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読書が再び好きだなって、思って

幼い頃、本に囲まれて働きたい(あの頃の私は確か司書になりたかった)と思うほど物語が大好きだった。
でも成長するにつれ、ただの趣味で文字を大量に追いかけて楽しむことはどんどん減っていって、忙しさを理由に私は読書から縁遠くなった。

ただ、今病気で暴れる(駆け回る、遊ぶという意)ことが不意にできなくなって、しかもなかなかに上手に眠れなくて、でもこんな夜は越えてやる、痛みを蹴散らすやうに、やれることってなんだろうて思った時、ぱっと思い浮かんだものの一つが、昔は相棒みたいに身近にいた、本を読むという行為だったのだ。
それから、誕生日プレゼントで本を憧れの方々からいただいた、というのも大きなきっかけで。

ことばに触れること、作品を愛しく思い読むこと、書くこと。そういうものに巡り会えることは、やっぱり嬉しい。

この春(てまだ言っていい時期かな)出会った、大切な三冊を紹介します。
一つめに世界一大好きな長編小説、二つめにとても特別な、勇気をくれる詩集、三つめに私にもういちど力をくれた、歌集を。

読んだ本たち

1.『さくら』西加奈子

まず、久々に読んだ長編小説、そして私の人生でとても特別な作品になった「さくら」について。すでにこの本は好きすぎて、noteにはじめての読書感想文を書くときの題材にしています。

この本をくださった方が、西さんの本を「忙しいと思うけど、オアシス代わりに枕元に置いといていいと思うよ。」といってくれて、あ、そっか、この子(て言い方は適切でないかもしれないけど大事なものってそう呼びたくなる)と、ずっと一緒にいられて、いくつもの夜、話をできるんだな、て思ったら、ふわっとやさしく、肩を包みこまれるような、温かくてやわらかい光がまっすぐ降ってきた。
誰かに対してそばにいたいだなんてずっと言えないままだったけど、この本はなんだかそれを笑って赦してくれる、私のひだまり、春の風がふわっと吹いてくるような、大好きな本。西さんの表現てどうしてこんなに胸を刺す、どうやったらこんな物語が綴れるんだろう、て焦がれ魅了されている。作品を、ことばを、ここに紡がれたやさしい希望を、愛しく想っています。

2.『すみれの花の砂糖づけ】江國香織

そして、もうひとつの宝物。
江國香織さんの世界観に今までも惹かれていくつか読んでいたけど、詩集に出会ったのははじめて。
受け取って抱きしめれば、ぎゅううと心がどくどく動いて、力が満ちるような。そう、この作品の中に「言葉はいつもあたしをいさましくする」、とある。この言葉、やっぱり魔法だと思う、なきそうなほどに。本のぬくもりに、とても救われている。
ああ心細い、抱きしめられたい、そんな夜にひとたび触れれば、甘い花の匂いがふわっと鼻をくすぐるように感じる、不思議な本。いつもやさしくほのかに漂ってくる、物語の香りに触れられて、嬉しい。
この本には、そもそもやさしい魔法がかかっていると思う。だって、この本を私にそっと授けてくれた大好きな人の熱とか魂の一部が、そこにふんわりと染み込んでいるように感じるから。いつでもあたたかい光を放っているように思えるのだ。
ああもう無理って思った時にこの本を開けば、ちゃんと呼吸が還ってくる感じ。胸がきゅっと高鳴ったり、私が私のまま息をして、ここに立っている。ことばというお守りを握りしめ、深くベッドに沈み込むように、文字をたどっている。これからも、それが私の人生をきっと救ってくれるのでしょう、と何の根拠もなく思えてしまうくらい、どんなにいたい日も、うまく夜の闇を泳げずに蹲る時も、愛して、きっと。

ちなみに、この本をいただいてはちきれんばかりの喜びとあったかさ、どんな日も越えていけると確信した思いをもとに、感情のままに深夜に書き連ねたプチ小説もある。


3. 『歌集  滑走路』萩原慎一郎

図書館で借りたのだけど、家に一冊いて、私の夜をずっと照らすものであってほしい、と思った本。今度、買おうと思う。それから、映画もずっと気になっているので観たい。
この歌人のことは前から知っていたけど、ちゃんと歌集を読むのは初めてだった。ああしんどいな、て昏がりの淵で、少しの明かりが欲しい時に、私にとって今必要で、やっと出会えたような、感覚があった。
息の詰まるような苦しみも、一筋の光を教えてくれるようなやさしさも、ひしひしと胸に降りてくる。手に取るように、まるでそばにいてくれるように、伝う歌が胸に迫ってくる歌集だった。三十一文字に、魂が宿っている。一首一首に息を呑んだり、涙がこみあげそうになったり、やわらかな日差しが差し込むような温かさに息を吸い込んだり。
この人に会いたかったと思った。どんなふうに話すんだろう。やさしいんだろうな、て、勝手に思った。世界の切り取り方、ことばの選び方。生きている場所も年齢も、時間も、環境も人生も何もかも違うのだとしても、他人事とは思えぬ夜を過ごしているように感じられた。葛藤も、喜びも、まっすぐに歌にのって、届いてくる。何者にもなれずに、それでも幾夜も越えてまた朝がくる、打ちのめされそうな私に、一緒にいてくれる言葉の温度に、すくいとられた。
読んでいたら、大学の時、短歌の授業でもがくようにことばを紡ごうとしていた日々の自分も顔を出す。ああそうだ、私は歌も言葉も好きだった。この短い中にぎっしりと詰まる人の生き様が。短歌が大学4年で好きになった私は今もひょっこりと顔を出して、そうだよ、歌にしてみなよって言ってくる。痛みを、希望に変える歌が、歌いたくなった。

ちなみに、この本を読んで再び短歌を少しずつとにかく下手くそでも書いてみる、と試すようになったのをきっかけに、短歌の授業を一緒に受けていた友達にもまた作って見せ合わないかと連絡をしてみた。

紙片には詩の断片の書かれいて「どうだ?」と僕に問いてくる友  「未来模索」

萩原慎一郎『滑走路』

こういった歌を読んでいて、友に詩や歌をみせて話していた学生時代が、随分と懐かしく思えて、なんだかもう一度人と無性に創作の話をしたくなったのだと思う。いや、ただ単純に会いたかったのかもしれない、私の表現をみてくれる、話をしてくれる友に。

私はやっぱり一人ではひどく無力なんじゃないかと思ったりもする。淋しくもある。でも、歌を通して誰かとつながって、それがこの先何年あとになっても、歌が残ったとしたら、誰かに一縷でも響いたらいいなと、弱い私だからこそ思う。こんな日々にも、一つ明かりを灯し続ける意味があるのだということを、願っている。才能なんざ知らんけど、て強がりながら、私のことばを刻みながら生きることを諦めずに、決して。


終わりに

長くなってしまいました。ここまで読んでくださった方、ありがとうございます。(あとがきらしく、敬語で最後は締めてみる。)
「言葉はいつもあたしをいさましくする」って、本当にそう思うし、本を抱きしめ私は冒険し前に進むことができると信じて、今日を生きています。
どの作品もとても素敵で、やっぱり私はずっとことばを紡いで触れて歩んでいくのだと、この本たちに誓いを立てて、進んでいく。
どうか、これからも、みていてくださると、嬉しいです。
私の物語に触れてくださる人々に、感謝を。


【写真】深月さん
素敵な写真を撮ってくださるカメラマンさん。
撮影していただいた、お気に入りの一枚(他にも沢山ある!)使わせていただきました(_ _)
    


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