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集落再発見天神町③  上村(かみむら)家の歴史

天神町には、2軒の上村家がある。この地域では、珍しい姓ですね、とお尋ねすると、上村高光たかみつ13代目さんは、「上村の家系図を見ると、初代の上村矩政のりまさは1599年生まれで、元々は崎田にいたんじゃないかな。この天神町が、崎田新町村と呼ばれた1622年に住んでいた記録があります。ここは河岸段丘だったから崎田周辺が集落として栄えたと思います。その後に、下りてきたようです。」
「それと、1757年(江戸時代・宝暦7年)に現在の天神町で酒造業を始めたと記録があります。」同じ天神町にある黒澤酒造の創業が1858年(安政5年)であるから、それより約100年前から酒造りをしていた。
 
ある人から、上村家は村上水軍の末裔まつえいではないかと教えられたのですが、と問いかけると、「それはないでしょう。村上水軍は日本中世の瀬戸内海で活動した水軍(海賊衆)です。考えられるとすれば、戦国時代に更埴周辺を支配した村上義清よしきよです。武田信玄が信州に侵攻してきたとき、2度に渡って、撃退した勇猛果敢な戦国武将です。ただ、その末裔が、上村と名前を変えたという話は聞いたことはありません。」お話を伺って、真実は定かではないが、何かロマンを感じさせるエピソードである。
 
高光さんの父親である上村久三きゅうぞう氏は八千穂村の文化財を調査され、共編者の一人として本を出版されてますね、と尋ねると、「私は、外に出ていたので、あまり詳しい話は知りません。ただ、小学校教員として田口、大日向、小海小学校で教壇に立っていました。歴史が好きでしたが、詳しいことは分かりません。」偶然だが、旧八千穂村時代に池の平遺跡発掘調査がおこなわれ、まとめられた資料集の中に、発掘協力者として上村久三氏の名前を見つけた。
上村家が歴史ある家柄だとわかるものがある。それは裏庭に植えられた2本の松である。『夫婦の松』と呼ばれている。植木職人に言わせると、樹齢300年は経っているそうだ。その立ち姿は、いかにも300年の歴史の移り変わりをじっと眺めてきた、威風堂々とした立派な枝ぶりであった。


『夫婦の松』


上村久三氏が執筆した『馬塚と五輪塔』

                
文:西村 寛

         


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