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家で死のう!


きっと多くの方が、タイトルを見て

「なんて残酷なことを言うんだ!」

と思われたでしょう。

実はこれ、本のタイトルなんです。

著者は、群馬県で在宅緩和ケア医として

真摯に死と向き合っている萬田緑平先生。

この本を手にとったのは、2年前。

読んでる途中で、

たくさんの優しい涙が溢れ出て、

一生大切にしたい本になりました。

また、看護師になって

一番葛藤していた「死生観」。


その葛藤が、すーーっと腑に落ちて、

すごく心が軽くなったことを覚えています。

「先生のもとで働かせてください!!」

と言いたい思いでしたが、

本の最後に、看護師は雇っておらず、

先生1人と事務の奥様だけで

診療していたことを知りました。

どういう仕組みかというと、

訪問看護と連携されていたのです。

まさに現代に必要な体制を

うまく活用されていて

これまた深く感動しました。



そして月日は流れ、今月

なんと、萬田先生が

講演会をするために

福岡にやってきたのです。

いつかお会いしてみたい!と思っていたので

私の地元福岡で会えるなんて、

本当に嬉しかったです。

ところで、みなさんは100歳を超える人口が

今どのくらいかご存知ですか?

統計をとり始めた1963年は143人。

2024年現在は、

なんと!9万人を超えているのです。

それだけ医療が発達したともいえます。

また、日本での「死」の捉え方は

死=縁起が悪い


というイメージが根強く、

「生きれば生きるほどいいに決まっている」

という考えをもつ日本人が多いため

延命治療が主体であることも、

大きく関係しているでしょう。

それだけに、

家族で死について

話し合うこともほとんどありません。

だから大病になったら

入院して治療するのが当たり前

になっているし、

家族は、最期まで闘病者に

「頑張れ」「あきらめないで」

という言葉をかける場面を

よく見かけます。そして、

ビールもダメ、タバコもダメ、

家に帰っちゃダメ

身体に悪いからと、ダメダメの連続。




新米ナースの頃、

私は内科病棟にいました。

糖尿病教育入院、大腸検査などの

軽度患者さんから、

抗がん剤治療や、

がん終末期の重度患者さんまで、

混ぜこぜの病棟でした。

とくに終末期患者さんとの関わりは

何が正解なのかわからず、

先輩に相談しても

自分が納得のいく答えがなくて、

20歳で正看護師になった私にとっては、

精神的にも経験的にも未熟で、

葛藤だらけの日々でした。

(死生観に悩み、

後に1年程看護職を離れました)

それから再び看護職に戻り、死と向き合い

漠然と自分の死生観ってこんなかな〜と

考えていたときに、

萬田先生の本に出会いました。

そして、待ちに待った講演会。

先生の講演会は、休憩なしの約3時間!

先生は一人一人、

最期まで精一杯生きた患者さんのことを

話しながら、

写真や動画を見せてくれました。

その映像は、みんな笑顔なんです。

そして「ありがとう」が

飛び交っていました。

先生は、患者・家族互いに「ありがとう」を

言わせるように全力を尽くします。


先生は言います。


「がんが小さくなったって

体が弱っていったら死んじゃうの。

命を永くすることじゃない。


その人らしく、生きさせる。


急に人は死なない。


それが寿命。


いつか必ずくる。

その時になってからじゃ遅い。

「ありがとう」「大好き」って言っとこう。

友達、家族、世話になった人も幸せになる

死ぬときに、

あぁ…良い人生だったって思えれば

幸せじゃないか。」


先生が、これまでたくさんの人を

看取って知ったことは、

余命少ない人に“ありがとう”を言うと

みんな笑顔になる

言えると、お別れした後も

笑顔でいられるのだそうです。

緩和ケアの大事さはここなんだ!と

強く話していました。


本来、医療は

“本人のためのもの”ではないでしょうか。

現代の医療は

“家族と医師のためのもの”

になっているように感じます。

私は、

“死なないように”から“本人の好きなように”

の選択肢もあっていいのではないか

と思います。

全ては本人の選択によって周りが支援する

こういう医療ができているのは、

現状1割にも満たないのではないかと

感じています。

実際に萬田先生のように

在宅診療を行なっている先生は

かなり少ないです。

これは、治療を進める医師が多いのと、

在宅診療を整えることができない

日本政府の問題もあると思います。



先生の話で

印象に残っている言葉がありました。


体は良くなることはない。

可能性に賭けて、

どんなに良い医療や食事を食べても

下がる一方だ

辛い治療や制限を強いられて、心も

下がる一方だ

だけど、心は上げることができる。


心の状態が良ければ、元気になれる。

私自身、最近もこの言葉の意味を

感じる瞬間がありました。

ご高齢で認知症もあり、

家族の面会も少なく

老衰に近い形で

心臓が弱っている老人ホームの入居者さん。

ここ最近は、浮かない表情で

「わからん」と発することも多く、

胸痛が出ても、

どう表現していいかわからなくなっていて、

気持ちまで弱っている方でした。

ちょうど私が勤務している日に

無呼吸時間も長くなり、

顔色、爪の血色は悪く、飲食もせず、

ほとんど眠っており

数日生きられるかな〜、という感じでした。

そんな時にこの言葉を思い出し、

家族を呼びました。

数時間後、家族が来ました。

私「家族の人がきましたよ〜、

誰が来たかわかりますか〜?」

と問い、家族に会わせると

目を開きビックリした顔で

声を出し始めたのです!

さっきまで話しかけても

目を閉じてうなずくばかりだったのに。

30分後、再度お部屋へ伺うと、

生き生きとした顔つきに変わり、

普通に会話をし、爪の色もピンクになって

顔色も良いではありませんか!!

お手伝いすると、お茶もご飯も食べ、

私が察した気持ちが嘘のようでした。


翌日、別のスタッフから

あれからご飯も完食して、

動こうともされて、

当日いたスタッフもビックリしていました

と連絡がありました。



まさに先生が言っていた

“心は上げることができる”

ということを実感した出来事でした。


ご興味ある方は

是非先生の本を読んでみてください。


最後に、、

先生の名言で締めくくります。

”死をみつめる“ということは、
   “生きるをみつめる”ということ
人生には限りがある
与えられた人生を
     しっかりと生き抜きなさい

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