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たりない

「足るを知る」は、古代中国の思想家、老子の言葉なのだそう。今持っているもの、当たり前にあるもの、「ある」方に感謝しましょうということ。

言葉自体は近代的な響きがあるのに、そんなに昔から「足るを知る」が美徳とされてきたということ。古代において「足るを知る」という言葉は、特権階級の人たちの言葉だったのかな。

少なくとも今こうやって資本主義の波にのまれて生きていると、メディアは私たちの足りない部分ばかりつついてくる。

そしてスマートフォンを持つようになってからは、子どもの頃よりややこしい形で足りない部分を刺激されるようになった。

一人ひとりのちょっとしたくぼみを、テクノロジーは見逃さない。ニキビって一度検索すると、それからしばらくニキビに良い化粧品の広告ばっかり出てくるとか。マッチングアプリが最適なパートナーを分析してくれるとか。

私たちが「足りない」と思う隙もなく、「これが足りてないですよ」と、必要以上にたくさんの情報が小さな画面に突き付けられる。

そうやって生きている私たちに今足りないものは、本当はいま何が足りないか自分で気付く力なのかもしれない。

それから、頭をまっさらにする時間も足りない。だから瞑想とかヨガとかサウナとかがこんなに流行る。みんな、どこかでからっぽに逃げたいと思っているんだ。

満ち足りた世界で最後に足りなくなったのはからっぽになる時間。

老子はそんな遥か遠い未来を見越して「足るを知る」って言葉を残したのかもしれない。

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