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“女って面倒くさい“ ?
本当かな?
女子校には陰湿ないじめがある?陰口ばかり叩くのは女ばっかり?ねちっこさがあるのは女性の特徴?
今回は、こういったことを兎にも角にも口にする「女性」に焦点を当てて話そうと思う。
私はジェンダー学の研究者でないけれど、この言葉に対する反論を、それこそ「実体験」だけに基づいて話をするのは「女って」という女性たちと何ら変わらないので、できる限り調べて引用をして話そうと思う。
まず始めに、自分自身7年間女子校に在籍し、ジェンダーを少し学んだ身として、少しだけ言わせてもらいたい。
この言葉は軽すぎる。
考えることをやめてしまった=物事の原因まで突き詰めて考えてこなかったか、物事を多面的に考えることができないか、実体験が人生の全てだと思ってしまう人か、もしくは自己嫌悪を反映させている場合が多いと思う。
自分自身の女性性を認められていない人、自信がない人もそうだといえると思う
女性が嫌?なぜ?
「陰口ばかりいう」「終わったことをいつまでもネチネチ言い続ける」「感情的になる」「1人になれない弱い生き物」などなど、色々な理由が出てくるが、
冷静に考えればそこに「女であるから」と言う事実がその理由と全く関連していないのに気づくはずだ
老若男女問わず、そんな人はいつ、どこに行ったっている
池田光穂さんは「現今に存在している、女の劣等性は女が後から身につけたもので(=劣等に育てられた)もので現今 の劣等性は女を解放するための根拠にはなりますが、またそれは同時に女性を分断することになります。」
と述べている。
それは、彼女たちが今もなお、主になっている男性中心社会から抜け出すことに抵抗があるからではないか、とも感じる。
その理由は恐らく色々あるだろうが、
女性にコンプレックスを抱えているだとか、
女性性を受け入れることが難しい(男性性が表に出ることが理想だと思っている)だとか、
性別という垣根を超えて自分を判断されるのに抵抗があるだとか(そういった意味でコミュニケーションを円滑にやっていくのが難しいだとか)、様々だろう。
闇雲に性で人を括り、判別することは、その人をもなお、苦しめているということに気がつかない。
女子校の話
私は中学生まで女の子っぽい、と言われてきた。
そんなつもりは全くなかったけれど、あまりに多く言われるものだからそれが私自身の中の私のアイコンになっていった。
女の子らしくあること、それは私自身でいることだった。
女子校に入学すると、そんな言葉の数々を言われる機会がぐんと減った。
そこは女性、男性、という性別で括られる環境ではなかったので、その人個人のパーソナリティが目立つように感じた。
私は高校時代で知らなかった自分にたくさん出会った。驚いた。
それは、性別の垣根を超えて、「自分自身としている時間」が増えたからだと思う。
単純に波長が合わない人が多かったので、楽しかった思い出といえば部活がメインになってはいるが、丸裸になった自分に出会う機会は、ここでなければなかったと思う。
塾や学校の先生が言う、「別学は異性の目を気にしないから勉強に集中できます」と言うセリフは半分合っていて半分疑問だ。
そもそも異性の目を気にする、という言葉選びが少し違う。
性別でカテゴライズされることがないから、自分自身でいられるのだ、と言うのが近いと思う。
そしてそれは多くの女子校出身者の知り合いも言っていることだ。
彼女たちの多くは「女であること」でジャッジされないあの空間がとても心地よかったと言っている。
まとめ
私の拙い脳みそと知識ではこの問題をうまく処理することは厳しい。
しかし、「女って」というマイナスの社会の固定概念の真理を、そろそろ私たち女性も真剣に向き合って考えるべきだ。
女こわーいと謳ったメディアが流れるたびにとても悲しく思う。
〈参考ウェブサイト〉
(2021/05/19閲覧)
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