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過去と未来と今の話。

わたしの選択は、間違っていないと思った。
身体を手放すとき、最期は誰しもひとりだが、人間である日々は孤独を抱えたままでいてほしくない。
それはもちろんわたしを含めて。
孤独との和解は、なかなかに時間がかかるからね。

弱っていく祖母をいちばん悔やんでいるのは、間違いなく本人だ。
施設で髪を切ってもらったらしく、襟足の内側短めボブやったから「わたしと同じやね」って撮って見せてみたら、「染めてないでこんな白髪になってまって」って「時間もわからんようになってまった」って、寂しそうに言う。花粉のせいなのか目は潤んだままだ。
祖母のようにばりっばりの商人は、周囲からの視線と気丈に振る舞うことでおのれを保っているところがある。いろんなことを忘れていっても、あのときの自分を忘れられないのだろう。はがゆく、悔しく、情けない。弱っていく人間から溢れるエネルギーを、わたしは人一倍感知してしまう。
祖母の姿は、いつかのわたしかもしれないとも思う。
背中を撫でて「大丈夫やよ、しょうがないよ、みんなそうなってくもんなんやで、無理せずなんでも言って」
大抵いつもこんなことを伝えているが、「言って」と言われて言うのは難しい。
だから誰よりも察してしまう人間になった。
偉い人よ、そのままで充分なのだと、昭和の時代から教えてください。
あなたの孤独は、分かち合うことのできるもの。足るを知るには寿命が短すぎるのか。
最期くらい安堵してくれ。

ちなみに施設に来ていた美容師さんは、若いおにいさんだったようなのだが、祖母の白髪を見て「染めないほうがいい」と言ったそうだ。
絶対いい奴やん。と思ったら、祖母も「商売やのにそう言うんやから」やて。視点同じ。黄みの無い髪、遺伝子。
そして、素晴らしい仕事だと思う。
わたしの仕事はどうしても間接的になるため、介護士さんをはじめ現場で対峙しつづける人たちを本当に尊敬する。
ほんで父は父で、本日分の教科書が終わったあと「夕飯食ってくやろ?」とか言うし(ごめんばーちゃんの顔見て帰りました)、寂しいんやろな。もうちょっとやから待っとって。

18年ほど前に捨てたはずのものは、年月を経て手の中に収まる。そんな感覚。
わたしの家族はみなどこか風変わりだが、みなその自覚が無い。つまり、やべえのよ。
そりゃこんな視野広すぎ俯瞰しまくり人間になるよなぁって思う。
そしてまあまあ引くくらい稼ぐ娘のために(でもないか、toBの場合必須よな)適格請求書発行事業者の申請を済ませてくれていてありがとう。とりあえず、昭和の時代に法人化された書店の経理はさっぱりわからんちんなので、ちゃんと継ぐまで死なないで。タバコも控えて。って無理か。わたしも死なない。生きる。

その後
相変わらず言葉が足りない父だが、妙な敬語の(妙とか言ってごめんやけど、方言のテキスト化ができんのやろな)返事がきた。
割と長文なほうかと思います。
母よ、今の父なら推せます。じいさんが頑張ってLINEとか使ってんの、かわいいよね。
おじさん構文は異次元にあり、父は基本的にきれいな敬語。
口から出るのはきれいな岐阜弁だが。
言葉は難しい。放っておいたら宇宙が答えてくれる。
けれども、言葉にしなきゃ伝わらないことのほうがずっと多いのだ。
わたしは人間である。

ただ、現実化しやすいあたり、父も宇宙人がすぎるタイプなのは間違いない。土の時代の苦しみに気づいているような気づいていないような人だが、そもそもは太陽魚座らしい人だと思う。月が射手座なのも、同じく月が火の星座(牡羊座だが)のわたしとしては理解できる。大らかな自由人。突然ディランの話してもびっくりしない系じじい。若さは時に罪だ。本質をも脅かす。

だが時は流れ時代は移ろいゆく。土星が水瓶座から魚座へ。
ラブアンドピースな浮世離れ風来坊が、地に足をつけ現実世界を思いっきり変える時代が来ちゃったのよ。
その後押しをするように、今月は宇宙も大忙し。
春分のあと牡羊座で新月、そのあと山羊座にいた冥王星が水瓶座へ。変わらないわけがない。この宇宙人が。
環境が変わるとき、どうしても心が落ち着かないけど、でも絶対後悔はしないってことは知ってる。そうやって生きながらえたはずだ。

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