亡くなった祖父と夢で会った

10年前の8月5日に祖父が亡くなった。

当日の朝、寝ていた私の部屋に大慌てで父が入ってきた。

「おじいちゃまが危篤なんだって」

その頃の私は学校へも行けなくなっていて、体調も悪く、脳神経外科やら内科やら色んな病院へ行っていたところで、感情表現も素直に出来なくなっていた。

だから、それを聞いた時にまず思ったことは、悲しいだとか不安だとかいう気持ちをどうやって抑えるか、どうやって勘づかれないようにするかだった。

病院へ向かう高速道路を走る車中で、凛としていた母親が少し頭を垂れて泣いた

父は運転しながらそんな母の肩を、何度かさすった

そんな両親の姿が、そんな状況でさえ、気恥ずかしくて何だか見てはいけないものを見てしまったような気がした。


 祖父はすごい人だった。

初めて宇宙衛星を作ったうちのひとりらしい。

(宇宙関連の仕事をしていた訳では無い。)

ずっと東京大学に進学したくて早稲田大学在学中にも受験を試みたらしい。

そしてとにかくモテたらしく、学生時代はバレーボール部での試合中、歓声(悲鳴)がよくあがっていたようだ。

そしてとにかく自信家で楽観的だった。

定年後は大学で情報を教えていた。

水彩画の腕もとても良く、私も幼少期、よく絵をみてもらっていた。

それでも、祖父から若干の厳しさを感じていた私は少し必死に絵を描いたこともあった。笑


病院に着くと、すでに祖父の意識はなかった。

祖父は、ICUで静かに寝ていた。

私はベッドの横に立ち、祖父の手を取った。

暖かくて厚かった。

目を開けなくても、話せなくても、生きていると思った。

私は横たわる祖父に向けて小さく呼びかけた。

鼓動があるのなら、言葉は届くと信じていたからだ。

母はそんな祖父をみて静かに涙を流した。


私やいとこたちは、ICUの外に出て、扉の横あるソファに腰掛けた。

無言が続いた。

皆、どうしたらいいのか分からなかった

しばらくして、祖父の横にいた母や父、おじやおばたちが泣きながらでてきた。

そこで私たちは、祖父の死を知った。

母たちは、心電図の数字が下がっていくのを祖父の横で見守り、祖父の体がだんだん冷たくなっていったのを感じていたらしい。

わたしはそのとき、

母の涙をみて母と祖父のこれまでの軌跡を感じ、

父の赤い目をみて、父と祖父が築いてきた関係を感じた。

母は昔、結婚相手の条件をこと細かく決められ、父との結婚を反対されていたらしい。そして、そのせいで過去に絶縁されていた。

幼少時代は母親が鬱で寝込んでいて、寂しい思いをしていた。

1人で作ったボロボロになったお弁当を隠しながら食べていたという。

父は父で、仲のいい家庭で育っていたが、社会人一年目にして父親が病に倒れ、多額の医療費の借金を抱え、父親が亡くなった時には全財産が15万円しかなかったらしかった。

妹がそれを知って涙を流し、100万円を何も言わずに置いていってくれたらしい。

今でも思い出すとつい涙が出ると言っていた。

私はそんなことを知らされてきたので、そんな両親たちの姿をみて、私の知らない過去や積み重ねてきた両親や祖父母の想いを馳せ、なんとも言えない気持ちでいっぱいになった。

母は今でも祖父の話になると

「あなたとあなたの妹のおかげで親孝行が出来た」と涙ぐむ。

それは、その当時自己肯定感がゼロに等しかった私にとって、母と祖父からの何よりのラブレターだった。

その日の晩、母の実家に泊まった。リビングに布団を何枚も敷いて皆で寝た。

すると突然、窓をハッキリとノックする音が聞こえた。

今思うと、あれは祖父だったんだなと思う。

母は、

「おじいちゃまがあなたの不調を連れて行ってくれたんだね」

と言った。正直それが本当になるかどうか分からなかったし、そんな実感もなかったので私はなんとも言えなかったが、その1ヶ月後に私は学校へ再び通い始めた。

そして、冬くらいだろうか。

突然夢に祖父が出てきた。

祖父はなんだか今にも消えてしまいそうだった。

それでも祖父の顔は、今まで見たことがないくらい平穏な顔で、私はなんだか甘えるように、祖父にずっと伝えたかったことを一生懸命伝えようとした。

はやく、早く言わなきゃ。

また行ってしまう前に言わなきゃ。

本音で、素直な感情で、見送れなかったぶん。

「おじいちゃま、英語のテストで100点取ったよ…!美術で5をとったよ!それから、えっとえっと」

矢継ぎ早に言葉を紡ぐ私をみて、

祖父はにこにこしながらゆっくりと消えていった。

不思議な気持ちだった。

けれど、「伝えられた」と思った。

「伝わった」と思った。


おじいちゃま、あれから10年ですね

私は子供たちに囲まれた仕事をしています。

多分、喜んでくれるんじゃないかなと思うよ

でもね、もっと大きな目標がまだまだあるんだ

最近は妹も似たようなことを考えていて、同じ方向を向いていることを知ったから

2人でなにかやろうと話しているところです

おじいちゃま、

言ってくれたよね、

家の廊下で歩くのに苦戦していたとき、私が黙って手を繋いでリビングまで連れて行ってくれたと

その言葉がなぜだか、今響きます

本人は覚えていなかったんだよ

でもそういう私の柔らかい部分をおじいちゃまが見て、気付いて、感じて、覚えていてくれたのがとても嬉しいよ

あまり素直な気持ちで向き合えなくてごめんね

って思っているけど、多分気にしているのは本人だけなんだろうね(笑)


お墓参りにももうしばらく行けていないから、これにてお参りにさせてね

じゃあ、またね

色々、ありがとう



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