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歯車になるということの意味

「歯車になりたくない」と言う人がいるけれど、そもそも歯車として自分が機能しているかどうか、わかっているんだろうか?そして、自分が何のための歯車になっているかを、本当に理解しているんだろうか?人生も仕事もすべて、自分が歯車になったり、歯車となって動く人をまとめたりして成立しているんじゃないかと思います。

メジャーリーグに挑戦する野球選手が、入団時やシーズン前のインタビューでよく、自分がどう活躍するかではなく、チーム全体の優勝を目指し、そこにいかに貢献できるかを語ります。それは自分が価値ある歯車であることを自覚し、自分が機能することで優勝に向かえる素晴らしいチームに属していることも表しているはず。属する組織の価値を理解できているから、すすんで歯車になるんですね。

「歯車」という言葉のイメージがあまり良くないだけなのかもしれませんが、決して悪いものじゃないと思います、「歯車」。むしろ、誇れる組織やプロジェクトに属しているなら、歯車上等なんじゃないでしょうか。

仕事だけじゃありません。

家族とはたぶん、自分が誇るべき最小で一番身近な組織です。ここが上手く機能しないと、多分メンタルが歪んだり、生きづらさを覚えたりするだろうと思いますが、自分が家族の幸せのために動くというのは、とても素晴らしいことかと。

それは私がもう「親」という肩書を持っているからかもしれません。子どもたちのためになるなら、いくらでも歯車になれる。だから仕事をしてお金を稼ぐのだし、ごはんも作るのだと思います。

恋愛も持ちつ持たれつと言われますが、要はお互いが幸せのために働きかけ合うことで。一方だけが完全に受け身になれば、二人の歯車は噛み合わなくなり止まってしまうでしょう。

歯車って、実に言い得てるなと思います。

歯車がイヤだと言う人は、自分が誇れる会社・仕事・人間関係に巡り会えていないのかもしれません。「誰かのために」は結局、「自分のため」になるので。

人間、一人では生きていけません。仕事もできません。恋愛も一人では成立しないものです。

「歯車」良いじゃないですか。


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