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眠れない夜は詩集に触れて

詩集が好きだ。読んでいると、気持ちがゆっくりと凪いでいく。
読書は、暗い夜の海辺を歩いて波の音を聴くような感覚に似ている気がする。いや、そんな経験はないのだけど、でも、詩集をそっと机に置いて目を瞑ったらそんな気持ちになる。

全部放りだしたくてもういいやって海に飛び込んで無茶苦茶な泳ぎ方でもしてやろうってやってきたのに、いつのまにか心が落ち着いて海を静かに眺めている、そんな感覚。砂浜に腰をおろしてただ寄せては返す波の音を聞けば、私はどこまでも自由で、そして淋しい。
それは決して悲しいことではなく、私にとって必要な一人の時間だ。

詩集が好きとは言ったものの、夢中になりだしたのは案外最近である。
まず私が読書を再び好きになったきっかけは、体を思うように動かせず家で過ごすことが前に比べ増えたゆえなのだけど、20代になってからまた少しずつ新たに読む本が増えたこと、詩を読んだり書いたりしたくなったことは、無条件に嬉しいなって思っている。


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眠れない夜の数だけ、私の命の一部はふわふわと漂いながらももがいていて、詩の断片に心を動かされていく。今日という日を足掻いて生きた証が欲しくて、焦ってしまうしょうもない自分を赦す代わりに私はことばに縋っている。そういう幾つもの夜も、私を構成するきっと大切な一部となっていくんじゃないかって、詩を読むとなんだかそう思えるような気がする。

いっちょまえに表現者だと言うには修行は全然足りないけど、私が私の夜を好きになれたぶん、それがいつかことばや音となって誰かに届くかもしれない、そう思ったら、体や心が痛むことは決して不幸と隣り合わせとは限らないだろう、て思わせてくれるものの一つが、私にとって本なのだ。

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もし、もし、詩を読んでいて息が止まりそうなほど、私の体の中にある波がざぶうん、ざぶうん、て揺れる瞬間も、ふいにわけもわからず、涙がこぼれそうで、でも泣くまいと私の心臓のそばに防波堤をつくることも、全部、いつか、それがいい、大丈夫だって言えたなら、私はきっともっと笑うだろう。

言葉にとりつかれても構わない、ただ、私の魂がちゃんと息をしてこの世に存在したことを、砂一粒でも残しておきたい、と臆病者の冒険者は思うのだった。



最近、とてつもなく心細い夜は、推しアーティストがnoteで紹介していた詩集を読んでいる。近所の図書館の書庫にあって借りているけど、ずっと手元にあったらいいな、て思う一冊(古すぎて定価で買える場所はもうなさそうかも…でもどこかであなたに出会いたい)。


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