さん(77) 相馬 元一さん(81

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石⑤~水と共にあった暮らし~

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石④~水と共にあった暮らし~

          川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。 最初の記事はこちら――― お話を伺ったのは… <大石在住> 菊池 常雄さん(87) 篠原 春之助さん(83) 島崎 暁子さん(82) 菊池 千賀子さん(81) 菊池 光夫さん(77) 相馬 元一さん(81

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石④~水と共にあった暮らし~

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石③~水と共にあった暮らし~

          川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。 最初の記事はこちら――― お話を伺ったのは… <大石在住> 菊池 常雄さん(87) 篠原 春之助さん(83) 島崎 暁子さん(82) 菊池 千賀子さん(81) 菊池 光夫さん(77) 相馬 元一さん(81)

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石③~水と共にあった暮らし~

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石②~水と共にあった暮らし~

          川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。 最初の記事はこちら――― お話を伺ったのは… <大石在住> 菊池 常雄さん(87) 篠原 春之助さん(83) 島崎 暁子さん(82) 菊池 千賀子さん(81) 菊池 光夫さん(77) 相馬 元一さん(81)

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石②~水と共にあった暮らし~

          高岩こぼれ話

          高岩には、歴史的史跡が2つある。1つは天狗岩である。現在の天狗岩の下には小海線が通っている。その昔、千曲川は天狗岩に突き当たるように激流が流れていた。道はなく、不便であった。そこで、岩の割れ目に杭を打ち込み、材木を渡して棚のような道を作った。これを棚橋と呼んだ。 もう1つは、『秩父困民党散華之地』碑が高岩に建てられている。秩父事件とは、1884年、明治17年11月、悪徳金貸や政府の悪政を批判し、貧民の救済を訴えておこした日本近代史上最大の農民蜂起のことである。明治17年11

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石①~水と共にあった暮らし~

          川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。 お話を伺ったのは… <大石在住> 菊池 常雄さん(87) 篠原 春之助さん(83) 島崎 暁子さん(82) 菊池 千賀子さん(81) 菊池 光夫さん(77) 相馬 元一さん(81) 西沢 茂人さん(73) (

          佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石①~水と共にあった暮らし~

          余地 友野茂夫さんご家族の味噌づくり

          味噌を今も家庭で作っている家は、どんどん減りつつある。 手前味噌は、家族総出で、味噌玉を作る。手のひらの常在菌が味噌の菌となる。その家に長年ある菌、樽の菌、代々受け継がれた菌がその家族の身体に合う味噌となり家族の健康を支える源となる。 家族で毎年作られている友野さん一家の味噌づくりを、見せて欲しいとお願いした。最初は、家族以外の人の菌が入ることを懸念され、やんわり保留にされていたのだが、娘の春奈さんが、お父さんを説得してくださり、一緒にお手伝いをさせてもらうことになった。

          余地 友野茂夫さんご家族の味噌づくり