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光一くん

 その少年を何かに例えるとするならば、ムーミンに出て来るスナフキンの様だというのが一番しっくり来る。
 丸顔で目はくりっとしていて愛嬌がある。鼻は高くて少し先っぽがピノキオみたいに尖っているけれども冷たい印象は無い。
 穏やかに笑うその顔は穏やかで、周りに安心感を与えてくれる。
やや痩せ気味で手足が長く、髪の毛も少し長めで、女の子みたいにふわふわしたヘアスタイルだ。
 そのせいもあり、どちらかと言うと中性的な容姿で、声質もやや高くて温かみがあった。
 また話し方も穏やかで優しく、まろやかな口調が耳に心地良い。
 そして、いつも明るい表情で、嫌味のない爽やかさが、人に好印象を与える。
 そんな彼の名前は光一くんと言って、六月のある日、ちょうど梅雨の晴れ間を縫うように、転校生として僕らのクラスにやって来た。

風見光一かざみこういちです。よろしくお願いします」
 担任の洋子先生の隣で彼はやや緊張した面持ちでそう挨拶した。そして、たまたま空席だった僕の斜め前の席に彼は着席することとなった。
 この地域ではあまり見かけない洗練された都会の空気を漂わせ、彼はその場にその身を静かに馴染ませた。
 そのうえ、彼はすごく勉強が出来た。授業中、先生からの難しい質問にもスイスイと答えを口にした。その度にクラスの他の者達は羨望の眼差しで彼を見つめた。
 また彼は運動も得意であった。長身で足が速く、運動神経抜群で何をやってもずば抜けていた。サッカー、野球、バスケット、光一くんに敵う者は誰一人いなかった。

 そして一番みんなを驚かせて虜にしたのが、音楽だった。
 彼はある日ギターを持って登校すると、昼休みに机の上に腰掛け弾き語りを披露した。
 クラスのみんなはそのギターの音色と歌声に魅せられ、聞き惚れてしまった。

「光一くん、今の歌、すごく良いね。初めて聴いたけど、誰の何ていう曲なの?」
 クラス委員の女子が目を輝かせて尋ねた。
「知らなくて当然さ。僕が作った歌だもの」
 彼はクスクスと楽しそうに笑って答えた。
「え! 光一くんて歌も創れるの? スゴ〜イ!」
 クラスの女子達はいっぺんに彼のもとに集まって、次々と曲をリクエストした。
 それはお昼休みだけでは飽き足らず、放課後まで続いていった。

 そんな何でも出来るスーパースターの様な光一くんに、初めの頃は嫉妬して影で悪口を言ってる奴らも居た。けれど、彼はそんな事は意にも関せず、誰にでも同様に気軽に明るく接した。
 確かに女子達の人気を殆ど独占していたので、少しばかり妬けてしまうのは仕方なかった。
 でも彼の姿を見てると、それも仕方ないかなと皆諦めた様だ。
 そんな風にして、やがて光一くんは、誰からも愛されるクラス一の人気者になって行った。

 僕は毎日学校に行くのが楽しくて仕方なかった。斜め前の席に座るその姿を見て過ごすのが僕の日課で、彼は僕の憧れの存在になった。
 どうしたら彼の様になれるのだろう?
 いつもそればかり考え、とにかく光一くんの姿を毎日追い続けた。

 その頃の僕といったら彼とはまるで正反対の存在で、身体は弱く、勉強は中くらいではあったものの生まれついての運動音痴で、走るのも遅く、何のスポーツをやっても上手く出来なかった。
 また当然の事ながらギターなど弾ける訳がなく、彼の様に自作の曲を創って人前で歌って聴かせるなんて、夢のまた夢であった。
 だからクラスの中で僕の存在など、殆どその他大勢のグループで、居ても居なくても同じという、どうでもいい存在だった。

