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柳町こぼれ話

写真で見る小海線と蒸気機関車

羽黒下駅に停車中のC56系蒸気機関車

 JR小海線は、大正4年(1915)に佐久鉄道として小諸・中込間が開通。その後、大正8年に小諸・小海間まで延長された。昭和10年に国鉄小海線になり、小諸・小淵沢間78.9kmが1本のレールで結ばれた。この全線開通を機にC56系蒸気機関車が導入された。

 松澤透さんが所有する蒸気機関車の写真を見ながら、小海線に走っていたC56系蒸気機関車の機関助手(かま焚き)をしていた7年間の思い出を語ってもらった。

小海線に走っていた4両の蒸気機関車

 「この写真は、小海線に走っていた4両のC56系蒸気機関車です。私が国鉄に入社した当時は、貨物専用列車として走っていました。見習い期間中は、教導さんと呼ばれる指導員から手取り足取り教えてもらいました。失敗もありました。石炭をボイラーの中に放り込むとき、うっかりスコップの柄を放してしまったんです。そうしたら、ボイラーの熱の圧力というのでしょうか、スコップがあっという間に吸い込まれてしまった。失敗を重ねながら1人前になるには3、4年かかります。C56系はボイラー室が小さかったので、片手スコップで石炭を入れました。おかげで、右腕は太くなりました。7年間のかま焚き生活で身に付けたことは、『SLは生き物』だということです。その日、その日で機関車の調子が良い時もあれば、悪い時もある。その調子に合わせて、かま焚きをするんです。重い荷物を運んでいる時は、石炭をたくさん食べます。かま焚きは職人気質の人が多かった。」

野辺山駅に向かって西川橋鉄橋を前後2両の蒸気機関車が渡る

 「この写真は、野辺山駅近くの鉄橋を渡っている時に写したものです。野辺山の高原野菜を運ぶために通風車を連ねた臨時列車です。畑の中に臨時駅を作り、そこで野菜を積み込みます。野辺山あたりは傾斜があるので、C56系は先頭は前向きで貨物を引っ張る。一番後ろにも1両、後ろ向きで連結されているので、バックで押します。かま焚きの腕の見せ所です。煙の色や勢いで石炭を入れるタイミングを探ります。蒸気機関車の煙の色は黒色と白色。蒸気機関車は走り出すときは黒い煙を出します。完全燃焼している時は白い煙。一番力が出る時です。」

小諸駅に停車中の蒸気機関車と特急あさま

 「この写真は、小諸駅で写しました。右側にあるのが、信越本線に走っていた特急あさまです。左側が、小海線に走っていたC56系蒸気機関車です。電化が進み、小海線にもディーゼル車が導入され始めた時代。大量輸送の形態が変わり、SLが姿を消し始めた新旧の世代交代を象徴した貴重な写真です。」

 1973年、小海線からC56系蒸気機関車が姿を消しました。

文   西村 寛


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