#083.競争から協奏へ~アドラー心理学的オリンピック考~

オリンピック、盛り上がってますね~!

連日の日本選手の金メダルラッシュ、すごいっすね。やっぱり自国の選手がメダルをとると嬉しいし誇らしい気分になります。

本国開催の強み?日本のお家芸の競技が多いから?

なんにせよ、一生懸命戦って、結果を出した選手には祝福を贈りたいと思います。

いっぽうで、いままで見てたオリンピックほど、なんか楽しめてない自分も感じておりまして。

もちろん、世界でトップのアスリートたちの技量を見るのは感動しますし、力のこもった真剣勝負は手に汗握ります。

でも、国と国との威信をかけた戦いみたいな感じはもうノレないし、そんな感じで戦っている選手も少ないように見えるのは、私だけでしょうか…。


というわけで、オリンピックについて思うことを、アドラー心理学の知識を絡めて語ってみたいと思いましたので、以下お読みいただけると幸いです。

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人間は「優越性の追求」という普遍的な欲求を持っている、とアドラーは言います。

これは一見、他者よりも優れた者でありたいという欲求のように見えますが、実際はそうではありません。

同じ地平の上にいる人々が、各々のペースで歩いていると考えてください。早いからよいとか遅いからダメ、ということはありません。タテではなくヨコの関係です。

優越性の追求とは、その地平で一歩を踏み出すこと、前に進む意思を持ち、自分の足で歩いていくことを指します。

つまり、優越するべきは他者ではなく昨日までの自分に対して、ということになります。

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アドラーは、人と「違っていること」そのものについては積極的に認めるべき、としています。一方で、その違いに優劣や善悪を紐づけることを否定します。

競争は、その「違い」に優劣をつける行為です。

そう、アドラーは明確に競争を否定しているのです。

勝者が素晴らしく敗者に価値はない、という競争の世界。

この価値観・ライフスタイルの中で生きていると、心が休まる暇がなく、出会う人全てが敵になってしまいます。

年収、学歴、成績、容姿、ステータス…。

誰かと比較して、どっちが優れている、劣っている、と考えながら生きるのは、たいへん苦しい生き方です。仏教で言うところの修羅の道ですね。

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勝負を全否定するつもりはありません。

それが自分の技量やレベルを知るための試金石になり、かつ相手を研鑽しあう仲間と見なせるのであれば、意義はあるでしょう。

全力を出し尽くした二人が試合後にリング上で抱き合い、お互いの健闘をたたえ合う。こういう心の交流があるのなら、勝負もまた素晴らしいものです。

しかしながら「競争に勝つこと」が目的化すると、さまざまな弊害が出てきます。オリンピックでも、国家ぐるみのドーピングが行われたり、審判を買収して結果をゆがめたり、などという事が起こってしまうのです。

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現在、私たちが生きているのは、タテの関係を基盤にした「競争」中心の社会ではないでしょうか。

持てるものは富み、持たざる者はさらに貧しくなり。疑心暗鬼を抱え、お互いを監視しあい、小さな差異やミスをののしり合う。そんなギスギスした空気が蔓延しています。

オリンピックの狂騒は、つかの間そのことを忘れさせてくれるかもしれませんが、祭りの後にどうなってしまうのか、少々怖くなります。

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タテの関係ではなく、ヨコの関係へ。

自らの得意を追及し、それを持って他者に貢献し、信頼と友情と愛の課題に取り組む。そして、他者と対等につながりあい、協力しながらお互いの幸せを見出していく。

競争から協奏、共創する社会へ。

アドラーが掲げる共同体感覚に至る道は、現在を生きる私たちに、よりよく生きるヒントを投げかけているのではないでしょうか。

「それはただの理想、机上の空論だ」

そんな声が聞こえてきそうですが、アドラーはこうも言っています。

「他人がなにを言うか、どうするかは関係ない。あなたがどうするか。たった一人のあたなたから、始めるべきだ」と。

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10年後の社会は、今と変わらぬ競争社会でしょうか?

人々が共に手を取り、何かを創り、協力して音を奏でる社会でしょうか?

もし、協奏、共創の社会が訪れていたとしたら。そこで行われるオリンピックは、いったいどんな形になるんでしょうね?

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今朝、娘が一生懸命宿題をしていました。

スゴイ集中力だったので、こんなこともあるのかぁと、驚きました。普段はアニメばっかり見てるんですけどね。

娘は今、不登校を経て、支援校の学習教室に通っています。

普通に学校に通っている同級生と比べたら学力が遅れているかも…なんて思いが、心の片隅にいることは否定しません。

でも、彼女なりに真剣に宿題に取り組んでいる姿をみたら、人と比べる必要も意味もないなぁと、心から思いました。

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娘を横目にみながら、オリンピックのニュースを目にして、考えたことを書き留めてみました。


長文になりましたが、読んで頂きありがとうございました。


ほな、また。

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