 ある日、僕は体調が優れなくて体育の授業を欠席して、木陰に座ってクラスメイト達が活発に楽しく運動しているのを静かに見学していた。
 三十分もした頃だろうか、僕は少々退屈になって来た。木の幹にもたれて青空にぽっかり浮かぶ雲の流れを眺めていた。
 するとタタタと足音がして、誰かが近寄って来た。
 見るとそこにいたのは光一くんだった。
 彼はいつもの爽やかな笑顔で、僕に合図をすると、「隣、いいかい?」と僕に訊いた。
「え? いいけど、どうしたの?」
「いや、別に大した事はないんだ。ちょっと休ませて貰ったんだ」
「どこか、怪我でもしたの?」
「いやいや、誰にも言わないでくれよ」と言いながら彼は内緒話をする時の様に僕の耳に小声で、
「実はサボりなんだ」
と言って笑った。
「えっ?」
と、僕は内心驚いたが、
「内緒、内緒」
と彼は楽しそうにクスクス笑う。
 そして、そのまま、
「あ〜、いい天気だねぇ」
と彼は大きく伸びをした。

 それから光一くんは暫く僕の隣に座り、気さくに話し掛けてくれた。
 やがて、何となく僕も打ち解けて、訊かれるまま、あれこれと他愛の無いやり取りを交わした。
 考えてみれば二人で話したことなんてこの時が初めてだったかも知れない。
 初めのうちは落ち着かなくてドギマギしていた僕だったけれど、彼はそんな事を何も気にせず、次々と話題を持ち出しては僕をリラックスさせてくれた。
「修くんは、兄弟いるの?」
「いや、一人っ子なんだ」
「あ、そうなんだ。僕もそうなんだよ」
 彼はキラキラした目で僕を見た。
それから暫く一人っ子である事の良いことや悪いことなど、共通する思いについて語り合った。
 おやつはケンカすることなく一人占め出来るとか、兄のお下がり服を着せられることもない、などの良い面もあった。だが、一方で何かを相談できるような兄や姉がいなくて寂しいとか、面倒をみてやれる弟妹がいないのも、ちょっぴり残念な気がするとか…。
 他にも誰かが兄弟で一緒に遊んだ話をする度に、その感覚が分からず疎外感を感じるなど、いろんな事で共感し合って、楽しいひとときを過ごした。
 いつも明るく振る舞ってみんなの人気者であった光一くんが、実は僕と同じ気持ちを持っていたんだと知って、勝手に親近感を覚えて嬉しくなった。
「じゃあさ、僕ら兄弟になろうよ」
「え、どういうこと?」
 彼の突然の提案に僕は多少面食らった。
「あくまで兄弟ごっこさ。そんなつもりでいようよってことさ」
「そうか、うん、分かった。ありがとう、嬉しいよ」
 まさか彼と僕が兄弟だなんて夢にも思わなかったから、そんな話に心がワクワクと浮き立った。
 それから彼は僕に、
「修くんは血液型は何型?」
と訊くので、正直に
「O型なんだ」
と答えると、
「同じだ! 僕もO型なんだよ」
と彼は嬉しそうな声を上げた。
「そうなんだ!」
 クラスの中で勉強もスポーツも出来る彼といつも目立たない僕との間に、こんなにも共通点があったなんて、僕は嬉しくて、とても身近な存在に感じて、ますます光一くんの事が好きになった。
 その日の事は今でも忘れられない良い思い出になった。


 光一くんはあの日以来ずっと僕と親しくしてくれて、自然に僕もクラスのみんなの輪の中に溶け込んで行った。
 けれども僕の体調は日に日に思わしくない状態に向かっていった。
 梅雨もすっかり明けて、夏休みが近付いたというのに、僕は学校を休みがちになってしまった。
 家で寝込んでいると、よく光一くんが学校帰りにプリントや宿題などのテキストを届けてくれた。
 帰る方向が僕の家に近いんだよと彼は言ったけど、かなり遠回りしている事を僕は知っていた。
 その時の僕にとって、光一くんと話す時間は唯一の楽しい時間だった。
 彼はとっても明るくて話上手で、それでいてさり気なく僕の体調を考慮して、それほど長居はせずに頃合いを見計らってさっと帰って行くのだった。
 夏休みに入ったある日、彼はギターを持って僕の家に遊びに来た事があった。
 最初は僕も知ってるヒット曲や学校で習った外国の有名な曲や合唱曲などを声を合わせて一緒に歌ったりした。
 光一くんの爪弾くギターの音色はとても美しく、僕の部屋が、いつもと違う空気に包まれて、とても居心地の良い空間に生まれ変わったみたいに思えた。
 彼の声はとても綺麗に澄んでいて、響きが良く、心の中にスーッと入って来る。そんな不思議な温かさを持っていた。僕はいつまでもその歌声に耳を澄ませて居たい気持ちでいた。
 最後に何曲か光一くんが創ったという曲を聴かせてくれた。その歌詞の言葉は優しく響いて、里山を覆い尽くす草花のように、美しい風景が僕の心に描かれて行く、そんな思いがした。

