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【ミステリーレビュー】クドリャフカの順番/米澤穂信(2005)

クドリャフカの順番/米澤穂信

遂にカンヤ祭が本番を迎える、"古典部"シリーズ第三段。


あらすじ


3日渡って開催される神山高校の文化祭、通称”カンヤ祭"が開幕した。
しかし、折木奉太郎が所属する古典部では、完成させた文集「氷菓」を誤発注により二百部も印刷してしまうという問題が発生。
想定の十倍の在庫を抱えて、部員たちは、それぞれの持ち場で宣伝や販路拡大に走り回ることになる。
同じ頃、学内では"十文字”を名乗る人物による、連続盗難事件が発生していた。
碁石に、タロットカードに、水鉄砲など、盗まれたものは取るに足らないものばかりなのだが、話題性は十分。
この騒動に便乗して、古典部は文集の完売を目指すことになって……



概要/感想(ネタバレなし)


本作の特徴は、従来のように奉太郎を視点人物に据えるのではなく、古典部メンバー4人が、入れ代わり立ち代わりで視点になっていく。
1作目、2作目は、文化祭に向けての準備が描かれていたが、いよいよその本番。
一人称で読者に語りかけるような文体は、合う・合わないはありそうだが、積極的に参加する者、運営サイドとして立ち回る者、ただ無為に過ごす者など、キャラクターの異なる古典部の面々を通じて語られることで、文化祭の雰囲気が立体的に伝わってくる。
これをするために、古典部のキャラクターを逆算して設計していたと思うほどだ。

古典部の命題は、大量の文集を完売させること。
日常系の漫画や児童文学等でもありがちな話で、いかに頭を使って付加価値をつけるかという部分に、古典部シリーズらしいミステリー要素を組み込むのだろうな、と推定されるものの、序盤は、いたって順当な方法論からぶつかっていくことになる。
その結果、"十文字事件"が断片的に明るみになって、物語が大きくミステリーにシフトしていくのだが、このプロット運びが絶妙。
視点人物を分散していなければ、このヒントの散りばめ方は出来なかったと思われるし、何より、素直に文化祭を体験するというチュートリアル的な部分を加えたことで、物語の解像度が大幅に増した。
奉太郎が店番をしながらアカペラ部の歌声に耳を傾けるシーンが、なんでもない描写であるにも関わらず妙に印象に残り、伏線のひとつになっていくのも、そういった工夫の結晶だろう。

余談だが、本文中に出てくるまで、作品タイトルを「クシャトリヤの順番」だと誤認。
バラモンに次ぐ2番目のはずだが、実はバラモンが先に殺されていた、みたいな展開を想像していたのだけれど、実際に「ABC殺人事件」のオマージュも示唆されていたので、余計に"クドリャフカ"に行き着くまでに時間がかかってしまった。
これを書く前に気付いて良かった。



総評(ネタバレ注意)



前作までと比較して、群像劇としてのスタイルが強まったことにより、青春小説としての存在感が高まったように思う。
奉太郎以外のメンバーにも見せ場があり、最終的に解決に結びつけるのは奉太郎であっても、チームの勝利といった印象だ。
特に、福部里志、伊原摩耶花が主観で語る場面が増えたことにより、読者としては関係性が深掘りされた形。
そのインパクトも相まって、折木奉太郎&千反田えるのコンビよりも、本作においては福部里志&伊原摩耶花が主人公だったと言ってもいいだろう。

正直、ミステリー的にはそこそこ、といったところ。
「ABC殺人事件」形式のネタは、既にこすられきっている。
そこにひと捻り加える意図は見えるものの、動機が複雑になりすぎて、納得感が薄まってしまったか。
せめてメッセージがターゲットに伝わっていた、というドラマでもあれば勢いで乗り切ることもできたのかもしれない。
ただし、これが伝わる関係性であれば、口に出してメッセージを伝えることもできたのだろうから、著者の矜持として、ここは譲れなかったのかな。

そして、今回もデウス・エクス・マキナ的な存在として描かれるお姉さま。
わらしべプロトコルにしても、「夕べには骸に」の差し入れにしても、奉太郎を手のひらの上で操るお釈迦様の風格は相変わらずだ。
今回については、"どうして昨年売られていた同人誌が手元にあった?"など、かなり突っ込みどころが多くなってしまうけれど、そういうものとして受け入れるべきなのだろう。
いつか、彼女の暗躍の種明かしが語られる日が来るようなら熱いけれど、そこには期待しすぎないようにしようと思う。

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