まいにち子育てヒント#9 園舎と幼児教育

去年の秋に授業で書いたレポートが意外といいこと書いてたのでそのまま掲載します!文章がちょっと硬いです!役に立つ部分だけ太くしてます!

環境のコントロール可能性と自然

◯はじめに
本稿は『都市とアーキテクチャの教育思想 : 保護と人間形成のあいだ』について、都市が眼差すコントロール対象としての自然が教育に果たす機能という観点から感想を述べる。本書は主にドイツのアーキテクチャ論を参照し、保護と人間形成の緊張関係をアーキテクチャがいかに扱ってきたかについて説明している。これについて、本稿の筆者がドイツの幼稚園に通学していた経験から、ドイツと日本の自然観の差異が幼稚園の環境構築に与えている影響について考察する。

◯本文
はじめに感想を述べる。
本書は、教育哲学の営みと現実社会とが接続する点の一つとして非常に興味深かった。特に、建築・都市計画思想が人間をどう扱うか、その一環としての教育という視点が得られる点で非常に意義深いと感じた。また、対象者の保護とそこに自ずと発生する穴という話は、アナロジー的に建築学における有孔体理論と結びついた。有孔体とは、建築を被膜によって内外を区切るものとしてとらえ、孔の制御が内部の自由な領域に非均質性を生み出すという理論である。その観点から議論することも可能だと考えた。

以下、アーキテクチャとして都市あるいは学校を把握したときに自然が果たす機能について私論を述べる。
筆者は本書における保護と人間形成の緊張関係という構造に強く共感した。本書の「都市の「整序化」が未完にとどまる場合、都市は人間形成の環境として秩序や安定性を欠いていると診断され、それに対する不安が喚起される。都市が「整序化」に向かうとしても、その場合には、人工的な空間構造が人間形成にとって生み出す副作用が懸念される。(p. 225)」という一節にある通り、両者は常に両立しつつ互いに負の影響を与える。
その上でまず注目したいのは、保護されていない状態とはいかなるものか、という点である。都市や学校といったアーキテクチャ、すなわち人工物による保護と対立するものは、非人工的な存在である自然であり、ひいてはその不確実性・コントロール不可能性である。そして、不確実であるがゆえに危険だが、同時に意図しない成長の機会が与えられると捉えられていると述べることができる。
そして、不確実性は量的なものであり、その程度には幅がある。ドイツ自然観は特にその不確実性を重視してきた。それはゲルマン民族の童話における自然への畏怖に顕著に表れている。ドイツで発達した領邦の人々にとって、森は暗く、凶暴な動物がいる畏怖の対象であった。そして近代以降、自然は科学技術でのコントロールによる克服の対象となった。このように、設計した都市の中にいかに不確実性を組み込むかという発想は、そもそもこのコントロールへの意欲と、そこから来る都市のコントロール可能性の権威から来ているのではないだろうか。実際に、都市設計において、建築には石材という不確実性の低い材を用いてきて、その延長に現在の建築材が用いられている。

一方で日本の持つ都市と自然の関係は、借景やアニミズムによって説明することができる。そこには畏れと共存のバランスがあり、不確実性を許容していた。建築も木材の変化を前提とした設計がなされている。また、災害のようなそもそもコントロール不可能な自然の驚異が常に存在した。ゆえに都市のコントロール可能性そのものに絶対的な権威が与えられず、保護・非保護の程度においてはそのグラデーションの中間付近に都市と自然の両者が位置していた。一方で高度成長期以降、大都市に限らず各地で都市が形成され、都市問題が顕在化したことで西洋的な都市ー自然観が必要となっている。

このような日独の感覚の差が、幼稚園に見られた。ここでは、本稿の筆者が幼少期に通っていて近年取材したKindergarten, Küpkerswegと、定期的に視察している志向学園かなや幼稚園を比較する。

Kindergarten, Küpkerswegはオルデンブルグにある私立幼稚園で、生徒数は40名ほどである。園舎は2階建てで、部屋はキッチンと職員室以外区切られていない。床にはカーペットが敷かれている。園庭は平面ではなくデコボコしており、シーソーと砂場がある。砂場にはポンプがあり、それを動かすと園児の力でも地下水をくみ上げて泥遊びができる。ただし泥遊びについては先生のもとで行わなければいけない。園の周囲は林のある公園で、フェンス状の区切りがある。また、料理の時間があり、担当者は先生と一緒にプラスチックのナイフで果物を切る。
このような環境設計から、不確実性の許容範囲として、デコボコの地面で走るのは良いが、泥遊びや料理はコントロールしたいという線引きがある。また、コントロール不可能な部分で起こる問題は子どもどうしの話し合いで解決させたいと考えている。一方で、泥遊びや料理といった不可逆な事故の起こり得る場面については危険を排除した上で豊かな身体的体験を与えたいという。このように、園側の介入の程度に応じた役割が見られた。

かなや幼稚園は福島県いわき市にある幼稚園で、生徒数は90名ほどである。園舎は2階建てで吹き抜けとなっており、全体的に木材で作られている。原発事故後の建築なので外遊びの時間が少なく、園庭を狭く設計した代わりに園舎は広く回遊性も高い。窓からは川が見えるようになっており、天井はガラスファイバー製で自然光を緩やかに通す。ゆえに晴れた日にはとても明るい。園内で常に動物を飼っているほか、カルビー株式会社との共同事業で農業体験を行なっている。
このように、自然の脅威としての放射線と距離を置きつつ、自然の恩恵が自然と取り込まれるような設計となっている。特に天井の造りは借景にも近い。また、動物を飼ってかわいがったり農業体験を行ったりと、自然を利用することに対する意識がある。木材でできていてカーペットもないため園内で転ぶと怪我をしやすいが、それについては抵抗感がないようであった。
以上のように、それぞれの思想が反映された建築を身近に見つけることができた

また、その他の国の幼稚園を視察した際、場合によっては自然をそもそも取り入れない園舎を見かけることがあった。ハノイやサンノゼなどの地価が高い土地である。園庭があったとしても地面が整備されておりあまり転ばないようになっている。
ここでは自然による意図的な不確実性を排除し、可能な限りコントロールしようという力学が働いていた。その思想は、外国語が母語である園児の保護者にも園内では英語を使うように指示するといった点にも表れていた。

◯考察
それぞれ個別の事例ではあるが、日独の都市ー自然観の対比がそれぞれの幼稚園に反映されている点を認めることができた。また、不確実性を許容する程度という観点から、園のその他の教育方針との関係性も考慮することができる。
一方で幼児教育に注目した場合、近年ではSTEM教育の文脈から自然の中で学ぶことの重要性が世界的に主張され、カリキュラムも理論化されている。自然が不確実なイベントを与えなくなった現代において、アーキテクチャが何に不確実性を見出し、教育がそれをどう扱うかについては一層の検討が必要である。

◯参考文献
尾関英正. "諺に見るドイツ人の動物観." 亜細亜大学学術文化紀要 5 (2004): 1-18.
山名淳. “都市とアーキテクチャの人間思想 保護と人間形成のあいだ”(2016)
原広司. "有孔体の理論とデザイン-空間制御装置からなる構造的建築へ." 国際建築 33 (1966): 24-43.
降旗信一, et al. "環境教育としての自然体験学習の課題と展望." 環境教育 19.1 (2009): 1_3-16.


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