 八月の暑い日が続いて、僕は食欲を失くし、立ち上がって歩く事さえ辛くて、殆ど家でゴロゴロと寝て過ごした。
 週に一度は病院に連れて行かれて診察を受ける。初めは近くの小さな医者だったが、なかなか良くならないので、一度大きな病院に行って精密検査をして貰いなさいと言われて、母親に連れられて隣の市にある大きな病院に向かった。
 そこで、僕は担当のお医者さんから入院することを勧められた。
 夏の暑い日だった。
 全身に気怠さがあって、それがどこが悪いのか僕には知らされなかった。
 医者と両親は精密検査の結果を見ては今後の治療方法について真剣に話し合っていたようだった。
 そんな両親も僕の前では、病気のことにはあまり触れず、努めて明るく振る舞っていた。
 それでも時々見せる母の横顔から、僕の病気の具合はあまり良くないのだろうなという事は感じられた。
 夏休みも終わり近くになった頃、僕は医者から近々手術を受ける事を勧められた。両親もその方向で考えている様であった。
「簡単な何でもない手術なのよ。麻酔が掛かって修が寝てる間に済むから、何も心配しなくていいのよ」
母はそれだけ言って哀しそうに笑った。
 その頃、僕は自分の病気のことについてあまり詳しく話を聞きたくなかった。だけど、その手術で身体が良くなるのであれば、早く治して、また学校に戻りたい。以前のように光一くんと笑ったり遊んだり話がしたい、それだけを願っていた。だから、そのつもりで予定を進めて貰った。

 僕が入院中も週末になると、必ず光一くんは顔を見せに来てくれた。
「元気そうじゃないか、これならすぐ退院出来るよ」
 彼はいつもそんな風に言って僕を元気付けた。
 二学期が始まり、クラスの様子を彼は、事細かに僕に話してくれた。
担任の洋子先生に赤ちゃんが出来て、来年赤ん坊が産まれるらしいだとか、クラスメイトのあっくんは跳び箱のテストでこんな失敗をしたとか、よっちゃんが仲良しのくみちゃんとケンカをして、二人ともさっぱり口を利かなくなったとか、授業中ター坊は居眠りをして寝言を言って、岡野という怖い先生にゲンコツを貰ったとか、そんな事を面白おかしく話し、ひととき僕は病気や手術の事を忘れて、彼と二人でゲラゲラ笑い転げた。
 その時、あんまり楽しく大声で笑ったりしたので担当の看護師さんから、
「元気なのは良いけど、ここは病院だから、騒いじゃダメよ」と軽く叱られて、僕と光一くんは目を見合わせて舌を出して、それでもまたクスクスと笑い合った。
 そんな事も今では良い思い出になった。

 光一くんのお見舞いなども有り、一時は回復したと思われた僕の体調だったが、やはり改善される事はなく、調子の良い日、悪い日が交互に訪れる毎日だった。
 なかなか学校には戻れず、手術を受けるにしても、いろいろ検査などがあり、直ぐという訳でもなかった。一体いつまでこの入院生活が続くのだろうかと僕は不安に苛まれ、イライラした毎日が続いていた。
 でも必ず、毎週末には光一くんが学校からの連絡帳やプリント、ノートの写しだのを届けてくれたので、学習内容に遅れをとる事がなかったので、それは本当に心から有難いと思った。
 かつては、手の届かない憧れのヒーローだった光一くんが、今や僕にとってはかけがえのない親友になってくれていた事がとても嬉しかったし、心強かった。

 そして、九月も終わりになろうとしていたある日、いよいよ手術を受ける日が確定した。
 多少の不安はあったが、麻酔で眠らせている間に済むという話を聞いていたので、あまりそれ以上は、深く考えないようにして、その日を迎える事にした。

 手術当日の出来事は今でもあまり記憶にない。
 朝からバタバタと血圧やら体温など測り、体調に問題が無い事を確認した後、僕はストレッチャーに乗せられ、手術室へ運ばれた。
 口の辺りに大きなマスク状の管のついたものを装着させられ、暫くすると僕はそのまま深い眠りについて、そこからの記憶はなくなった。

