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うつ病とパニック障害とのお付き合い

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僕の個人的な病気との奮闘記です。
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P10 暴露療法について

P10 暴露療法について

(めちゃくちゃ独断と偏見に満ち溢れてますので、この後に書かれている事は正解ではありません。あくまでも僕の個人的な見解と感想です。あしからず。)

お薬の服薬と同時並行で知ったのが、パニック障害のリハビリの一つ暴露療法。

そのやり方を初めて聞いた時は唖然としました。

電車に乗れないなら電車に乗りましょう。

車に乗れないなら車に乗りましょう。

レジに並べないのならレジに並びましょう。

美容院

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P9 就労サポートプログラム(デイケア)

P9 就労サポートプログラム(デイケア)

1人リハビリからの続きです。

僕自身それなりにではありますが、動けるようになってきたタイミングで、次のことを考え出します。

当時もうすでに30歳を過ぎていました。
自分の人生をやり直すためにも必要なのは先立つもの笑(お金)

そんな時にデイケアで仲良くしていただいていた友人から声がかかります。

「就労に特化したデイケアやるってよ」

以前通っていたデイケアのスタッフが、通常のデイケアとは別に

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P8  1人でのリハビリ

P8 1人でのリハビリ

前回デイケア通所ストップからの続き。

さて、デイケアに行かなくなってしまった僕ですが、人生の復活を諦めたわけではありませんでした。

当時の僕はうつ症状よりもパニック症状の方が生活に支障をきたしていましたので、パニック症状の改善に重きを置いてのリハビリを開始します。

ここで役に立ってくれたのが「魚釣り」でした。
幼少期から自然の中に身を置くことに、喜びや楽しさを感じていた僕は、「ルアーフィッシ

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P7 デイケア②

デイケア①からの続き。

少しずつですが、それでも一歩一歩前に進んでいました。
朝は9:00から、お昼を食べて15:00まで(だったと思う笑)、月曜日〜金曜日、休む事なく安定して通所できていました。

参加プログラムも、前回記述した外出系のプログラムはもちろん、何かを作る作業系や絵を描いたり書道などもやりました。
クロスワードやナンプレなどの脳トレ系は、自宅以外の閉鎖空間で集中するトレーニングにも

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P.6 デイケアにて。①

P.6 デイケアにて。①

縁あって通う事になったとあるクリニックのデイケア。

うつ症状と不安感が強かったので通所できるかわかりませんでしたが、動かないよりは動いた方がいいと思い、少しづつ通いはじめます。

自宅の最寄駅から一駅先の駅前クリニックでしたが、その一駅が電車に乗れず自転車での通所開始でした。(当時はうつ症状よりも、パニック障害の不安感の方が強かったです)

出たいプログラムや出れるプログラムを中心に、外出系のプ

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P.5 転換地点

P.5 転換地点

僕の人生における大きな転換地点が30歳の時に訪れます。

きっかけを作ってくれたのは母でした。

とある精神保健福祉士の方のセミナーの開催をどこからか見つけてきてくれて僕と一緒に会場まで行ってくれました。
しかし当時の僕はまだ外出するだけで精一杯。
とてもとても役所の会議室に数時間(と言うか数分も無理)も座っているなどできなくて、母は会場で公演を聞いて僕は駐車場の車の中で予期不安と格闘という形でし

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P.4長い迷走

僕が心療内科に本格的にお世話になり出したのは30歳前後です。

しかし体調を崩し、仕事も学校も辞めたのは20歳前。
つまり約10年間は、体調が悪いのにもかかわらず、適切な処置をしなかった、できなかったのです。

この「魔の10年」を作ってしまったのには、やはりいくつか原因があります。

一つは「精神病に対する偏見」です。
僕はもともと精神病に対して否定的な見解を持っていました。
「気のせいだろう」

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デッドフィッシュ

病み上がりのリハビリ釣行を夕方少しだけ。

バスもシーバスも御多分に洩れず、「台風後の回復傾向やや濁り」は、もう釣ったも同然だと息巻いて1時間だけバス釣りに。

着いて早々のファーストフィッシュは雷魚。

ヒレがキレイですね〜。
普段は陸に上げないんですが、ヘラ台崩れの中で掛けてしまったので、ぶっこぬいて早々に写真で10秒リリース。

それから程なく水面系には反応しないものの、ボトムをとれば良

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