チチの教えハハの教え
Sakuです。
わが父、わが母。
それぞれの教えを思い出す(存命です)と、おもしろいものあり、たしかにと腑に落ちるものあり。
父の教え。
子どもの成績が悪いのを怒るのは間違っている。子どもの頭の良さは、家庭学習の環境と、DNAで決まる。つまり子どもが頭が悪いというのは、家の環境が悪いことと、DNAが悪いことの結果であって、どっちも親の責任だ。
うちには部屋があって無いようなもので、みんなリビングで家庭学習していました。
テレビの音や家族の気配があるところで勉強する習慣がつき、Sakuは今でもシーンとしすぎたところでは集中できません。
ドラえもんで、のび太のお母さんがのび太のテストの点数を叱るシーンで父がこうつぶやきました。たしかに。とくに小学生のうちは、家でちゃんと自習できるかが問題であって、ドラえもんのような未来からきた遊び相手がいては家庭学習なんかできないよね。
Sakuは点数が悪いことを叱られた経験が一度もなく、それにはとても感謝しています。
世の中不公平だよ。
父は「公立主義」で、子どもを私立に行かせないことがモットーでした。4人きょうだいなので経済的負担が大きいし、ひとりでも私立に行くと私も、となってしまう。
沖縄にはそもそも私立の小中高が少ないので、近場の公立に行く。大学も私立は検討せず国公立へ。
公立学校の良さは、いろんな子がいることだとSakuは思います。成績のレベルも家庭のレベルも色々。ヤンキーもいる。とくに小学校、中学校で、雑多な環境に身を置くことは良いことのような気がします。貧しい人もお金持ちもいて、みんなそれぞれ事情があるというのが当たり前で育つ。
Sakuは県外の大学に入ってから、中高一貫の女子校、男子校なるものがほんとうにこの世にあるんだとびっくりしました。
もし、子どもと妻とボートに乗っていて、両方が溺れてどちらかを助けないといけないなら、妻を助ける。子どもはまた作れるけど、妻は一人しかいない。
これはSakuが中学くらいのときに言ってました。まだ子どもだったSakuも、この言葉から「そんなにお母さんが大事なんだな」と妙に納得。父の考えとしては家族=夫婦が基盤で、子どもはオプション的な位置づけだ。
Sakuは結婚して二人家族を作った今も納得しているけど、母が「うーん」という感じだったのがとても印象に残る。たぶん母は子どもか夫を助けなければいけないなら、子どもを選ぶ。そこに男女の差が出ていそう。
母の教え。
パンを食べたらご飯も食べなさい!
これは母が「ご飯主義」だったので。子どもが育つにはパンより米、と信じていました。
だからパン=お菓子という感じで、パンだけでは食事とみなさず、ご飯も食べなさいということ。Sakuはそんなに食べきれなかった。ちなみに夕飯がスパゲッティーのとき、母はトーストも焼いて食べていたので、たんに炭水化物が好きなだけという意見もある。
3人きょうだいの予定だったけど、「もう1人いけるな」と思って4人産んだ
Sakuのきょうだいは兄、姉、Saku、妹、の4人。男1人女3人です。兄と姉、姉とSakuの間は3歳違いなのに、Sakuと妹の間だけが5歳空いています。父と母はその間にもう1人いけるかどうか考え、産んだようです。
父は男の子を期待し、勝手に確信し、名前までつけていたけれど、女の子が生まれました。母は女だと分かっていたようです。
末っ子はいちばん賢いという研究結果があるようで、Sakuの妹もそのとおりいちばん賢いです。地頭が良いのに加えて努力家で、ストイックな妹が「いない」世界もあったのかと思うとふしぎ。
男はよく見て選びなさいよ。動かんぬー(動こうとしない)、働かんぬー(働かない)いきが(男)はダメ。
Sakuが大学のとき帰省していて、母は洗濯をしながら言いました。Sakuは初めて彼氏を実家に連れてくる予定で、Sakuが先に来て彼氏が後から来る段取りでした。
母は背中ごしに厳しく、そしてそっけなく言い、Sakuは胆に銘じました。
これが方言なのは母がつねに方言をしゃべるわけではなくて、母の祖母(母はお母さんではなく祖母に育てられた)に言われた言葉を再現するときに方言を使います。
母の祖母(Sakuのひいおばあちゃん)は108歳までたくましく生きた人で、戦前は台湾や日本本土で働き戦争も生き延びました。ひいおばあちゃんの夫は50代で亡くなっています。「自分の分まで生きて」と言われた通り、その倍を生きた。すごい人です。
動かない、働かない男はダメ。と言われるより方言で言われるほうが古くからの教えの重みがあります。
私はどんな遺伝子を残せるだろうか?どんな言葉を残せるか?
結婚して子どもを産み育てることが見えてきた今、それが楽しみです。