 知らない間にいろんな夢を見ていたと思う。
 光一くんがギターを弾いて歌ってくれていた、そんな夢を見ていた気がする。
 手術は結構長い時間を費やしたらしいが、それは全く知らない内の出来事だった。
 気が付いた時には、すっかり夜になって、いつもとは違う、特殊な部屋のベッドに横たわっていた。
 頭はぼーっとして、身体のあちこちに痛みが走った。
 すぐに医者や看護師、それから両親も駆けつけ、目を覚ました僕を見ると、安心して大きく息を吐いて涙ぐむのをぼんやりと僕は見ていた。

 手術は成功したらしい。
 いろいろ大変な事もあった様だが、詳しい事を僕は聞かなかったし、両親もそれについてあまり口にしなかった。
 とにかく結果さえ良ければそれでいい。
 これからいい方向にさえ向かいさえすれば、また元通りの生活が出来る。
 元気を取り戻して、早く退院したい。僕はそれだけを願って毎日を頑張って過ごした。
 だからリハビリも一生懸命に取り組んだ。
 怠惰でやる気もなく、ただ毎日を過ごしていた頃と違って僕には退院してまた学校に戻るという目標が出来た。
 そんな気持ちが僕を前向きにさせてくれたのだろうか。
日に日に僕は回復し、体調も良くなって行った。
 十月も半ばになった頃、念願が叶い僕は退院した。
 一週間ほど自宅で療養して、術後の経過など日常生活に問題はないか、確認していたが、僕自身の気持ちとして、何の問題もなかった。今すぐにでも学校に戻れそうな気がした。
 手術、術後の経過観察、リハビリ、退院、など慌ただしく過ぎてしまったので、光一くんとはこのところ会えなくなっていた。
 どうしてるのかな? と思い、今にも家の玄関から僕を訪ねて来る光一くんの姿が見えるのではないかと思い、一日中家の窓から外を見て過ごしたりしたが、彼は姿を現さなかった。

 ようやく医者の許可も下り、学校に戻れる日がやって来た。
 久しぶりに学校への道のりを歩いた。走ることは止められていたので、いつもより早い時間に家を出て、学校までの道のりを思い出すようにゆっくりと歩いた。
 思えば、以前はそんなに学校が好きではなかった。時には行くのをむずがって仮病を使ってズル休みをした事もあったくらいだ。
 それが今ではこんなに早く学校に行きたくてうずうずしている。
 これは紛れもなく、全て光一くんがいるからだ。
 彼があの日僕に話しかけてくれて、お互いに一人っ子である事や血液型も同じという共通点を見つけ、兄弟ごっこをしようと言ってくれた。
 兄弟ごっことは単なる言葉遊びではなく、お互いに一人っ子である僕たちが、それぞれを本当の兄弟のように思いやり、何でも話し合える関係でいよう、そういう意味だったのだ。
 それから僕の学校生活は、生き生きと楽しいものに変わって行った。
病気になってしまって暫く会えない事もあったけれど、彼は何度もお見舞いに来てくれて、二人だけで楽しく話し合う事が出来た。
 本当の兄弟みたいだった。
 いや、もしかすると、本当の兄弟以上に強い繋がりを僕達は感じていたのかも知れない。
 少なくとも僕の方はそうだった。
こうして病気から立ち直れたのも、光一くんののおかげだと僕は心の底からそう思っていた。
 そして、何日か振りに学校の門をくぐった。

