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余地 友野茂夫さんご家族の味噌づくり

味噌を今も家庭で作っている家は、どんどん減りつつある。
手前味噌は、家族総出で、味噌玉を作る。手のひらの常在菌が味噌の菌となる。その家に長年ある菌、樽の菌、代々受け継がれた菌がその家族の身体に合う味噌となり家族の健康を支える源となる。

家族で毎年作られている友野さん一家の味噌づくりを、見せて欲しいとお願いした。最初は、家族以外の人の菌が入ることを懸念され、やんわり保留にされていたのだが、娘の春奈さんが、お父さんを説得してくださり、一緒にお手伝いをさせてもらうことになった。

友野さん一家の味噌づくりは、じっくり、3日間かけて作る。
佐久穂町辺りの味噌づくりは、2月は凍みて寒すぎてやらない。3月頃だと家族みんなが休みだから、人手をあてにできる春先にやることが多いようだ。

家族揃って味噌作りをしていた写真

確かに見せていただいた味噌づくりのお写真は、おばあちゃん、娘さん、お孫さんが、味噌玉づくりをしていて、代々使った、味噌を引きつぶす機械も進化していた。
変わらないのは、大きな味噌樽、年期の入った、1斗樽、大豆を測る棒、重しを乗せる鉄平石(余地で採れる鉱石)などだ。

火おこしには、自分の山の松や、解体した家のごったく(廃材)、燃えやすい大豆の殻をとっておいてそれを使う。この辺だと干した大豆の殻は、焚き付けに最適。
友野さんのお宅は、減反政策が始まってから、空いた土地に大豆を作り、大豆から自家製だ。

「大なべの水は、豆から上1センチ、って教わったの。」「呉汁が(大豆を煮たゆで汁のこと)が吹きこぼれないのがこの量なのよ。」長年の経験が分量にも作り方にも詰まっている。

1日目に大釜などの道具を出して洗い、薪を準備をする。大豆を洗い、ほとばして(水に漬け)、大豆をゆっくり柔らかくするために前日から茹でた。午後から再びゆっくり火入れを始める。
昔は大人数で作るから、食事にお餅をついたり、お赤飯炊いたりして賑やかだった。
折角かまどの火もあるから、よもぎ餅も作ったりしたそうだ。

竈(かまど)で大豆を茹でるエツヨさん

2日目10時に豆の具合を確かめて、大豆が冷め切らないので、山本屋麴店に麹を取りに行く。1か月ほど前にお米を1斗(14.5キロ)米麹にしてもらうのに預ける。その分の米麹を後日引き取る。麹の加工賃は、別に払う。エツヨさんは、更に麦麹を2升買って入れる。地元ならではのやり取りだ。ここで初めて、米麹と麦の麹を見せて貰った。麦麹を混ぜることで、風味がまろやかで甘みが出るそうだ。地元のス-パ-には、米麹が並んでいて、いつでも購入できる。麹が当たり前に手に入る。さすが長野県だ。私も長野に移住してから欠かさず甘酒を作っている。
山本屋さんの麹は、まろやかな味になり味に外れがない。友野家の味噌づくりの塩は、赤穂の塩をずっと使っているそうだ。

麦麹

茹で上がった大豆を茂夫さんが、ミンチ機にかけて引く。昔は手動だったが、電動になり、あっという間に出来上がる。甘い香りが立ち込めた大豆がムニュムニュと出てくる。茂夫さんが食べさせてくれた。茂夫さんは、昔は、甘いおやつなんてない時代だったから、楽しみだったそうだ。
大豆モンブランは、何も味付けしなくても甘くて優しい味がした。

ミンチから大豆が出る写真

この大豆を、今度は、部屋に運ぶ。布→厚紙→透明の厚いビニ-ルを敷いた上に味噌玉にして冷ます。
麹と茹でた大豆、塩をただひたすら混ぜる。混ぜたら天地返しし混ぜる、それに呉汁を混ぜて味噌を作る。

エツヨさんのお婆さんの時代は、味噌玉を円錐状にして固めて縄で縛り、養蚕の合間に蚕のいなくなった場所につるし、固くなったら叩いて割って、水と麹を混ぜ味噌を作った。しかし今では、味噌玉を吊るす作業は、見られなくなった。(大日向の小須田さんも蚕のいなくなった時期には、天井から吊るしていたと話された。)新聞記事によると2003年頃までは、この手法は、信州で行われていたらしい。
直径11センチ長さ16センチの円錐状を縄で縛り発酵させる伝統の手法。菌が繁殖してコクが増し、美味しい味噌が出来る。時代と共にやり方も生活に合わせて変化しているのを感じた。


味噌樽の中の牛蒡

3日目
友野家の味噌樽は、洗わない、代々綺麗に拭いて味噌を投げ込む。
この地域の家々は、味噌に牛蒡(ごぼう)、唐辛子を入れるお宅が多いそうだ。
昨日作った味噌を味噌蔵に運び、始めに樽の底に牛蒡と唐辛子を並べる。その上に味噌を投げ込み、再び牛蒡、唐辛子、味噌と重ねていく。
カビ予防のため、35度の焼酎を霧吹きで樽のふちに噴いてから一度新聞紙をかける。1週間したら再び焼酎を噴いて密閉する。
7月下旬から8月上旬の土用の丑の頃発酵してくるので、手を入れてかき混ぜる。10月ごろには、1年味噌が出来上がるが、味噌は、2年目、3年目が美味しいそうだ。

「柔らかさ、固さ、量がいい塩梅になったのは、この頃で、足りなくなったり、色々あった」とエツヨさん。コツコツ長年家族の健康のために味噌を作り続けるのは、並大抵ではない。丁寧に作っている友野家の味噌は、絶品。私も出来ることなら、家族の身体に合った手前味噌を作り続けたい。そう思わせてくださった友野ご家族に、感謝しかない。
信州味噌が形を変えながら作り続けられて行くことを願ってやまない。

文 大波多 志保


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