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#34 大学院・生きる目的

こんにちは。sacaikumiです。

この「考える」マガジンは、私が関心を持ったトピックを幅広いテーマで自由に書いています。今回は、大学院に入ってからの私の生活と、それを通じて出会えた生きる目的について記事を残したいと思います。

大学院へ入学してからあっという間に最初の半年が経ちました。感想をひとことにまとめると「きつかった」。

今までのロンドンでの生活の中で最も充実した、そして目まぐるしい日々でした。

今通っているのは、セントラル・セイントマーティンのグラフィックコミュニケーションデザインコースです。
デザインとついてるけど、今学習しているのは考えを構築するフェーズのためのリサーチ手法。デザインの裏側にある「なぜ」をとことん突き詰めることが目的です。

答えのない疑問(Open-ended questioning)を提示するのは得意なほうだと思ってきたけれど、改めて学ぶとその疑問を力強い物にするのは予想より遥かに大変でした。

社会学や哲学、倫理や、未来のこと…
多くの専門分野の思想が関連するデザインの専門記事を沢山読んでいます。加えて私は英語が第一言語ではないので、3回読んでやっと意味が理解出来る。知らない単語を辞書で引いて、知らない分野の背景を勉強して、読み直してようやく話の本筋に辿り着けるっていう作業には毎度骨が折れて粉々になりました。

そしてこの半年間、気が狂わないギリギリのところまで考えて、手を動かして、また考えて、考え尽くして、手を動かして、考え直して…というのをひたすら繰り返して、最初のユニットを終えた今、これまで学んできた点が突如線として繋がった感覚を得ました。

この感覚、、大学受験のときにもあったな〜なんて思い出したりして。

クリティカルデザイン・デザイナーとして生きる意義・人生の目的、その3点が突如として繋がった時、苦しかった時間を越えられた喜びから、一人で涙を流しました。

デザイナーとしてやりたい事はなんだろう。という疑問が煮詰まって、人生の意義についてずっと考えている中で、自分の才能を信じて探すのはとても苦しかったです。なぜなら、空っぽだったらどうしようという不安と向き合うことになるからです。

周りには実力や才能に恵まれたデザイナーが沢山いて、その中で自分を信頼するには、私が自分の本質を見つけるしかないと思い込み足掻くのは、手探りで広大な海を泳ぎ、島を探すような感覚。焦っても何も解決しないし、一朝一夕で何かが変わる話でもない。どれだけ努力しても足りない気がして、自分にプレッシャーをかける時間が続いていました。

ちなみに、フリーランスに成り立ての頃も自分自身の棚卸しとして輪郭を見つめる作業をしていました。その時の記事がこちら↓

この時の自己対話は、仕事を個人で受けるにあたって必要な粒度で行っていたので、自分のお金に対する価値観や、正義感や、受注という責任の果たし方など、ツールとして行っていました。

今回のそれは、その時とは比べ物にならないくらい深く・長く向き合う必要がありました。50歳の自分がどんな風に制作しているかイメージする感覚で、いちばん深いところを見つめていった末に、自分にとって最も関心のある領域は「心」だということが分かりました。

下記は、2022年4月に作成したポートフォリオに載せた、内観に関するムードボードの補足説明。

Since I became a self-employed designer, I have written a blog to deeply understand myself. Through this exercise, I have got many effects not only for designing but also in my life. The mood board below is my abstract images which are connected to “self-awareness” and the keywords show the tools which helped me to understand myself and promoted “self-awareness”.

この時点でもぼんやりと今と同じ方向を見てはいたのですが、心と言い切ることが出来なかった。そんなほんの少しの"言い回しの違い"が、解釈の深度の大きな差になるのです。

さて、私が心に辿り着くまでの軌跡について、少しお話しさせてください。

これまでの人生の中で、私は人間関係に結構苦しんできました。どうしてか分からないけど、いつの間にか相談所になってしまうこと、それがしんどくなってその関係性から逃げてしまう事を繰り返していたのです。その末、「相談所にならない」対策を構築した20代…。当時はその問題そのものを見つめる事で手一杯だったところ、30歳を過ぎてからは「どうしてそうなるか」考える余裕が生まれました。

まずはじめに、私には、第一印象として物分かりの良さそうな"いい聞き手"と思わせる何かがあるんだろうと思っていました。元々人の話を聞くのが好きなので、そんな資質も相まっているのかな、と。

しかし、そういう資質は私の心の目が相手の心を見抜いてしまうから起こっていたのかもしれないと思い至りました。

私の心には目が付いているんだ…
だから多くの人と同時には話せなかったり、深い話を打ち明けられることが多かったり、疲れやすかったりするんだ…と、これまでの有りとあらゆる経験が紐付いて納得に変わると、それまで当たり前だった資質が突然「才能」に変わりました。使いこなせるようになったからです。

これまでの人生の中でたくさんの心を見つめてきたこと、今ロンドンでの暮らしの中で、多様性のある街で心だけ切り取ったらどんな風景になるかをビジュアルとして翻訳すること、自分の解釈で心を描くこと…そうやって考えていくと、いつになくワクワクしました。デザインが私を支えてくれる番が来ました。

才能とは、自分の持つ資質(それは時に面倒なことさえも引き起こす何か)に気付いて、武器に変えてしまうことを指すのかもしれないとも思いました。きっと、全ての人が何かしらの才能を持っているんだと思います。

私はこれまで、21歳でデザインの勉強を始めた時から13年、ずっと誰かのためにデザインし続けてきました。それが初めて自分のためのデザインになってから半年間の苦しみを経て、ようやくポジティブな気持ちでデザインともう一度握手することが出来たのは、とっても嬉しかったです。

未経験でデザイナーを目指した無謀なチャレンジをしてくれた20代の自分にありがとうの気持ちでいっぱいです。
これからは、その時の自分が憧れた姿になっていけるように、デザインと遊び続けて生きていきたいです。

勉強はしている間はとても苦しいものだけど、自分や世界を見つめる視点を、広く・深くしてくれます。だから楽しい。これからも学びへの好奇心を大切にしていきたいです。

最後まで読んで頂きありがとうございました :)

おまけ:Instagramより、ある日の晴天のロンドン

https://instagram.com/p/CopgXwpDuhC/

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