 校舎に入った僕は、先ず、職員室に寄って洋子先生に挨拶をしに行った。
 両親から先ずはそうしろと言われていたからだ。
 職員室に入って行くと、洋子先生は満面の笑顔で僕を迎えてくれた。
 光一くんから教えて貰った通り、洋子先生のお腹の中には赤ちゃんがいるらしく、少しふっくらしたお腹に手を添え、顔つきも和らいで、早くも良いお母さんみたいな表情を浮かべていた。
「よく頑張ったわね。修くん」
「ご心配かけました」
「でもしばらくは無理しないでね」
「はい、分かりました」
「じゃ、また後で教室でね」
「はい」
とそんなやり取りを交わし、僕は教室へ向かった。
 僕が教室へ入ると何人かのクラスメイト達が、
「お、修じゃん、超久しぶり〜!」
「もう病気、良くなったの?」
「元気そうだね」
などと言いながら、笑顔で声掛けてくれた。
 僕は照れながら、
「ありがとう、ありがとう」
と繰り返した。
 その中に光一くんの姿は見えなかった。
 あれ、まだ来てないのかな?
 僕は自分の机に座って、一限目の用意をしながら、彼が来るのを待った。
 しかし、一限目が始まっても二限目になっても彼は姿を現さなかった。
 僕の斜め前の机は空席のままだった。
 二限目が終わった後、僕は隣の席の別の友達に訊いてみた。
「今日、光一くんはお休みなの?」
すると、その友達は、えっ? という様な顔をして、
「修くん、知らなかったの? 光一くんは転校して行ったんだよ」と言った。
 僕はその言葉がとても信じられなくて、しばらく返す言葉も無くて、その場に凍り付いてしまった。
 そして、ようやく気を取り直して、
「いつ?」と尋ねてみた。
「2週間くらい前かな?」
「転校って、どこへ?」
「知らない。どこか遠くの方みたいだよ」
 僕はただただ茫然とするのみだった。
 それからの数時間は気が抜けたように、僕は授業中、何の言葉も頭に入って来なくなった。

 それからの毎日、光一くんのいなくなった学校はひどく寂しかった。何だか心の中にぽっかりと穴が空いた様だった。
 僕は寂しくて辛くて悲しくて仕方なかった。
 また以前みたいに独りぼっちの学校生活になるのかなと僕は思ったりしてみたが、光一くんを通じて仲良くなった他の友達が以前より頻繁に僕に話し掛けてくれる様になっていた。

 そんなこんなで再スタートした学校生活だったが、季節が移り変わって行くと共に少しずつ、寂しい気持ちも薄らいで行き、やがて、僕は元気を取り戻して、新しい友達もたくさん出来て、それなりに楽しく明るい毎日を過ごして行った。
 定期的に検診を受けに通院はしたけど、もう2度と発症する事はなく、どんどんと年月は光の様に過ぎて行った。
 それでも光一くんの事を、僕は一度も忘れたりはしなかった。

 あれから、何年も歳月が経ち、僕は大人になった。
 そして今では、人並みに結婚をして、子宝にも恵まれた。
 ある日、子供達の血液型に関する話が出て、うちの家族は全員がO型だという事が分かった。
 だが、それを聞いていた母親が僕に向かって言った。
「でもね、修、あなたの血液型はRHマイナスだったからねえ、あの時は困ったのよ」
「えっ、知らなかった。あの時は困ったってどういう事?」
「ほら、昔、入院して手術をしたでしょ。あの時輸血用の血液が足らなくなって、私達も全員調べたんだけど、あなた以外みんなRHプラス型だったのよ」
「えー、そんな話、初めて聞いたなぁ、それでどうしたの?」
「その時、あなたの学校のお友達が来てくれてね、自分もO型だから調べてくれって言って、それで検査したら、運良くRHマイナス型だったのよ。あの子が居なけりゃ、あんたも危ない所だったのよ」
「え? それは本当なの! なんで、もっと早く言ってくれなかったの?」
「あら? 言ってなかった? そうね、だってあの頃、あなたはまだ子供だったから」
「そんな事って……、大切な事じゃないか。で、その学校の友達って、誰?」
「えっと、なんて、名前だったかしら、たしか、正一くんとか、宗一くんとか、そんな名前の子、居なかった?」
「え、もしかして、光一くん?」
「あ、そうそう、光一くんよ。忘れようにも忘れられないわ。本当に感謝してるのよ」
「……それじゃ、僕はその時、光一くんに輸血をして貰ったの?」
「そうよ。あれからあなたすごく元気になったわね。それもあの子のお陰かしら」
と言って母は笑った。
 笑い事ではなかった。
 そんな事を初めて知った僕は、ひとり感慨に耽った。
 そうか、光一くんが僕を助けてくれたのか。
 それを一言も言わずに居なくなってしまうなんて。
 何だか、嬉しいようで、またそれきりになった事が悔しい気がして、複雑な思いに捉われ、僕は混乱した。
 もうあれから何年も月日は経ったけれど、再び光一くんとの思い出が蘇って来た。

 それから数日経った頃、僕は同窓会の通知を受け取った。
 そうだ、同級生達に会えば、現在の光一くんの居場所を知ってる奴が一人くらい、いるかも知れない。
 そう思って僕は同窓会に出席の返事を出して、その日を待つ事にした。

 そして同窓会の当日。
僕は積もる話もそこそこに光一くんの事を覚えてる人がいないかと、片っ端から訊いて回った。
 そして、ある二、三人のグループで立ち話をしていた内のひとりが、
「おー、光一ね、知ってる、知ってる」
と返事が返って来た。
 僕はやったと思って内心飛び跳ねて、
「今どうしてるか知ってる?」と訊いた。
 そうしたら、三人とも、俯いたり、口籠もったりで、どうも様子が変だった。
「何? 何か知ってるの?」
3人は目を見交わして頷き合った後、代表してその中の一人が話し始めた。
「光一はね。実は、死んだんだ」
僕はあまりに意外な言葉に耳を疑った。
「え? 何で?」
「オートバイの事故でね。二十歳の時だった」
「そんな……、本当なの?」
 僕は暫く言葉も出なかった。

 それから数日後、僕は当時の担任だった洋子先生の家を訪ねてみた。
洋子先生が今の光一くんの家の住所を知ってるらしいと三人から聞いたからだ。
 洋子先生に連絡をとって、先生の自宅を訪ねると、中学生らしい娘さんが応対に出てくれた。
 聞けば、あの時、洋子先生のお腹の中にいた赤ちゃんがもうこんなに大きくなったと言う。
 時が流れたはずだ。
 久しぶりに会う洋子先生は、少しお年を召されたが元気そうだった。
「懐かしいわね」
 洋子先生は僕を見て優しく微笑んだ。
 光一くんの事を尋ねてみると、先生は少し沈んだ顔をして、
「本当に残念だったわ」と一言言い、アドレス帳を開いて、今の光一くんの家の住所を教えてくれた。

 そして、僕はその後、光一くんの家を実際に訪ねてみた。
 話は本当だった。それまではどこか信じきれない気持ちでいっぱいだったのだ。
 僕は光一くんの仏壇に手を合わせて、言葉も無く嗚咽した。
 光一くんの遺影はあの頃と何も変わらない笑顔で、優しく僕を見つめていた。
 次から次へと涙が溢れて止まらなかった。
 オートバイ事故の話を聞くのは辛かったが、事故の原因が光一くんのせいではないと知って安心した。けれど、行き場のない無念さがどうしようも無く、胸に込み上げて来て仕方なかった。
 どうして、どうして、そんな……。
 僕はご両親に深々と頭を下げて、光一くんの家を後にした。

 あの頃、身体の弱かった僕は、今ではもう元気に暮らし、結婚もし、子供もできた。
 逆に、クラスの人気者でスポーツも勉強もトップクラスだった光一くんが今はもういない。
 そんな事って、そんな事って、あるのか。
 全く人生は理不尽だ。

 それからも風のように季節が流れて行った。
 季節は冬を過ぎ、暖かい春の日を迎えた。
 僕は家族と共に花見を兼ねて近くの公園に遊びに来ていた。
 桜の花が満開で広い芝生の上、子供達は楽しそうに広場を駆け回った。
 妻も僕も楽しくそんな様子を見ていた。
 青空の下、ゆっくりと流れて行く白い雲を見ていると、僕は、初めて光一くんと二人で話をして親しくなったあの日を、まるで昨日の事の様に思い出した。
 広場を走り回る子供の姿を見ていると、あの日の光一くんの姿と重なって見えた。
 そうだ。突然、思い起こした。
光一くんの血液を僕はこの身体の中に受け継いでいるんだ。
 これはおそらく世界中で、僕一人だけだろう。
 僕の中に光一くんの血が繋がって今も生きているのだとそんな気がした。
 きっとそれは、今公園の広場を駆け回っている僕の子供達にもその血は受け継がれているはずだ。
 きっとそうに違いないと思えた。
それは光一くんからの僕への贈り物だったのだ。
 こうやって生命は人から人へと繋がって行くのだと僕は思わずにいられなかった。
 そうだ。元気を出して生きよう。
でないと光一くんに申し訳ない。
 僕はそう決心して、子供達の元へ駆け寄り、一緒になって楽しく笑い声を上げながら、広場を駆け回った。
 僕はこれからも生きる。
 永遠の友達、光一くんとともに。

終わり

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